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平井達也さん『積雪前夜』書評

この世を詩の眼で観てみよう……ユーモアという拡大鏡 

 日本人はユーモアが足りない、としばしば言われるけれども……深刻過ぎて心身に異常をきたしかねない事態を、笑いに転換することでベクトルを変え、新たに課題に取り組むエネルギーの糧とする……平井達也詩集『積雪前夜』は、そんなユーモアの効能をたっぷり味わうことが出来る。巻頭の「ネクタイ」は、こんな軽妙さで始まる。
 
 ネクタイに誘われて茶色いのを買う
 茶色いネクタイにぶら下がって仕事する
 昼にはネクタイが窮屈そうなので
 解いてポケットに収めてやる
 
 物に過ぎないはずの〈ネクタイ〉が、友人のように〈私〉を誘う。つり革のように〈私〉を支える。昼休み、〈私〉は愛玩動物のように〈ネクタイ〉を愛おしみ、休ませてやる。スピーディーに繰り出されるネクタイとの様々な関係性は、仕事をする〈私〉(の喩としてのネクタイ)と、その〈私〉を見ている書き手の〈私〉との絶妙な間合いから生まれている。
 一連目では〈ネクタイ〉はいかにも〈私〉の味方、といった顔つきだが……〈上司の席に行き叱られる〉私を見て〈しわしわ笑っている〉ネクタイは同僚のミスを力なく笑う周囲の目線となり、〈口下手なくせに余計なことを言ってしまう〉私と違って〈賢いから黙っている/単純な結び目を固く締めている〉四連あたりになると、要領よく振る舞って手堅くトラブルを回避する同輩の喩へと、いつのまにか変貌している。

 シャツとネクタイの合わせ方がわからない
 色々な帳尻の合わせ方もわからない
 実は結び方が間違っているのかもしれない
 ネクタイは意地悪だから
 困っていても助けてくれることはない(五連)
 
 文字通り〝ないない尽くし″の終連では、ネクタイは世渡りベタな自分自身であると共に、意地悪な傍観者に姿を変える。読後に爽快感が残るのは、言い切りの形を多用した軽快なリズムのゆえだろう。サラリーマンの悲哀や孤独を、読者の誰もが共感可能な平易な比喩に託し、いわば洒落のめしているところに読後のカタルシスがある。
 『積雪前夜』の第一部は、カレンダー、クリアホルダー、複合機(コピー機)、穴あけパンチなど、職場で〈私〉を取り巻く〝物たち″が、それぞれの特性や適性に応じた絶妙な喩となって〝働く人達″を風刺している。人達、と複数形にしたのは、サラリーマンとして働く自分自身にも均等に批評眼が注がれているからだ。皮肉を効かせた詩句が続いても辛辣に成り過ぎないのは、たとえば「複合機」の最終行〈とはいえ嫌いにはなりきれないな〉に垣間見えるように、作者の根底に人間への愛情や信頼があることにもよるのだろう。
 「商談」のような働く行為そのものも、ユーモアで世界を塗り替えていく平井の腕にかかれば……

 フレアスカートの裾みたいにひらひらした
 商談にみんな夢中で電卓が悲鳴を上げる(一連)

 営業マンというのも大変だ
 都内で雪男が発見されるくらいに大変だ
 山手線の外回りと内回りが結婚して
 小さな山手線を産むくらい大変だ(三連)

といった具合、実に愉快。過重なストレスを笑い飛ばして、最後は〈電卓と正直さは叩かれっぱなしだ/ほんとうに私たちが交わすべき契約は/どこかの錆びた金庫にしまいこまれたまま〉と、ピリリと社会風刺も効かせて、詩をきっちりと締めるところがニクイ。
 少し〝仕事″から離れて〈私〉の私生活の方に踏み込んだ第二部に、「ペンキ塗りたて」というユニークな作品がある。〈私の魂はペンキ塗りたて/だから 触れないで〉……長年痛めつけられ、〈地の色が/あらわになってきてしまったから〉魂にペンキを塗り直した、〈今度はあざやかな原色に/目を射るような色に/もう直視させないし/好きに揺さぶるような真似もさせない〉という、生まれ直しの意志と強さを感じさせる詩。この強さを〈私〉に与えたものこそ、詩の力だったのではないか。とりわけ、平井が得意とする喩の力。
 ユーモアの喩に鋭角の批評精神が備われば、身辺を歌う行為も社会批評となる。第三部では、ともすると陰湿で閉塞感に満ちた現状把握となりかねない状況を、乾いた質感で塗り替え、軽妙に風刺していく。飄逸さと文体の勢いが心地よい。
 「積雪前夜」は、〈雪は降らなかった。空が我慢したのだな…こっちには我慢しきれないものがある〉と不穏に幕を開ける。〈指先は冷えっぱなしだし停止線は無視されっぱなしだ〉、〈潰れた文房具店の前で酔い潰れた自分がいる。邪魔なので蹴りのける〉、〈幸い風がないから連帯の旗はだらしなく失神している〉など、昨今の政治情勢やリストラなどの社会不安、個々人が分断され、一人一人が孤独に社会に対せざるを得ない時代を、さりげなく風刺している。〈コンビニで使い捨てカイロに同情の眼差しを向けられる。同情される筋合いはねえよ。こっちは冷えて固まって終わりというわけにはいかない。〉滾るような怒りが行間から滲み出る秀作である。
 「グミの両義性について」もユニーク。飄逸な筆致で、詩の社会性の問題に切り込んでいく。ナチス誕生の時代に、小児の歯を強くするという目的でドイツで開発されたお菓子のグミの硬さを〈詩の硬度〉に比しつつ、わが国のグミは〈柔らかめ〉であったのに〈最近わが国でもゼラチンを多く含むグミが売られるようになった〉と軽やかに警鐘を鳴らす。
 〈穏健派の夢は幸福な結末へと向かっている。遺失物になりそうな私は鍵を握りしめる〉(「おはよう」)現状に違和感を覚える〈私〉が、握り締めている鍵こそが言葉だろう。現状肯定の多数派に取り込まれずに、ちょっと斜(はす)から世の中を見ていようぜ、そして声を上げようぜ……そんな詩人の心意気が、軽妙な筆致の中にしたたかに盛り込まれた詩集である。
『潮流詩派』249号(2017年4月刊)掲載
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by yumiko_aoki_4649 | 2017-04-24 14:31 | 読書感想、書評、批評 | Comments(0)
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