Yumiko's poetic pictures

yumikoaoki.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:随想( 19 )

轡田隆史先生の文章講座

 轡田隆史先生の文章一日講座(朝日カルチャーセンター新宿校)を受講しました。三月の講座に引き続き、
二度目の受講です。

 ユーモアに満ちた語り口に笑いを誘われつつも、随所にちりばめられた卓見を聞き逃すまい、と思わず
身を乗り出してしまいます。リラックスしながらも、なおかつ適度な緊張に満ちた、充実した二時間でした。

 印象に残ったのは、「ものごと」と「自分」との関わりを、いかにして「切実な体験」へと昇華させていくか
という課題を自らに課し、それを楽しみながら実践しておられる轡田氏の「方法」の数々でした。

 「他者」や「物事」、「場所」と関係を持つ、ということは、意識しなければ「通りすがり」の、自分にとってなんら意味を持たない対象として過ぎ去ってしまうであろうはずのものを、あえて自分にとって「かけがえの
ないもの」「感動や感興を呼び覚ます対象」として自らに引き寄せ、自らの記憶、体験、として記憶していく
ことであるはず。それを、黙って待っているのではなくて、積極的に関係を作り出しましょう。
あるシチュエーションに自らを置いて、その際に「どんな気分」が生じるか、その未知を、わくわくしながら
待ちかまえましょう。やってみなきゃわからない。行ってみなきゃわからない。わからないことを、わからない
ままに面白がっちゃう、そんな余裕が、人生を豊かにするんですよ。その為に、僕はたとえばこんなことを
やっています、こんな方法もいいですね、と、具体的な方策を例に挙げて、わかりやすく、正直に、熱心に
伝えてくださる、そんな講義だったように思います。
 氏の具体的な実践の数々は、実際に轡田氏の講義を聴講するなり、著作を読んでいただくのが一番
なので、ここではご紹介しませんが、漫然と過ごしていれば忘れ去られてしまう記憶、無かったことに
なってしまう「時間」を、明らかに在ったものとして自らの心に、そして他者の心に記録していくことが
文章を書く最大の効用である。それは人生をより深く、より濃く味わい深いものにする実践である。
その素晴らしさに気づいてもらいたいから、僕は誰にでもできる方法を探究し、提案しているんですよ。
・・・そんな轡田氏の生き生きとした情熱を、間近で感じることができました。

 特に印象に残ったのは、自分自身を「演出」する気分で、という言葉。行動する自分(肉体)と、それを
命じたり観察したりする自分(精神)、その両者が明晰に意識されているのです。自分(肉体)を「感動」が
引き起こされるであろう場に「持っていく」。ただその場に「置く」のではなく、何らかのアクションを課し、
その結果、自分(肉体)の中に起こる様々な情動を観察する。まずはそれが第一段階。その感動を他者に
伝えたい!と思ったとき、それが自然に言葉になる。文章を書く、ということは、そういうことでしょう・・・
 
 関係を「取り結ぶ」「切り結ぶ」という厳しい語感の言葉が、さりげない調子で現れることにも驚きを覚え
ました。自分と「自分を取り巻く世界」との関係に常に真剣勝負で向き合っていなければ、こんな言葉は
思い浮かばないのではないでしょうか。その「感動」を伝えるために、いかなる創意工夫をするか。
そのために本を読む。様々な名文に触れ、時には表現を借り、他の人にわかりやすく伝わるよう心を砕く。
その苦労と達成感が、いわば文章を書く、ということの醍醐味なのでしょう。
d0264981_2348366.jpg

