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カテゴリ:読書感想、書評( 17 )

中島真悠子さんの 『錦繍植物園』

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 血だらけの「あなたの指」が、「私の皮膚」を剥ぎとって、夜ごと刺繍していく・・・タイトルポエムの「錦繍植物園」を読みながら、白い肌の上に熱帯性の植物の蔓や毛根が繁茂していく眩惑に、しばし捕らわれていた。イメージの生々しさに圧倒される。
 「あなた」とは誰だろう。夜になると中島の元を訪れる、もう一人の私(「ハイド」「水棲の部屋」)。見えざる者たちに囲まれて「繕いをしながら/朝と夜を溶け合わせることを目論んでいた」私(「閉ざされて」)。「私に連なる幾千の父母が湧き出る」断崖の上に立つことが出来る私(「心臓」)。内なる異世界を痛々しいまでに鮮やかに感じ取るもう一人の「私」が、今ここで詩を書いている「私」の姿に重なっていく。
 処女詩集である本書は目を射ぬく鮮烈な映像が印象に残るが、著者の語り方は静かで、なめらかな日本語の語感が美しい。永続する生命や、いのちの原初的なエネルギーといった「本質」に果敢に取りくみながらも、中島のもうひとつの世界への入り口は、身近な虫の蠢きや庭先の植物の生長といったささやかなものに開いている。
 たとえば、「岸辺の石を裏返すように/昼を裏返すと/幾千の蟲が湧いてくる」と始まる「蟲の夜」。都会の夜景が、蟲たちの明滅する眼を想起させた瞬間、「地球の外で石を裏返す」ように昼を裏返すひと、の存在が立ち現れる。「いまだ光の届かない星よりも遠く深い場所で/私たちすべての臍の緒が/結ばれている」ことに想いが至るとき、私たちはひとつの大いなる〝母体″に連なる胎児となる。
 あるいは、種を蒔いて育てると、新種の植物としてのファルスが、巨樹となって屹立する「種」。エロティシズムを喚起する「性」からは切り離され、「大地は宇宙をそなえて/はろばろと男根を育てる」というのびやかな風景に驚きつつ、「私」は自らが「新種の種」であり、「熱く 私から生まれたがっている」ものがあることに気づく。読者は中島の世界にいつしかとりこまれ、再生の予感の内に、生命力そのものを目撃するのである。
 生と死の繰り返しの、その堆積の上に〝今″がある。普段私たちは、過去との連続性を特に意識することもなく日々を過ごしているが、ひとたびその連続が断ち切られるような災害に遭遇したり、自身の生が脅かされるような状況に陥った時、現代人は自らの生の寄る辺なさと文字通り対峙させられる。中島は過去や世界とのつながりを現代に呼び覚まし、鮮やかに描き出すことで再認しようとしている。それはどこか、シャーマンが担ってきた役割にも似ている。
 神話化された世界で精霊のような兄と妹が語り合う「沈む家」の、「海もまた見えない舌でいっぱいなのだ」という一節が、生々しい実感を伴って胸に残った。押し寄せる白い紙片の海に充満する「舌」は、過去に記された死者たちの声が、中島の内で再び生を取り戻し、謳い出す様を予感させる。
 私たちはつながっている。その生命の力を可視化しようとする意識が、詩集の芯を貫いている。繰り返しの中で永続するいのち、その様相を、心眼で鮮やかに目視する詩人の登場を祝したい。

詩集『錦繍植物園』 中島真悠子著 土曜美術社出版販売 定価(本体2000円+税)
『びーぐる』23号書評欄掲載
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by yumiko_aoki_4649 | 2014-06-12 18:11 | 読書感想、書評 | Comments(0)

