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カテゴリ:詩、詩論( 18 )

今月の「詩と思想研究会」提出作品

網を張る


おおきくはりめぐらせた網に 朝露が重くゆれている 八本の
足の爪の先まで すべてを目にして ひきよせられてくるもの
を待つ

きのう捕えたかげろうの 秋空を薄く カミソリで削いだような
薄翅は あらゆる色を映しながらも 留めることを知らない薄い
皮膜に過ぎなかった 糸でからめとり 体液を吸う のどもと
を過ぎていくのは メロンジュースのようなみどりいろ

網のふるえが爪先から腰を抜けて腹の底に届く 暴れる蝶の
鱗粉は 角度によって色を変える虚飾の泡沫でしかなかった
掴もうとすれば 網の隙間から落下していく ほしいものは
基盤と骨組み 起点を束ね翅を羽ばたかせる 胸の筋肉

破られていく網をまたぎ越して 入念に糸をかける 二度と
飛び去って行かないように それから胸もとにねらいを定めて 
口もとの針を打ちこむ とかされのどに流れこむのは ブラッ
ディオレンジと梅の芳香 それから胆汁のような底冷えする味

翅の力も借りず 風の力にも頼らず やわらかなからだの
内実のみで 空を飛ぶことはできないものか ふくらんだ腹を
ひきずりながら 網を手放せば落ちる重い肉体を想う

大地に打ちつけられる前に 私は糸を放つだろう のどもとを
過ぎていった肉が とけあい変容し 透明な粘液となって中空
に産み出される 風がそれを糸に変える 腹の先に連なる糸が
からだを空の高みへと運び上げる

私を充たすものよ 飛びこんで来い 飛ぶに不得手な不器用
な翅を せわしなくばたつかせて まるまると肥えた うまそう
な腹を 空の陽にさらけだして 自分の力で飛ぶものの肉に
私は 飢え 餓えている

研究会6月(講師・詩友の講評を得て、若干改稿しました)
本来は縦書きです。
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by yumiko_aoki_4649 | 2015-06-28 11:29 | 詩、詩論 | Comments(0)

陽だまり(『詩と思想詩人集2015』)

石が息をしていた
たどたどしい手つきで
タオルの上に寝かしつけて
娘が小さなふとんをかけてやる
添い寝する娘のかたわらで
ゆっくり育っていく河原の石

膨らんでいく石の腹に
記されている火の記憶
幾重にも刻まれた傷痕
内から開かれるにつれ
こぼれ落ちていく文字

指先で触れるたびに
私の芯で沸騰するものがある

息でぬくめられた小石
じっとみつめていると
しだいに溶けて丸く窓が開いて
引きこまれていく脈動する闇
くらやみの中で星がひとつまたひとつ
生まれ耀く瞬間を見る

耳の中で息が膨らんでは閉じ
娘の匂いがくびすじをすべり
つなぐ手をのばそうとしても
私のからだの見つからぬ安息

カーテンのふくらみから
降りてきた光の中で
娘が静かに目を開き
石をタオルにくるみこんで
タンスの引き出しにしまう

眠りから解き放たれた文字が
光の中を浮遊している
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by yumiko_aoki_4649 | 2014-12-04 14:36 | 詩、詩論 | Comments(0)

詩とファンタジー 秋号

詩とファンタジーの秋号に「放流」という詩を載せていただきました。
どなたが絵を描いてくださるのだろう、とワクワクしながら待っていました。

さっそく、届いた秋号を開いてみたら、味戸 ケイコさんの、神秘的で奥行きのある絵が!
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水の底のようでいて、宇宙にたゆたっているような暗さと安らぎ、一抹の淋しさ・・・。

放流

金魚がするりと逃げていく
あなたがすくいあげてくれると思ったのに
さよならも言わずに行ってしまった
激しくふるえる胸を開いて
からっぽの水槽に水を汲みいれる
わずかに積もる砂の上に
残された卵を探す