 絶え間なく問い続けること、それが生きるということではないでしょうか、と講義を締めくくられたのですが
問う、という積極性、能動性こそが、氏の生き方そのもののように感じました。
 聴く、感受する、という受動的な方法に徹する生き方もあるでしょう。でも、待っているのではなく、自分から出かけて行った方が、「関係」の生じる確率が高まります。もちろん、傷つく可能性が高まる、ということでもあるけれども・・・。問いかけること、自ら飛び込むことによって、「関係」を作り出す。その「関係」によって生じた「個人的な体験」を、良きにつけ悪しきにつけ、他者に伝えるときに必要となるのが「言葉」。
 講義後の雑談の際、「言葉は、親にもらったものでしょう」と何気なくつぶやかれたことも、強く印象に
残りました。言葉は、父祖伝来のもの、一つの民族の歴史と文化を担うもの、一個人の私物ではない、
という、言葉に対する明確な意識が背後に感じられたからです。 
 意識して「書こう」とするだけで、人生が味わい深くなる。書くことによって、今の自分が見えてくる。
そんな轡田先生の言葉を実践していくためにも、自分のペースで書き続けたい、そう思いました。
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-16 23:56 | 随想 | Comments(0)

心の中に家を建てる

 自分の心の中に家を建てる。魂の居場所となる、美しい部屋を創る。そんなイメージを、いつしか抱くようになりました。
 自分の心という憩いの場、いわば「我が家」を、掃除し手入れし、美しく自らの趣味で整える。そうして自分の心の中に居心地のいい、自分の居場所を創る。そんな家なら、愛着もわき、大切にしたいと思うでしょうし、汚そうとするもの、乱そうとするものから、真剣に守ろう、という気持ちがわき起こることでしょう。人生で行き会った人々も、居心地のいい「家」の気配を感じて、その人の「家」を訪れたい、と願うことでしょう。
 昨今の子どもをめぐる環境や、イジメ、というよりも犯罪としか呼びようのない言動、ゆがんだ性衝動などの背景にあるのは、自暴自棄の心だと思います。自分を愛することを忘れ、整えることを忘れ、すさんだ家に帰ることも忘れて一時の享楽に身を任せる子どもたちが、これ以上増えませんように。
 壁には心揺さぶられた情景を額に入れて飾り、本棚には感動した本を並べる。訪れる人に合わせて、その人の喜んでくれそうなお茶菓子を用意し、楽しい会話に打ち興じる・・そんな夢想にふけりながら。
d0264981_227129.jpg

[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-07 22:15 | 随想 | Comments(0)

ここは日本ではな~い!

 残暑、とはいうものの・・・ほぼ40年生きてきて、こんなに暑い年があったか?と首を傾げたくなるような陽気。確かに、子どもの頃「体温より暑い」なんていう日があったような気がしますが、それでも、夕方から夜にかけては涼しかった。埼玉の田舎でこども時代を過ごしましたが、夜はうるさいくらいにカエルが鳴き、虫が鳴き・・・冬はしもやけに悩まされた。
 そういえば、高校生ぐらいの頃から、霜柱を見なくなった気がします。サクサクと踏みつぶすのが楽しい、という年ごろを卒業した、というだけのことだったのかもしれないけれど・・・自分が楽しい、と思わなければ、目に入らない、ということもあるだろうけれども・・・
 じわじわと温暖化が進行しているような不気味さを、肌で感じている次第。

 あまりにも暑い!ので、ここは日本ではない、アフリカだ!と念じながら寝たら、明け方の夢うつつ、まだ覚めやらぬ刻に、ヴィジョンのように浮かんだ景。実際は、もっと鮮やかで、もっと美しかったのだけれども・・・仕方がない、これ以上は手に負えず。色あせた夢の絵です。
d0264981_1047144.jpg

[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-31 10:49 | 随想 | Comments(0)

山本 美香さんのこと

ジャーナリスト山本美香さんの訃報に、どうして・・・と絶句。予測できないのが戦場とはいえ、もどかしさや無念さばかりがつのります。
思い出した詩があります。谷川俊太郎作、千羽鶴(『生きていてほしいんです』所収)

感傷の糸につながれて
鳴かず
飛ばず
ただそよかぜにゆれて―
あまりにはかない祈りのかたち
千人針を縫った手が
性こりもなく千羽鶴を折る
ああもどかしい日本!
千羽は無力万羽も無力
あの巨大な悪の不死鳥と戦うには