谷川俊太郎『こころ』について

「なおも、いのちは続いていく」 

 黒い四角の中にポッカリ空いた光の穴、その中で、手に持った「なにか」を一心不乱に見つめながらうずくまる男の子。母体の中の胎児のようにも、「向こう側」の世界へ通じる通路のようにも見える、印象的な表紙である。帯には、心は、どこにいるのだろう、と記されている。ある、ではない。集中から採られた一節だが、物、としての心を問うのではなく、生き物である「こころ」に向き合う詩人の姿を、もっともよく表している言葉ではないだろうか。
 新聞連載、という性質上、小学生から老いを迎えた人々にまで、万人に届く言葉で綴られているが、ココロとアタマ、カラダ、そして魂を、それぞれ独立した感覚器官としてとらえ、その声に耳を傾ける谷川ならではの自問自答が、全篇を貫いている。若い読者を意識したのであろうか、問いかけの後に答えを用意した丁寧な作品も多い。
 五年に渡る新聞連載中、東日本大震災が起きた。時系列で並べられた作品は、そのとき、を越えてさまよい続ける谷川自身の「こころ」を、ロードムービーのように映し出す。震災直後に書かれたという「シヴァ」。言葉を失い、思考停止を余儀なくされた詩人の脳裏に浮かんだのは、破壊と創造の神、その怒りの姿だった。高踏的と感じる読者もいるかもしれない。しかし、あまりの衝撃の大きさに、ただ無言でテレビ画面を見続ける他、なすすべがなかった当時の多くの人々にとって、天の怒りか、という詠嘆もまた、実感として思い起こされる記憶である。(なお、この作品は執筆直後ではなく、2013年の3月11日に発表された。)
 その後、「言葉」という一篇が生まれた。言葉にし得ない惨状に、言葉でしか向き合えない者はいったいどうすればいいのか、という真摯な問いかけは、「瓦礫の下の大地から」発芽する言葉、を発見していく。詩人は、「言い古された言葉」が、「新たな意味」を帯びて蘇生するのを目の当たりにする。祈りの発見、と言い換えてもいい。やがて、詩人は被災地で無数に交わされた「ありがとう」の深さを拾い上げ、生きることへと願いを運んでいく。「遠くへ」は、集中もっとも切実な哀悼歌であろう。いのちが生まれ、また帰っていく場所へ、せめて心だけでも辿り着くことを希求する鎮魂の歌。
 その後の生へと思いを寄せて、詩人の旅はひとまず閉じられる。読者もまた、詩人と共に自らの「そのあと」を想い起こしつつ、この詩集を閉じることだろう。続いていくいのちの営みを、静かに鼓舞する詩集である。

朝日新聞出版 1260円(税込) 発売日2013年6月7日 
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by yumiko_aoki_4649 | 2014-05-19 14:19 | 読書感想、書評 | Comments(0)

角野栄子さん講演会

 久が原図書館でJBBY主催の講演会があった。講師は角野栄子さん。何が何でも聞きに行かねばならない。
 森の中で童話の主人公がかくれんぼしているような、夢のある模様でありながら、甘くなり過ぎないスタイリッシュな茶と水色のニットに、赤の差し色を利かせた角野さんは、上品でおしゃれで、なおかつ気さくな、「雰囲気の良い」方だった。明確な発音、美しいアルトの声、穏やかに語りかけるような調子。理路整然と語りながら、学者のような硬さは皆無で、小学生の子どもでも理解できるような言葉を自然に選んで話されている。そんな印象を受けた。
 内容ももちろん素晴らしかった。一人の女性であると同時に魔女でもあるキキの物語、全6冊を、24年間かけて完成させた、という。いわば角野さんのライフワークのお話が中心であったが、物語の創造すべてに関わる「たいせつなこと」、角野さんが“物語の神様”から教わったことのエッセンスが、語りの向こう側に垣間見えるような気がした。
 物語の主人公たちは、「つくりだした」もの、というよりは、「むこうがわ」からやってきて角野さんと「出会った」という感覚の中で生み出されるのだ、という。たとえば魔女のキキは、お嬢さんがいたずら描きのようにして描いた、ラジオをぶらさげて飛ぶ魔女の絵から発想を得たとのこと。私も空を飛んでみたい、という若いころからの夢、自由に冒険してみたい、という誰もが抱く夢を、主人公に託して実現させたい、という作者としての想い。何百歳も年を取った魔女の話は書いている人がいるけれど、13歳(という大人と子供の境い目)の魔女を描いた人はまだいない、という、書き手としての矜持。子どもが実際に社会の中で経済的に自立しうるかと、主人公と共に悩み、工夫し、解決していく作者の姿。
 現代に魔女の物語は成立するか、という、物語としてのリアリティーへの目配りも、具体的で面白かった。魔女と人間との「ハーフ」だったらあり得るかもしれない、という発想。現代だからこそ、魔女になるかならないかは自分で決めさせてあげたい、という、広げていけば女性や子供の人権にまで広がる社会的な視点。魔法は一つだけにしたい、なんでも魔法で解決してしまう、というのは安易だしリアリティーに欠ける、一つしか使えなければ、その分工夫することになるだろう・・・という条件の設定方法。
 「普通」と違う、ということは、誰にとってもプライドであると同時にコンプレックスであるだろう。その両面を意識した主人公が、1年間、自分の力で生きていく話にしよう、という、心理学的な深みにまで至る物語の構想。「普通」の人以上に敏感で鋭敏で、夢想の力も強かった子どもであり、そのことにコンプレックスとプライドの双方を怜悧に感じ取っていたであろう角野さん自身の姿が、キキに重なって見えてくるような気もした。
 くらやみ、に対する感性も興味深かった。昔は夜になるとそこいらじゅうに「暗闇」があった。そして、子どもの感性は、その「暗闇」の中に、「なにか」が蠢いているのを敏感に感じ取った。それは、「不思議」がそこにある、ということを感じ取る機会でもあったろう。(角野さんは、不思議、という言葉を、言葉本来の意味での用法、思議/人間の理解、を越えたもの、という意味で使用しておられるように感じた)
 文明が発達すると同時に、明るさ、という表層的な面においても、科学の発達、という内在的な面においても「不思議」が消えていく。様々なことを感じたり、考えたりする「静けさ」もまた、消えていく。角野さんの描き出す魔女、の役目は、「不思議」がこの世にあるんだよ、ということを伝え知らせることではないか、という言葉に、物語作者の在り様そのもの、存在意義に対する思想まで含まれているように感じた。
 魔女のキキ、が「生まれた」後に、魔女のことを調査することになったお話も興味深かった。魔女が古来女性であったのは、医療の未発達の時代に、自分の子どもを何が何でも助けたい、という、母親としての想いが、知識と経験の累積を生んだのではないか、ということ。人類学的な部分にまで広げれば、「復活」を祈るアニミズムにつながるであろう、ということ。ヨーロッパ、とくにドイツや東欧では、魔女、とは、垣根の上、城壁の上にいる人、というのが本義であった、ということ。そこから敷衍して、「くらやみ」と「あかり」の世界、見える世界と見えない世界、野蛮と文明、感性と理性の境界上で、その両方を見ることの出来る存在が魔女、だったのではないか・・・お話を聞きながら、角野さんご自身が「魔女」そのものだ!という気がした。
 物語は、見えない世界で「出会ったもの」を見える世界に引っ張り出してくること、だという。人の気持ちは「見えない世界」に属している。行為や言葉が、それを見えるもの、にする。「境い目に居る時、人は生き生きする」という言葉が、とりわけ印象に残った。想像、空想によってしか「見えない」世界と、今「見えている」世界との境い目。そこに立つ、ということ。
 「本の表紙を開けると、とびら、と呼ばれるものがありますね。扉を開けて、見えない世界に、私たちは家出するんです」微笑みながら話される角野さんの言葉を聞きながら、見えない世界と見える世界を自在に飛び越え「本の扉」という私たちにも自由に出入りできる「とびら」を用意してくださった練達の魔女角野さんに、深く感謝を申し述べたい。
 ステキな講演会を企画してくださった、JBBYのスタッフの方々と久が原図書館の方々にも・・・。
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by yumiko_aoki_4649 | 2013-03-09 10:10 | 読書感想、書評 | Comments(2)