あなたの井戸は
地球の芯に届いているから
きっと涸れることはない
ふつふつと砂を巻き上げるあなたの
胸の中にいくら指を差し入れても
やわらかくからみつくのは
生ぬるい水の流ればかり

ひび割れた水槽から
少しずつ水が漏れだしていく
もう逃がしてやりましょう
透き通って世界を映す粒々を
閉ざされることのない場所で
おまえたちだけはせめて
好きなところに泳いで行けるように

水槽の縁に触れた指の
腹からいつのまにか滴りが落ちて
湿った砂地に吸いこまれていく
私は私の手で始末をつけよう
あなたとの間に横たわる川に
すくいあげた卵をそっと
とき放つ

他にも素敵な詩や絵がたくさん載っているので、書店などで見かけたら手に取ってみてください。
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by yumiko_aoki_4649 | 2014-10-17 15:59 | 詩、詩論 | Comments(0)

炎天

燃え盛るカンナの中を
一本の直線が
のびて のびて
おまえの大きな靴が
自分一人の影を踏み抜いていく
入道雲をかき分ける大きな手のひら
一年で五センチも伸びたTシャツの背に
世界地図が滲んでいる

おまえが振り向かなくなったのはいつから
歩幅が釣り合わなくなったのはつい先ごろ
戯れるようにいなくなって
背もたれのように戻ってくる

おまえのまぶしさは
本から文字を払い落として
世界を名付け直すその手振り
歩み入る孤独な平野から
持ち帰るしたたりが
部屋をうずめ
家を満たす

窓を開けよう
光を導き入れるおまえが
あふれかえるものに溺れないように
流れ出す新しい姿が
燃え盛るカンナの中に
まっすぐ道を拓いていく
もう手をひかなくてもよいのだ
私は刻まれた足跡をくずさないように
過ぎ去った影をかたわらに感じながら
赤土の道を歩き続ける

ユリイカ9月号 投稿欄入選

日和さんの選評が、温かくてしかも伝えたい事を見事につかんでくださっていて、とても嬉しかったです。
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by yumiko_aoki_4649 | 2014-09-13 21:49 | 詩、詩論 | Comments(0)

手紙

抱きしめても抱きしめても抜けがら

月光が薄く流れ込む部屋
鏡台の引き出しから取り出した手紙
文字に折りたたまれた笑顔は
鏡から引きはがされた断片
つなぎあわせても綴じあわせても
あなたの目が映していた私を
取り戻すことができない

重なりあう三面鏡の浅葱色の道の奥に
あなたのやわらかな絵筆がひかっている
私のりんかくを埋めていった
なめらかなセーブルの穂先
置き忘れられたものを
ふり返ることもせずに
ガラスの扉を閉じてしまった

 あなたがつぶてを浴びている時
 私は羽毛ふとんの中にいました
 不用意に取りこぼした
 角張った言葉のかけら
 私の落として行ったものも
 その中にあったはずです

耳をふさぐ闇の底で
かすかに鉄錆びが臭う
水の流れる音がする
あるいは血の川かもしれない
手紙を舟に折り直したら
水脈に浮かべられるだろうか
ほんとうの想いがそこにあるなら
舟は流れをさかのぼり
源を探り当てることができる
舟があなたの元にたどりつくまで
私は息を吹きかけ続ける

『ユリイカ』2014年8月号入選
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by yumiko_aoki_4649 | 2014-07-31 22:26 | 詩、詩論 | Comments(5)

光の窓

こぶしの花がほぐれてゆく
記された文字をたどるように
花びらをなぞる光の指
仰ぎ見る枝に切り取られた空が
しめった黒土の上に落ちて
無数の光の窓が生まれる

明るさを踏んで歩きながら
花の吸い上げていくものに耳を澄ませる
胸に耳を寄せたときの 力強い鼓動
その向こうに流れのぼる 懐かしい気配
眠りのたびに 私のかたわらを流れ行くもの