もう折るな不妊の鶴は
祈るだけでは足りない
誓うだけでは足りない

・・・そして、「伝えずにはいられない」と「行動」した山本さんが、凶弾の犠牲になってしまった。
「悪の不死鳥」によって故郷を戦場にされた人々の想いを、現状を、特に女性や子供たちの状況を伝えなければならない、と山本さんは決意しておられたのでしょう。折る、と祈る、という文字が、同じかたちに見えてくるのが切ない。
ロバート・キャパの自伝を読んだ折に、自分の両脇に居た兵士が死んだ、という極限状況を、淡々と記しているのに仰天しましたが・・・山本さんのお父様が、「素晴らしいジャーナリストでした」とコメントしておられたのが、痛みとなって胸に残りました。

戦争は、「人と人とのいさかい」から始まるのでしょうか。武器商人や、土地や市場を狙う資本家たち、思想や宗教にかこつけて権力を欲する支配者たち、体面を守り、自分の利益を守ることに汲々とする指導者たちが、戦争を利用して自分の欲を満たそうとしているようにしか思えません。

平和な日本に暮らしているとだんだん感覚がマヒしてきますが、世界のあちらこちらで未だに戦争が続いている、という現実を、しっかり受け止められる子どもに育ってほしい。・・・と思うと同時に、危険な目に合わせたくはない、という自分勝手な願いも抱いてしまいます。山本さんのご両親の無念は、いかばかりか・・・

彼女の伝えたかったことを、子どもたちに伝えていくことこそが「冥福を祈る」行為だと思います。
金銭や欲得に流されることなく、正義、という相対的かつ人工的な「ただしさ」に惑わされることなく、平和を強く願う子に育ってほしい。まずは山本さんの書いた本を読むところから・・・。d0264981_2254889.jpg
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-26 22:11 | 随想 | Comments(0)

想像力

 いじめ、水害、脱原発・・・もどかしいけれど、自分ではなんともできないニュースばかりが続いて、心が重くなります。
 大人社会でもイジメがあるのに、子ども社会にはそれがない、と考えること自体がおかしい。むしろ、からかったりふざけたりしているつもりなのに、それがエスカレートして歯止めが利かなくなる、という、子ども社会特有の残酷さに、大人が気づいてやらなければいけない。自分の行為がからかいなのかいじめなのか、気づかせるためには、相手の身になって考える、という想像力が不可欠でしょう。子どもの頃に、知識詰め込みのクイズのような勉強ばかりしていると、想像力に乏しい子どもに育ってしまうような気がしてなりません。
 離れた土地の災害について思いを馳せたり、エネルギー政策について考えたりする力も、想像力。空想力をいかに身に着けるか、といったら・・・子どもの頃のごっこ遊びや、物語や絵本に親しむ、ということのほかにないのではないか、と思います。
 薪や水車が石炭に代わり、やがて石油にとってかわられていったように、いつか原発も自然エネルギーにとってかわられていくであろうことを願ってやみません。私たちにできることは、悲劇や危険を忘れないこと、語り伝えること、立場を変えて想像してみること。d0264981_10411576.jpg
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-17 10:42 | 随想 | Comments(2)

カラスに笑われました

d0264981_921637.jpg
 生ごみを出す日になると、まるでカレンダーをチェックしているかのように、カラスたちが集まってくるのですね。そして、ごみの上の網のかけ方がいい加減だったり、外にはみ出していたりすると、それっとばかりに突っついて散らかすのです。
 リュックのチャックを開けて、ポテトチップの袋を器用に開けて、中身だけきれいに食べたツワモノもいましたが・・・カラスはお腹を壊さないんだろうか、とか、そこまで頭がいいのなら、食べた後にきちんと片付けていってくれ、とか、文句の一つも言ってやりたくなります。
 今朝もごみを捨てに行ったら、カラスが一羽陣取っていて、生ごみを品定めしています。生クリームのポーションカップが、特にお気に入りらしい。なかなかグルメです。半分腐った野菜なんかは、手も(くちばしも)つけずに放り出したまま。至近距離に近づいても一向に逃げない。腹を据えて「おいっ!」と叫んだら、数メートル先の電線に止まって、「は、は、は、は、は・・・」とカラス笑い。しぶしぶ散らかった生ごみを片付けて網をかぶせ、ふと上を見上げたら、夫婦だか親子だか、仲睦まじいカラスが二羽、くちばしをからめあってのろけていました。アホ~!
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-07 09:02 | 随想 | Comments(0)