小林秀雄再考

大学入試センター試験、国語の平均点が大きく下がった、という。
小林秀雄が難解かどうか、それは好むか好まざるか、という審美眼の問題にも関わるだろうけれども、
彼のように直観的に物事を感得し、それを散文詩のような飛躍した形態で提出する作家の文体は、
点数をつけなければならない試験には本来不向きであろう、と思う。
小林秀雄の文章を読み、思うところを述べよ、という小論文の設問ならまだしも・・・

行間に余情や言葉にならざる情緒が潜む。その広がりの大きさは、言葉の飛躍に比例する。
それは、漢文を読みなれていた戦前の文学者たちには容易に越えられる距離かもしれないが、
現代の若者には千尋の谷より広い懸隔なのではないか。
あるいは・・・一つの文章に、おおよそ正しい解釈、というものが一つ対応する、
そんな試験用の文章を読みなれた者にとっては、多種多様の解釈をゆるし、
しかも一つの情緒に収斂していく、というような直観的な彼の文体は、読解不能であるかもしれない。
読み解く、のではなく、感じて、それを言葉で語る、のであるから。

残念なことだが、言わずともわかることを解説するのは無粋、というような、
ある種高踏派的な矜持はこの際脇において、様々な分野の「有識者」が、
それぞれ小林秀雄を読む、というような形でそれぞれの「卓見」を披露する文集のようなものが
あれば楽しい、と思う。おそらく、一つのテキストが、多種多様の展開を見せるだろう。
小林秀雄の文章は、それを読むひとりひとりに、それぞれ別箇の詩情をもった世界を開くであろうから。
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by yumiko_aoki_4649 | 2013-01-24 14:49 | 読書感想、書評 | Comments(0)

ムナーリのことば

誰かが
これなら僕だってつくれるよ
と言うなら
それは
僕だって真似してつくれるよ
という意味だ
でなければ
もうとっくにつくっているはずだもの 

ブルーノ・ムナーリ  『ムナーリのことば』阿部雅世訳 平凡社

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絵を描いていると、必ず突き当たるのが、「こんなの、誰だって描けるよね・・・」という
ふがいなさ、絶望、諦念がないまぜになったような、複雑な感情です。
それを乗り越えなければならないのはわかっている。
そう思う一方で・・・
趣味で描いているんだから、誰かの絵に似ていたって、特別な個性が現れていなくたって、
自分が楽しんでいるならそれでいいではないか、という甘いささやきが聞こえてきます。

