Yumiko's poetic pictures

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大英博物館古代エジプト展

 六本木ヒルズの古代エジプト展に行ってきました。目玉は、現在世界最長とされる『死者の書』の一挙公開。全長37メートル、精緻に描かれた線と色彩の整然とした群れは、圧巻です。
 『死者の書』とは19世紀のエジプト学者による命名で、実際には「(魂が)日のもとに出ていくため(の呪文)」と呼ばれていたとか。人間は死後どのような場所に行き、いかなる試練を経て「永遠の生」を手に入れるか、という、古代エジプト人の死生観、復活観が凝縮された美しい資料です。
 死後、死者は冥府の神オシリスの前で審判を受けます。40項目以上の「私は~をしなかった」という宣誓をしなければならないのですが、盗まなかった、詐欺を働かなかった、あたりはともかく、悪口を言わなかった、とか、誰も泣かせなかった、などになってくると、「普通の人間」には、ちょっと無理でしょう、という気もしてきます。同じことを古代エジプト人も心配していたようで、「私は~をしなかった」という宣誓の場で、もしウソをついてしまったとしても、自分の心臓が「この人間は虚偽の証言をしました」と言わないようにするための呪文、などというものまであるところが、実に人間くさくて親近感がわきました。
  「私は自分の心臓を食べなかった」という宣誓項目に驚きました。古代エジプトでは、悲嘆にくれることを、自分の心臓を食べる、と表現していたようです。今でも胸を引きちぎられるような悲しみ、というような表現をしますが、心臓を食べる、というイメージの鮮明さと、それは魂の復活を妨げるものである、という明確な意識がある、という部分に、非常に興味を覚えました。
 
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「死後の復活」を信じている世界において、死後の世界を語ることは、いかに生きるか、ということを語ることでもある。死後の世界が、生き方のクオリティーを支えている、と言ってもいいでしょう。世界中に様々な宗教・文化があり、それぞれに独自の死生観や復活観があります。類似している部分、異なっている部分を精査していくことで、生き方の文化の理解にもつながってくることのように思いました。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-25 09:48 | 美術展感想 | Comments(0)

想像力

 いじめ、水害、脱原発・・・もどかしいけれど、自分ではなんともできないニュースばかりが続いて、心が重くなります。
 大人社会でもイジメがあるのに、子ども社会にはそれがない、と考えること自体がおかしい。むしろ、からかったりふざけたりしているつもりなのに、それがエスカレートして歯止めが利かなくなる、という、子ども社会特有の残酷さに、大人が気づいてやらなければいけない。自分の行為がからかいなのかいじめなのか、気づかせるためには、相手の身になって考える、という想像力が不可欠でしょう。子どもの頃に、知識詰め込みのクイズのような勉強ばかりしていると、想像力に乏しい子どもに育ってしまうような気がしてなりません。
 離れた土地の災害について思いを馳せたり、エネルギー政策について考えたりする力も、想像力。空想力をいかに身に着けるか、といったら・・・子どもの頃のごっこ遊びや、物語や絵本に親しむ、ということのほかにないのではないか、と思います。
 薪や水車が石炭に代わり、やがて石油にとってかわられていったように、いつか原発も自然エネルギーにとってかわられていくであろうことを願ってやみません。私たちにできることは、悲劇や危険を忘れないこと、語り伝えること、立場を変えて想像してみること。d0264981_10411576.jpg
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-17 10:42 | 随想 | Comments(2)

気づいた分だけ

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たいようってすごいよね だってひとつしかないのに どこにでもある

おつきさまって わたしのことがすきなんだよ だってどこまでもどこまでも おいかけてくるもの 

はじめのいっぽでしまからしまへ わたっていけたらいいのにな

こどものなにげないつぶやきに はっとする朝

きょうわたしは きづいたぶんだけ りっぱなこどもになれました
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-11 13:47 | 絵画、詩 | Comments(0)

