Yumiko's poetic pictures

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カテゴリ:美術展感想( 13 )

ブラティスラヴァ世界絵本原画展

ブラティスラヴァ世界絵本原画展(2011年第23回展)に行ってきました。
第1部:受賞作品、第2部:日本の出品作品、第3部:スロヴァキアの作家紹介、第4部:日本のしかけ絵本。
グランプリのチョ・ウンヨンの作品は、韓国の民画の伝統を彷彿とさせるようなのびやかな描線と、西欧風のデッサンによる描線の混交した画風。アバンギャルドな背景の上に、アニメーションで使うセルのような透明なフィルムを重ね、そのフィルムの上にアクリル絵の具で登場人物を描き、ひっかいたり色を重ねたりして細部を描いていく、という技法が目を引きます。即興性と周到な計算とが同時に存在しており、色数を抑えた全体のバランスや、素朴な形態と動きに富んだ馬の描写が印象に残ります。老人と女の子が競馬場に出かけていく、という設定の面白さや、新規さがだんだん薄れていくにつれ、女の子の目に映る個性豊かな馬たちが、だんだん没個性の競走馬に変化していく過程、最終的に、自分だけの馬(ぬいぐるみ)の存在感の再確認、というストーリーの展開も丁寧だったと思いました。個人的には、作家の個性が強烈に出すぎていて、読者の好みは大きく分かれるだろう、という印象を持ちました。(ポスターの作品)
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受賞作は皆、東洋的なエキゾチシズムや実験的な手法、デザイン的な新規さなど、「今まで見たことのない」「珍しい」という視点で選ばれているような印象を受けました。日本からの出品作も、受賞傾向を意識しているからでしょうか、個性の強い作家たちの作品が目を引きました。
その中で、子ども審査員賞を受賞したいまいあやのさんの作品が、ぬくもりのある、柔らかで丁寧な描線や色彩で、ほっと心和む空間を作り出していたように思います。とてつもなく大きな靴や小さな靴、という極端な画面構成も、画面上の面白さを狙ったもの、というよりは、話の展開に無理なく合わせた結果生まれた画面、という印象を受けます。
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第3部では、特にカーライの原画に強く惹かれました。もっとずっと大きな画面、というイメージを抱いていたのですが、ほぼ原寸大の、精緻な画面。白を効果的に使っているので、圧迫感や濃厚さは感じませんが、テンペラによるミニアチュールのように細部まで描きこまれ、何重にも色を重ねて仕上げられた画面の重厚さを間近に見ることができました。d0264981_8574459.jpg
第4部で驚いたのは、昭和32年の鉄腕アトム。赤と青のセロファンを張った眼鏡を通して見る、今でいう3Dを、あの当時すでに試みていた、とは・・・。きのとりこさんや駒形克己さんなど、絵本というよりは工芸作品と呼んだ方がいいような繊細かつスタイリッシュな作品、宇野亜喜良さんの神秘的な画風や長谷川義史さんの溢れ出すような勢いを生かした仕掛け絵本など、子どもともども、大いに楽しんだり感心したりした美術展でした。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-23 09:06 | 美術展感想 | Comments(0)

大英博物館古代エジプト展

 六本木ヒルズの古代エジプト展に行ってきました。目玉は、現在世界最長とされる『死者の書』の一挙公開。全長37メートル、精緻に描かれた線と色彩の整然とした群れは、圧巻です。
 『死者の書』とは19世紀のエジプト学者による命名で、実際には「(魂が)日のもとに出ていくため(の呪文)」と呼ばれていたとか。人間は死後どのような場所に行き、いかなる試練を経て「永遠の生」を手に入れるか、という、古代エジプト人の死生観、復活観が凝縮された美しい資料です。
 死後、死者は冥府の神オシリスの前で審判を受けます。40項目以上の「私は~をしなかった」という宣誓をしなければならないのですが、盗まなかった、詐欺を働かなかった、あたりはともかく、悪口を言わなかった、とか、誰も泣かせなかった、などになってくると、「普通の人間」には、ちょっと無理でしょう、という気もしてきます。同じことを古代エジプト人も心配していたようで、「私は~をしなかった」という宣誓の場で、もしウソをついてしまったとしても、自分の心臓が「この人間は虚偽の証言をしました」と言わないようにするための呪文、などというものまであるところが、実に人間くさくて親近感がわきました。
  「私は自分の心臓を食べなかった」という宣誓項目に驚きました。古代エジプトでは、悲嘆にくれることを、自分の心臓を食べる、と表現していたようです。今でも胸を引きちぎられるような悲しみ、というような表現をしますが、心臓を食べる、というイメージの鮮明さと、それは魂の復活を妨げるものである、という明確な意識がある、という部分に、非常に興味を覚えました。
 
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「死後の復活」を信じている世界において、死後の世界を語ることは、いかに生きるか、ということを語ることでもある。死後の世界が、生き方のクオリティーを支えている、と言ってもいいでしょう。世界中に様々な宗教・文化があり、それぞれに独自の死生観や復活観があります。類似している部分、異なっている部分を精査していくことで、生き方の文化の理解にもつながってくることのように思いました。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-25 09:48 | 美術展感想 | Comments(0)

クライドルフ展

クライドルフ展に行ってきました。流麗かつ繊細な線、丁寧な彩色。19世紀後半から20世紀前半、という時代ながら、まったく古さを感じさせません。柔らかな写実を追及した「オトナ向け」の絵も展示されていましたが、その写実の先に展開する、「擬人化された生き物たちの世界」の豊かさに、しばし時を忘れました。
アーサー・ラッカムの妖精画に近いものを感じますが、クライドルフの線はより簡潔で、日本画的な印象をすら受けます。
人間臭い、ユーモラスな昆虫のそぶりや、顔や手足のついた草花の世界は、擬人化、という言葉の用法に当てはまりません。大人が子どもの為に「わかりやすく人間になぞらえて語る世界」が擬人化された表現、であるなら、クライドルフの世界は、あらゆるものが自ずから語りかけてくる幼年時代の再現、あるいは幼心を通して見つめた世界の正直な表現、ということになるでしょうか。子どもの頃に羽目板の節穴に顔を見つけてドキッとしたり、空の雲に顔を見つけたりしたときの感覚に近い、肌なじみのよい、どこか懐かしい世界です。渋谷Bunkamura、7/29日まで。d0264981_17463444.jpg
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-26 17:48 | 美術展感想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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