こぶしの木の内をめぐり
私の肌の下を走り
青空の果てまでのぼりゆくもの
幾億年の時の記憶が
私の芯に折りたたんでしまわれている
それを開いて見せるのが
母と名付けられた者に
課せられた役目だと知りながら
すぐに破れてしまう薄皮を
広げのばすことができない

戯れていたこどもたちの
やわらかく湿った指は
ほどかれて既に遠い
母である必要はもうないのだと
がらんどうのからだを樹の陰に寄せる

名を脱ぎ捨てれば
身に言葉を記すことが出来るだろうか

重みに耐える空の下で
文字が静かに開かれていく
光が私をとかしていく
したたりが水面に落ちて
波紋がひろがる

『ユリイカ』2014年6月号 入選
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by yumiko_aoki_4649 | 2014-05-28 16:15 | 詩、詩論 | Comments(0)

星を産んだ日(詩と思想新人賞入選作品)

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詩を書き始めて、比喩、ということの意味を、初めて真剣に考えました。
伝え得ないこと、を、なんとか他者に伝えようと苦しんだりもがいたりする。それが人の宿命であるなら。
自分にしかわからないことを、どのように他者にもわかる言葉で伝え得るか、ということを探るならば。

比喩、その大切さ。

考えてみれば、聖書も仏典も、たとえや比喩によって、真理を語っているのでした。

喉から手が出るほどに、他者と共有しうる表現、が欲しい。伝える、ために。(実際に、喉から手がでるイメージが浮かぶと、いささか戦慄しますが・・・)

「星を産んだ日」は、自分の伝えたいこと、を掘り下げて行ったときに、最後に残ったテーマです。
詩と思想新人賞に応募し、初めてながら入選に選んでいただいた、今、一番大切な作品でもあります。

火の塊が私の中を降りる
押し開く力に息をあわせ
覚悟という言葉を押し出す
引き裂かれる痛みが全身の骨を走り
あふれこぼれて 皮膚の内に張り詰める
全ての緊張が一息に流れ出した瞬間
心臓をむき出したような赤い産声が響いた

汗にまみれた白い分娩台の上で
しわしわで赤い火の玉を胸に抱く
胎脂でべたべたの手足でもがき
小さな口を大きく開けて
乳首を求めて挑みかかる
吸い上げられて再びつながる
母と子の ふたつのからだ
ざわめいていた心が静まり
小さな口めがけて流れこんでいく

広げた両手にすっぽりおさまる
わずか2640グラムの重み
手足をそっと のばそうとしても
ばねのように力を弾いて
すぐに丸まってしまう

私が思わず指で触れると
すばやく小さな手が動いて
ぎゅうっと熱く握りしめた
その時 私の暗く深い場所から
熱く逆巻くものがほとばしり
押し寄せる黒い流れと一体となって
私を包み 通り過ぎていった

洗い浄められ
真白い産着に包まれると
たちまち人の顔となる不思議
寝入る息にリズムをあわせながら
内から火照るように沸き起こる記憶に
そっと心の指をひたす

あのときふたりを取り巻く大気が
ぬるく温かいものとなって
わたしたちをくるんでいた
闇の中で熱く燃える火の玉が
しだいに白く輝きを増す
無数の点滅する光の中で
ひとつだけがぐんぐんと膨れ上がり
私を呑みこむ のみこまれる

黒い流れのただ中にいて
いのちの周りだけ ほうっと明るい
指をつかむ小さないのち
どくどくと赤い律動
赤ん坊の私が私の指をつかみ
私の母が指をつかまれ
またその母へ
闇の中にのびていく
赤い 一本の流れ

握りしめる握力の内に
保たれてきた脈動の記憶
その流れの中に
私は今も 包まれている
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by yumiko_aoki_4649 | 2014-01-02 17:38 | 詩、詩論 | Comments(4)