カラスに笑われました

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 生ごみを出す日になると、まるでカレンダーをチェックしているかのように、カラスたちが集まってくるのですね。そして、ごみの上の網のかけ方がいい加減だったり、外にはみ出していたりすると、それっとばかりに突っついて散らかすのです。
 リュックのチャックを開けて、ポテトチップの袋を器用に開けて、中身だけきれいに食べたツワモノもいましたが・・・カラスはお腹を壊さないんだろうか、とか、そこまで頭がいいのなら、食べた後にきちんと片付けていってくれ、とか、文句の一つも言ってやりたくなります。
 今朝もごみを捨てに行ったら、カラスが一羽陣取っていて、生ごみを品定めしています。生クリームのポーションカップが、特にお気に入りらしい。なかなかグルメです。半分腐った野菜なんかは、手も(くちばしも)つけずに放り出したまま。至近距離に近づいても一向に逃げない。腹を据えて「おいっ!」と叫んだら、数メートル先の電線に止まって、「は、は、は、は、は・・・」とカラス笑い。しぶしぶ散らかった生ごみを片付けて網をかぶせ、ふと上を見上げたら、夫婦だか親子だか、仲睦まじいカラスが二羽、くちばしをからめあってのろけていました。アホ~!
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-07 09:02 | 随想 | Comments(0)

またイジメのニュースです

 テレビの報道で、中学二年の少年が命を絶ったことを知りました。
 なぜ、イジメが起きるのでしょう。報道を見ている限りの私見ですが、先生や学校側の黙殺が、イジメを助長し、周囲の子どもたちを沈黙させ、少年を追い込んで行った様子が見えてきて、胸が痛くなります。
 私が五年生の時、○○菌が付いた~と、○○さんが触れた机や椅子に触らない、というような「イジメ」がありました。最初は鬼ごっこの延長のような、本当に他愛無いものでしたが、いつでも○○さんだけが「鬼」にさせられるのは、やはりおかしい、と感じました。そこで、「触らない側」から離れ、○○さんと一緒にいるようにしたとたん、「点取り虫」やら「(いいこ)ぶりっ子」などと言われ、私もクラス全体から「シカト」されたり、日記を盗まれて回し読みされたりしました。自分が「からかっている側」にいる間は、大したことだとは感じない。でも、「集団にからかわれる少数者」になったとたん、孤独感と絶望感に打ちのめされそうになりました。当時、急性胃炎になって内科医を受診したのですが、先生は聞き上手で、親にも先生にも話せなかったクラスの状況を、その内科医の女医さんにだけは話すことができました。そして、話しただけで、たいした薬も飲まないで「病気」は治ってしまったのでした。その後、担任の先生に勇気を持って打ち明け、先生が上手にフォローしてくれて、集団イジメというか「集団によるからかい」は消えていきました。
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 子どもの心は善でも悪でもない。同じ感情が、他者に対する尊敬や憧憬になったり、ねたみやそねみになったりします。自分自身に自信や誇りを持っている子ども、あるいは、将来に対して何らかの希望を抱いている子どもは、素直に他者を認め、自分も頑張ろう、と前向きになれる。でも、将来に対して希望を持てない子どもは、卑屈になり、他者を攻撃することで腹いせや八つ当たりをしたりする。そんなことから、イジメが始まるのではないでしょうか。
 他者の立場になって感じたり考えたりする「想像力」も、イジメをなくしていくためには大切でしょう。
 子どもたちが希望を持てること。自分に自信を持てること。他者の感情を想像する心の豊かさを持つこと。自分の行為が、「からかい」であるのか、「イジメ」であるのか、自己判断できる良心を持つこと。
 絵本や童話は、子どもの心に一番近いメディアです。子どもたちが自分の心を見つめ直すことができるような上質なものが、子どもたちの身近にあることを願ってやみません
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-05 09:12 | 随想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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