Yumiko's poetic pictures

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カテゴリ:読書感想、書評( 23 )

ムナーリのことば

誰かが
これなら僕だってつくれるよ
と言うなら
それは
僕だって真似してつくれるよ
という意味だ
でなければ
もうとっくにつくっているはずだもの 

ブルーノ・ムナーリ  『ムナーリのことば』阿部雅世訳 平凡社

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絵を描いていると、必ず突き当たるのが、「こんなの、誰だって描けるよね・・・」という
ふがいなさ、絶望、諦念がないまぜになったような、複雑な感情です。
それを乗り越えなければならないのはわかっている。
そう思う一方で・・・
趣味で描いているんだから、誰かの絵に似ていたって、特別な個性が現れていなくたって、
自分が楽しんでいるならそれでいいではないか、という甘いささやきが聞こえてきます。

そんなとき、ムナーリのことばを読み返します。
子どもの心を持ち続けるということ。
それは、知りたいという好奇心や、わかる喜び、伝えたいという気持ちを持ち続けるということ。
そうすれば、いつも新鮮な驚きと感動に出会える。
わくわくする気持ち、夢中になって遊んだ時の充実感、爽やかな疲れを、いつも体感することができる。
ムナーリという、豊かな実践者の言葉に触れていると、私も子どもの心を取り戻せる、という
「根拠のない自信」が湧き上がってくるのです。

 こどもは、オトナの常識や、経験による枠決めからいつも自由。それは、知らないから、と言い換えることもできます。知っているがゆえに、可能性を狭めてはいないか。知らなかったが故の、新鮮な驚きを見落としてはいないか。こんなこと、もうすでにやりつくされている・・・と最初から投げ出していたら、努力し、工夫し、やり遂げた、という充実感は得られない。
 こどもは、遊びを通じて知らぬ間に体を鍛え、空想力を豊かにし、自然との関わり方や人間関係を学んでいきます。こんなこと、やっても無駄、と、遊びを投げ出すこどもはいない。夢中になって遊んでいるうちに、思いがけないものができちゃった!そんな描き方から生まれた絵は、描く人にも、見る人にも心地よい絵になるだろう。そんな夢のような日々を目標としつつ・・・。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-20 21:58 | 読書感想、書評 | Comments(0)

星の王子様

 『星の王子さま』の原題は“Le Petit Prince”。星の、というコトバはありません。内藤濯氏の、まさに超訳。生前の内藤先生を知る方から、「人は誰でも自分の心の中に学校を持っている」という珠玉の言葉を教わりました。含蓄があります。
 子どもの頃は、様々な星をめぐってきた王子と、地球人との対話、という表のストーリーしか読むことができませんでした。終わり方も不可解。なぞばかりが残る厄介な本でした。でも、大人になって読み直して、王子と王子が愛した薔薇との、切ないまでの行き違いが、胸に迫ってくることに気が付きました。
 王子を愛しながら、それを素直に表現できない薔薇。自分は動くことができず、人間になって王子に近づくこともできない、そんなもどかしさが、薔薇のわがままを加速させたのかもしれません。薔薇に振り回された挙句、薔薇の気持ちを読み取れないまま自分の「ふるさと」をすら捨てて、逃げ出そうとする王子。薔薇のそばを離れて初めて、自分の星の素晴らしさや薔薇の想いの深さに気づくのです。
 自分の星を守るために、バオバブをヒツジに食べさせたい、という王子のセリフも、象徴的です。ヒツジはイエス・キリストを連想させます。星をめちゃくちゃにする、虚栄の大木を、まだ小さな内にヒツジに食べさせたい、という作者の願いでしょうか。でも、そのヒツジが「愛する薔薇」を食べてしまったらどうしよう、と、また小さな王子は思い悩みます。
d0264981_16222940.jpg王子の住んでいた小さな星、は、いったいどこにあるのでしょう。誰もが心の中に持っている、自分だけの領域のような気がしてなりません。
 こどものまなざしで「世間」や「社会」を見るとき、私たちは王子と同じ小さな星の上に立って、地球の上の出来事を驚きの目で見ることができるのかもしれません。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-28 16:26 | 読書感想、書評 | Comments(0)

幸せな王子

オスカー・ワイルド作『幸せな王子』(リトルモア出版、清川あさみ絵、金原瑞人訳)
一読、強烈なインパクトを受けました。子どもの時に読んだうろ覚えの記憶を塗り替える迫力です。
「分け与えるもの」を持っているのに、本当に必要とする人のもとへ届けることのできない王子。自由に飛び回ることができるのに、「分け与えるもの」を持っていないツバメ。ツバメは、王子のせつなさ、もどかしさをわがものとして、いつしか王子の意志となり心となって働き、やがて息絶えます。ツバメが死ぬとき、それは王子が死ぬとき。銅像の王子の心臓がパックリ割れる、という生々しさに、戦慄を覚えました。
王子(詩神)ツバメ(詩人)あるいは、王子(神)ツバメ(私)と重ねて読みたい、そんな気もします。
王子(銅像)は母を知りません。母の暖かさにどれほど憧れたことでしょう。そんな思いも重ねつつ、自分なりに表現してみました。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-22 18:12 | 読書感想、書評 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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