Yumiko's poetic pictures

yumikoaoki.exblog.jp ブログトップ

琳派、そして速水御舟の『錦木』のこと

 山種美術館『琳派から日本画へ:和歌のこころ・絵のこころ』を観に行った。31日までだったので、文字通り駆け込み、である。
 俵屋宗達の「西行法師行状絵」、御簾の筋を1mmよりも細かい間隔で均等に描きこむ精緻さと、襖絵まで微細に描きこむ集中力に圧倒された。屏風絵などの大作は言うまでもないが、絵巻断簡は間近で見ると、迫力が違う。公達たちのあでやかな衣装や岩、木の幹などには、絵の具だまりを作ったりぼかし込みを入れたりして、微妙なニュアンスを醸し出している。粉吹きの群青に鮮やかな紅葉の朱が点景として入り、ごく控えめな金泥と緑青が色を添える。極めて具体的な鹿と、池を挟んで対峙する西行の淡さ(存在感の薄さ)。大胆に後景と前景を区切る横一直線の雲の斬新さ。
 抱一の作品をごく間近で見られたことも非常に嬉しかった。おおどか、という古風な言葉がふさわしい伸びやかな画面と、きりっとしまった輪郭。ごく細い筆で迷うことなく、ぶれることも震えることもなく引かれた、金泥の葉脈。女郎花の花や萩に施された盛り上がるような点描や毛描きの見事さは、印刷図版ではとうてい知り得ない。
 モチーフを大胆に断ち切る構成力、デザイン感覚に驚かされる。写真や映画のフレームに納められたような、人工的に切り取る潔さ。その切断によって画面の外に広がる、空間の連続性。直接の師弟関係があるわけではなく、いわば作品によってつながれた宗達、光琳、抱一の存在は、日本美術の力強い流れが、地底に渦巻くマグマとなって時間の底を流れ続け、時を得て噴出した三連山である。
 その流れが、近代の画家にどのように受け継がれたのか、という二部構成になっていることも貴重な体験だった。
 個々の作品を文字通り堪能したが、特に、速水御舟の『錦木』と間近で対面できたことは嬉しかった。女のもとに、想いを伝える錦木を立てに行く若者の道行きを描いた作品。雲母粉を人物ギリギリまで塗りこまず、わずかに、体温の温もりを感じさせるほどの幅に塗り残し、一方、黒髪の部分には雲母を少しかぶせ、触れれば冷え冷えとした感触まで伝わってきそうな黒さに仕上げている。前方をきりりと見据えつつ女の家に急ぐ若者のまなざしは、柔らかくかすかな靄にけぶるように描かれている。あたかも、決意をこめて歩む若者の上気した肌が、秋のキリッと冷えた冷気を寄せ付けずに熱気を放っているようだ。
 
d0264981_15381699.jpg

 上着と下着の間に、上着から引き続いてひと刷け刷かれた胡粉の美しさ。芯を崩さずすっすっと歩く若者の、わずかに揺れる足元の動きが、残像のように浮かび上がる。当時19歳の御舟が、未知と不安を乗り越え、決然と画業に歩み出す様が重ねられているような、気迫の感じられる作品。画像では質感まで写せないのが残念でならない。
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2013-04-02 15:41 | 美術展感想 | Comments(0)
line

詩や詩に関わるものごとなど。


by yumiko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite