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中村純さんの『女たちへ Dear Women』と、森崎和江さんに関する研究発表(西亮太氏)について

中村純さんの新詩集が公刊されました。
『女たちへ Dear Women 』です。

表紙に引かれた「かげ絵―女たちへ」の一節は、三「無名」の女たちの痛みに の最終連。この作品には、中村さんが2001年に出版社に勤務されていた頃、作家の吉武輝子さんと落合恵子さんの対談を企画された折の思いや、沖縄で(またしても)起きてしまった、若い女性の性暴力殺人への、言葉にならない思いについて、ショートエッセイが添えられています。

吉武輝子さんから頂いた「純さんへ 平和憲法を次世代に無傷で手渡す」というメッセージは、「女から女への手渡しの運動」であり、「私たちは、そのようにして、多くの女性の先輩たちから、どれだけの言葉と行動の花束を肉声としていただいてきたことでしょう・・・小森香子さん、石川逸子さん、高良留美子さん、麻生直子さん、森崎和江さん、落合恵子さん。詩や文学、女性運動に関わる女性たち・・・女性がひとりで夜も歩けないような街を、女性が自分を生きられない国を、若い人が自分のやわらかな新しいいのちを、無残にも戦地にさらすような社会を、望んではいません・・・」

この詩集に関連して、偶然よりも必然に近いタイミングで拝聴の機会を得た研究発表について、ご紹介したいと思います。

昨日、中央大学法学部准教授の西亮太さんの
「九州サークル村と森崎和江 炭鉱と労働運動、女性、そしてエロス」という研究発表がありました。(中央大学 政策総合文化研究所 公開研究会)

ポストコロニアル批評を本来とする西さんが、なぜ、森崎和江を読むに至ったのか。

エドワード・サイード、レイモンド・ウィリアムズ等の批評研究を通じて、炭鉱、労働問題、搾取、所有、etc. などの諸問題に興味を抱いておられたそうですが、エネルギーを使うことは、本来ポリティカルなものであるはずなのに、それが見えなくなっていた、その問題の大きさに、3.11以降、改めて気づかされたのだそうです。

被爆労働を前提とする原発が、クリーンエネルギーと呼ばれる違和感。炭鉱における危険や劣悪な労働環境、構造的搾取の問題、朝鮮人労働者の問題等に深く通じるものがあり、谷川雁らと生活を共にしながらも、谷川たちの(男性主体の)運動そのものに強い違和感を覚えていた森崎和江による、女性視点からの運動の総括(なぜ、谷川たちの運動が挫折するに至ったのか、という根元的な問も含めて)を、再読、精読する必然を覚えた、とのことでした。

谷川雁個人の資質もあると思うのですが、理想を掲げ、革新を目指して「連帯」する谷川たち(男たち)の「運動」の陰で、女たちは切実に、したたかに、生活の糧を得るための労働に従事していたこと・・・階級、民族、性差が別個のものとしてではなく、連続体として捉えられていた森崎の広範な視野について、今一度見直す必要があること。

女たちは自らの言葉で男たちや社会と「対話」する手段を拒絶されている、そこに森崎は問題の根元を見ていたのではないか、という西さんの指摘は、明解かつ鮮烈で、説得力がありました。谷川雁の(たぶんに男性社会が作り上げてきた既成概念に影響されたであろう)「ロマンティシズム」に基づくような「エロス」の概念と比較しながら提示された、森崎の「エロス」・・・両性の均等な立場における「対話」が心身を開いていく中から噴出するエネルギーとしての「エロス」、生命力の根源としてのエロスについての考察も、非常に示唆に富むものでした。

(男性中心社会からは、対話の対手としては)非在のもの、とみなされてきた女性が、男性の論理、思考回路、男性の言葉を用いて、男性中心社会の一員となって語る、という「社会参画」ではなく、女性が女性のままで語る・・・中村さんの言葉をお借りすれば、「女性が自分を生きる」中で成立する「対話」とは、男性が自然に基づく(社会的、外部的に押し付けられたものとしてではない)男性らしさを保ち、女性も同様に自然に基づく女性らしさを保ったまま、それぞれの個性に従って、自由に、対等に意思や想いを交わしあうことの出来る「対話」ということになるでしょう。

もちろん、旧来の家父的な社会制度は、かなり変化してきていますし、男性、女性という「括り」ではなく、性差を越えた、個人としての在り方、個人としての生き方が問われる時代になって来てはいますが、ゆるやかな「男性」「女性」という差異を一元化していくことが望まれているわけではない。

より多様な価値観を持った者同士が、同じ地平で言葉を交わしあうことの大切さ。社会的に、外圧として押し付けられた「性差」や「性的役割」ではなく、自ら選びとった、その人らしさ、としての立場に、人間本来の自然な在り方で立つことが出来るように、後方支援をするための「男性/女性」という差異・・・肉体的な性差からは自由な、男性性、女性性の共存、共闘を担保する性差について、改めて考えさせられました。

『女たちへ』土曜美術社出版販売 定価1000円

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by yumiko_aoki_4649 | 2017-12-10 11:39 | 読書感想、書評、批評
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