そんなとき、ムナーリのことばを読み返します。
子どもの心を持ち続けるということ。
それは、知りたいという好奇心や、わかる喜び、伝えたいという気持ちを持ち続けるということ。
そうすれば、いつも新鮮な驚きと感動に出会える。
わくわくする気持ち、夢中になって遊んだ時の充実感、爽やかな疲れを、いつも体感することができる。
ムナーリという、豊かな実践者の言葉に触れていると、私も子どもの心を取り戻せる、という
「根拠のない自信」が湧き上がってくるのです。

 こどもは、オトナの常識や、経験による枠決めからいつも自由。それは、知らないから、と言い換えることもできます。知っているがゆえに、可能性を狭めてはいないか。知らなかったが故の、新鮮な驚きを見落としてはいないか。こんなこと、もうすでにやりつくされている・・・と最初から投げ出していたら、努力し、工夫し、やり遂げた、という充実感は得られない。
 こどもは、遊びを通じて知らぬ間に体を鍛え、空想力を豊かにし、自然との関わり方や人間関係を学んでいきます。こんなこと、やっても無駄、と、遊びを投げ出すこどもはいない。夢中になって遊んでいるうちに、思いがけないものができちゃった!そんな描き方から生まれた絵は、描く人にも、見る人にも心地よい絵になるだろう。そんな夢のような日々を目標としつつ・・・。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-20 21:58 | 読書感想、書評 | Comments(0)

星の王子様

 『星の王子さま』の原題は“Le Petit Prince”。星の、というコトバはありません。内藤濯氏の、まさに超訳。生前の内藤先生を知る方から、「人は誰でも自分の心の中に学校を持っている」という珠玉の言葉を教わりました。含蓄があります。
 子どもの頃は、様々な星をめぐってきた王子と、地球人との対話、という表のストーリーしか読むことができませんでした。終わり方も不可解。なぞばかりが残る厄介な本でした。でも、大人になって読み直して、王子と王子が愛した薔薇との、切ないまでの行き違いが、胸に迫ってくることに気が付きました。
 王子を愛しながら、それを素直に表現できない薔薇。自分は動くことができず、人間になって王子に近づくこともできない、そんなもどかしさが、薔薇のわがままを加速させたのかもしれません。薔薇に振り回された挙句、薔薇の気持ちを読み取れないまま自分の「ふるさと」をすら捨てて、逃げ出そうとする王子。薔薇のそばを離れて初めて、自分の星の素晴らしさや薔薇の想いの深さに気づくのです。
 自分の星を守るために、バオバブをヒツジに食べさせたい、という王子のセリフも、象徴的です。ヒツジはイエス・キリストを連想させます。星をめちゃくちゃにする、虚栄の大木を、まだ小さな内にヒツジに食べさせたい、という作者の願いでしょうか。でも、そのヒツジが「愛する薔薇」を食べてしまったらどうしよう、と、また小さな王子は思い悩みます。
d0264981_16222940.jpg王子の住んでいた小さな星、は、いったいどこにあるのでしょう。誰もが心の中に持っている、自分だけの領域のような気がしてなりません。
 こどものまなざしで「世間」や「社会」を見るとき、私たちは王子と同じ小さな星の上に立って、地球の上の出来事を驚きの目で見ることができるのかもしれません。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-28 16:26 | 読書感想、書評 | Comments(0)

幸せな王子

オスカー・ワイルド作『幸せな王子』(リトルモア出版、清川あさみ絵、金原瑞人訳)
一読、強烈なインパクトを受けました。子どもの時に読んだうろ覚えの記憶を塗り替える迫力です。
「分け与えるもの」を持っているのに、本当に必要とする人のもとへ届けることのできない王子。自由に飛び回ることができるのに、「分け与えるもの」を持っていないツバメ。ツバメは、王子のせつなさ、もどかしさをわがものとして、いつしか王子の意志となり心となって働き、やがて息絶えます。ツバメが死ぬとき、それは王子が死ぬとき。銅像の王子の心臓がパックリ割れる、という生々しさに、戦慄を覚えました。
王子(詩神)ツバメ(詩人)あるいは、王子(神)ツバメ(私)と重ねて読みたい、そんな気もします。
王子(銅像)は母を知りません。母の暖かさにどれほど憧れたことでしょう。そんな思いも重ねつつ、自分なりに表現してみました。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-22 18:12 | 読書感想、書評 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by yumiko
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