またイジメのニュースです

 テレビの報道で、中学二年の少年が命を絶ったことを知りました。
 なぜ、イジメが起きるのでしょう。報道を見ている限りの私見ですが、先生や学校側の黙殺が、イジメを助長し、周囲の子どもたちを沈黙させ、少年を追い込んで行った様子が見えてきて、胸が痛くなります。
 私が五年生の時、○○菌が付いた~と、○○さんが触れた机や椅子に触らない、というような「イジメ」がありました。最初は鬼ごっこの延長のような、本当に他愛無いものでしたが、いつでも○○さんだけが「鬼」にさせられるのは、やはりおかしい、と感じました。そこで、「触らない側」から離れ、○○さんと一緒にいるようにしたとたん、「点取り虫」やら「(いいこ)ぶりっ子」などと言われ、私もクラス全体から「シカト」されたり、日記を盗まれて回し読みされたりしました。自分が「からかっている側」にいる間は、大したことだとは感じない。でも、「集団にからかわれる少数者」になったとたん、孤独感と絶望感に打ちのめされそうになりました。当時、急性胃炎になって内科医を受診したのですが、先生は聞き上手で、親にも先生にも話せなかったクラスの状況を、その内科医の女医さんにだけは話すことができました。そして、話しただけで、たいした薬も飲まないで「病気」は治ってしまったのでした。その後、担任の先生に勇気を持って打ち明け、先生が上手にフォローしてくれて、集団イジメというか「集団によるからかい」は消えていきました。
d0264981_971570.jpg
 
 子どもの心は善でも悪でもない。同じ感情が、他者に対する尊敬や憧憬になったり、ねたみやそねみになったりします。自分自身に自信や誇りを持っている子ども、あるいは、将来に対して何らかの希望を抱いている子どもは、素直に他者を認め、自分も頑張ろう、と前向きになれる。でも、将来に対して希望を持てない子どもは、卑屈になり、他者を攻撃することで腹いせや八つ当たりをしたりする。そんなことから、イジメが始まるのではないでしょうか。
 他者の立場になって感じたり考えたりする「想像力」も、イジメをなくしていくためには大切でしょう。
 子どもたちが希望を持てること。自分に自信を持てること。他者の感情を想像する心の豊かさを持つこと。自分の行為が、「からかい」であるのか、「イジメ」であるのか、自己判断できる良心を持つこと。
 絵本や童話は、子どもの心に一番近いメディアです。子どもたちが自分の心を見つめ直すことができるような上質なものが、子どもたちの身近にあることを願ってやみません
にほんブログ村 イラストブログ オリジナルイラストへ
にほんブログ村 ←よかったらここをクリックしてみてください
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-05 09:12 | 随想 | Comments(0)

沖縄全戦没者追悼式に思う

金城さんの素晴らしい詩を聞いて、青い海の底からすくいあげた「声」を、白い砂浜にそっと置いていく、そんな印象を受けました。・・・失われた声を汲み取り、代弁し、引き継いでいく、という新たな決意とともに若者の志を提示する、金城さんの美しい言葉の後に続いた野田総理の言葉が、白々しく色あせて聞こえました。
「声」に耳を澄ますこと。聞く心を持つこと。今の、そしてこれからの私たちの、共通の課題です。d0264981_14503830.jpg
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-23 14:52 | 随想 | Comments(0)

からっぽの王様

政治ニュースを見ていると、私たちはいったい誰に自分の将来を預けているのだろう、と恐ろしくなります。子々孫々に至るまで幸せに暮らせる世界を、真剣に考えてほしい、と思います。子どもたちが、自らの力で政治を選択する知恵を身に着けられるように手助けすること。それが、今現在の私にできること。
d0264981_14165215.jpg

[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-21 14:18 | 随想 | Comments(0)
line

詩や詩に関わるものごとなど。


by yumiko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite