Yumiko's poetic pictures

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知覧に行ってきました。

知覧は、「散華」された青年たちと同数の石灯籠を建てよう、ということから始まった様々な灯籠が、道の両脇にびっしり並んでいて、町全体が参道のようだった。
祈りの場所、忘れないための場所、二度と繰り返させない、為に、決意を新たにする場所。そして、自らを犠牲にして逝った青年たちに、平和を守り抜く、と誓うための場所。

戦闘機は、予想外に大きく、そして、驚くほど薄く、ペラペラと言ってもいい金属で機体が作られていた。軽さと速さ、性能だけを追求した戦闘機。燃料タンクの代わりに、爆弾を積めばいい、などと、どうして「思いつく」ことが出来たのだろう。机上でゲームのように駒を動かして「作戦」を練る、そんな意識で戦争に突入したのではないか・・・。「亜細亜」を、西欧列強の侵略から護る、という「大義」を信じ、あるいは信じさせられていたことの怖ろしさ。実際に「解放」という結果をもたらしたとしても、それが新たな侵略ではない、と言い切る根拠は、いったいどこにあるのだろう。

兵士たちの遺書の、文字の美しさ、教養の高さに圧倒された。あの年齢で、という驚き。これだけ優秀な若者が、「選ばれて」死地に赴いた(行かされた)ということ・・・。優秀「だから」死なせたら惜しい、ということではない。しかし、未来の日本を支え、築き、盛り立てていくはずの有為の青年たちが、その才能を花開かせることはなかった、ということ、その重さを、永遠に語り継いでいかねばならない、と思う。

出撃していった青年たちの「遺書」は、最初の内は父母や親しい女性にあてた手紙など、どこか人間的なぬくもりを持った「決死の覚悟」の表明が多かったように思う。それが次第に、大君の為に、とか、神と成りて皇国を護らん、といった文言が増えて来る。家族への「想い」や「ふるさと」への「想い」などが、むしろ剥奪されていくような、「おもい」が封殺されて、「意志」「決意」へと置き換えられていくような寒々しさを感じた。
右翼のロマン主義者が「家族のため」「恋人のため」「故郷を護るため」俺は死にに行くのだ、というような「英雄的な死」として「特攻作戦」を描こうとするが、そんな甘美さを、少なくとも私は、一切感じることが出来なかった。

一番純粋で信じやすい時期に「洗脳」されて、人間兵器として派遣されていった・・・その非人道性が辛い。

亡くなった青年たちが、真剣に国を思い、決死の覚悟で出撃していったことに、深く敬意を表する。彼らの犠牲の上に、現在の平和が守られていることに、感謝の念を捧げる。だが、何よりも天上の彼らに対する慰霊は、二度と繰り返さない、繰り返させない、と誓う事なのではないか。

青年たちが遺した文字の美しさ、健気さ、秘められた思いを、多くの人に肉眼で見てもらいたい。そして、彼らを追い込んでいった「戦争」というものそれ自体について、考えてほしい、と思う。私も、考え続けたい。
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by yumiko_aoki_4649 | 2015-11-12 08:36 | 随想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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