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Yumiko's poetic world

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角野栄子さん講演会

 久が原図書館でJBBY主催の講演会があった。講師は角野栄子さん。何が何でも聞きに行かねばならない。
 森の中で童話の主人公がかくれんぼしているような、夢のある模様でありながら、甘くなり過ぎないスタイリッシュな茶と水色のニットに、赤の差し色を利かせた角野さんは、上品でおしゃれで、なおかつ気さくな、「雰囲気の良い」方だった。明確な発音、美しいアルトの声、穏やかに語りかけるような調子。理路整然と語りながら、学者のような硬さは皆無で、小学生の子どもでも理解できるような言葉を自然に選んで話されている。そんな印象を受けた。
 内容ももちろん素晴らしかった。一人の女性であると同時に魔女でもあるキキの物語、全6冊を、24年間かけて完成させた、という。いわば角野さんのライフワークのお話が中心であったが、物語の創造すべてに関わる「たいせつなこと」、角野さんが“物語の神様”から教わったことのエッセンスが、語りの向こう側に垣間見えるような気がした。
 物語の主人公たちは、「つくりだした」もの、というよりは、「むこうがわ」からやってきて角野さんと「出会った」という感覚の中で生み出されるのだ、という。たとえば魔女のキキは、お嬢さんがいたずら描きのようにして描いた、ラジオをぶらさげて飛ぶ魔女の絵から発想を得たとのこと。私も空を飛んでみたい、という若いころからの夢、自由に冒険してみたい、という誰もが抱く夢を、主人公に託して実現させたい、という作者としての想い。何百歳も年を取った魔女の話は書いている人がいるけれど、13歳(という大人と子供の境い目)の魔女を描いた人はまだいない、という、書き手としての矜持。子どもが実際に社会の中で経済的に自立しうるかと、主人公と共に悩み、工夫し、解決していく作者の姿。
 現代に魔女の物語は成立するか、という、物語としてのリアリティーへの目配りも、具体的で面白かった。魔女と人間との「ハーフ」だったらあり得るかもしれない、という発想。現代だからこそ、魔女になるかならないかは自分で決めさせてあげたい、という、広げていけば女性や子供の人権にまで広がる社会的な視点。魔法は一つだけにしたい、なんでも魔法で解決してしまう、というのは安易だしリアリティーに欠ける、一つしか使えなければ、その分工夫することになるだろう・・・という条件の設定方法。
 「普通」と違う、ということは、誰にとってもプライドであると同時にコンプレックスであるだろう。その両面を意識した主人公が、1年間、自分の力で生きていく話にしよう、という、心理学的な深みにまで至る物語の構想。「普通」の人以上に敏感で鋭敏で、夢想の力も強かった子どもであり、そのことにコンプレックスとプライドの双方を怜悧に感じ取っていたであろう角野さん自身の姿が、キキに重なって見えてくるような気もした。
 くらやみ、に対する感性も興味深かった。昔は夜になるとそこいらじゅうに「暗闇」があった。そして、子どもの感性は、その「暗闇」の中に、「なにか」が蠢いているのを敏感に感じ取った。それは、「不思議」がそこにある、ということを感じ取る機会でもあったろう。(角野さんは、不思議、という言葉を、言葉本来の意味での用法、思議/人間の理解、を越えたもの、という意味で使用しておられるように感じた)
 文明が発達すると同時に、明るさ、という表層的な面においても、科学の発達、という内在的な面においても「不思議」が消えていく。様々なことを感じたり、考えたりする「静けさ」もまた、消えていく。角野さんの描き出す魔女、の役目は、「不思議」がこの世にあるんだよ、ということを伝え知らせることではないか、という言葉に、物語作者の在り様そのもの、存在意義に対する思想まで含まれているように感じた。
 魔女のキキ、が「生まれた」後に、魔女のことを調査することになったお話も興味深かった。魔女が古来女性であったのは、医療の未発達の時代に、自分の子どもを何が何でも助けたい、という、母親としての想いが、知識と経験の累積を生んだのではないか、ということ。人類学的な部分にまで広げれば、「復活」を祈るアニミズムにつながるであろう、ということ。ヨーロッパ、とくにドイツや東欧では、魔女、とは、垣根の上、城壁の上にいる人、というのが本義であった、ということ。そこから敷衍して、「くらやみ」と「あかり」の世界、見える世界と見えない世界、野蛮と文明、感性と理性の境界上で、その両方を見ることの出来る存在が魔女、だったのではないか・・・お話を聞きながら、角野さんご自身が「魔女」そのものだ!という気がした。
 物語は、見えない世界で「出会ったもの」を見える世界に引っ張り出してくること、だという。人の気持ちは「見えない世界」に属している。行為や言葉が、それを見えるもの、にする。「境い目に居る時、人は生き生きする」という言葉が、とりわけ印象に残った。想像、空想によってしか「見えない」世界と、今「見えている」世界との境い目。そこに立つ、ということ。
 「本の表紙を開けると、とびら、と呼ばれるものがありますね。扉を開けて、見えない世界に、私たちは家出するんです」微笑みながら話される角野さんの言葉を聞きながら、見えない世界と見える世界を自在に飛び越え「本の扉」という私たちにも自由に出入りできる「とびら」を用意してくださった練達の魔女角野さんに、深く感謝を申し述べたい。
 ステキな講演会を企画してくださった、JBBYのスタッフの方々と久が原図書館の方々にも・・・。
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by yumiko_aoki_4649 | 2013-03-09 10:10 | 随想
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