『青衣』138号収載「現代詩を考える 1」を読んで

*詩誌『POCULA』16号に載せていただいたエッセーの抜粋です。
 
 日本の「詩歌」は、和歌(やまとうた)と漢詩(からうた)との両輪からなる韻文として発展してきました。外来文化の象徴であり、教養水準のバロメーターともなった漢詩に対して、「人の心を種として」生まれ出る和歌は鳥が鳴き蛙が歌うように、歌わずにはいられない人間の本性に根差した、日本古来の文化として理解されていたようです。
 漢詩は見て意味が解る、いわば視覚的要素の強い詩文であり、読んで、それから朗誦する詩です。一方、和歌は聴いて判る、いわば聴覚的要素の強い詩文であり、詠い、聴く詩です。私たちはつい忘れがちですが、もともと日本には、それぞれ役割を異にする「読む詩」と「聴く詩」が併存し、しかも相互に翻案したり意味を写しあったりする、という密接なかかわりを持ち続けてきました。そして、漢詩と和歌の双方が知識人の基礎教養を形作る、という精神文化が、戦前まで存在していた、と思われるのです。

 大正元年に大学生となった西脇順三郎は、海外文化の摂取を経て、「純粋芸術はリズムを拒む・・・むしろリズムが美であるがため拒む」と詩論を展開し、韻律を持った「聴く詩」からの離脱を宣言しました。もともと画家志望であり、黒田清輝主催の白馬会に入会した経緯も持つ西脇は、視覚の人であった、と言えましょう。後にシュルレアリスム運動の中心人物となることもうなずけます。西脇の主張する「うた」からの離反は、単なる「韻律」からの離脱ではありません。「うた」の氷山の、いわば見えている部分を純粋に取り出す行為です。見える部分と見えない部分との相互浸透を拒否し、見える部分のみの純粋な自立を志向した、とも言えます。
 あるいは、次のような比喩で言いかえることが出来るかもしれません。「詩」は「歌」あるいは「響き」を母として、「イメージ」を父として生まれる子供です。聴覚は主に感性に関わり、視覚は主に理性に関わります。この比喩に従うなら、詩の「うた」としての側面は「母」(感性)から、思想性、想像性は「父」(理性)から受け継いだもの。西脇が目指した詩と音楽性の分離、あるいは音楽性(という感性的な美)の拒否、という実践は、「うた」という音楽性の母体(感性)から、父に極端に憧れた「息子」(現代詩)が、自立し独立しようとして示した「詩の反抗期」ということになります。
 「現代詩」が「成人」し、自立を果たした今、詩は父となるのか、母となるのか、自ら選び、その選択にふさわしい資質を身に着けていく時期に来ていると思います。父でもなく母でもない、モラトリアム世代ばかりが増えれば、子は産まれず「詩の家」は崩壊するでしょう。どちらか一方ばかりでも衰退します。
 いわゆる自己充足的な抒情詩、ポエム、が大量に生み出される一方、思想性、想像性と密に組んだ、一人格として自立性を持つ抒情詩が数えるほどしかない、というのは憂うべきことです。城戸朱理氏が『詩の現在』の中で「平明な詩への傾斜、それは・・・メタファーを主要な方法としてきた「戦後詩」が、その有効性を終えたあと語るべき主題を失って個人的な感慨を語る抒情詩に解体されていったもの」と喝破しているのは、現状において正鵠を射た抒情詩批判でありましょう。他方、難解、芸術至上主義、などと呼ばれる「父」となるはずの言語派の詩も、自己充足の自慰行為を繰り返すばかりで、「母」となるはずの抒情詩と手を結ぶことを恐れたまま迷走を続けているように見えます。人間の感情から遊離した「純粋芸術」に、感性の喜びはあるでしょうか。理性の充足はあるにしても・・・。
 言語派モダニズムの詩が、歌としての、音楽としての資質を保ち続けている抒情詩の側に歩み寄った時こそ、新しい詩が生まれ、育っていくのではないでしょうか。見えないものを観る理性と、聞こえないものを聴く感性双方が悟性によって結び付けられ、止揚された次元にこそ、新たな可能性が生まれる、そんな気がしてなりません。
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by yumiko_aoki_4649 | 2013-09-02 10:41 | 詩、詩論 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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