Yumiko's poetic pictures

yumikoaoki.exblog.jp ブログトップ

<   2012年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧

ここは日本ではな~い!

 残暑、とはいうものの・・・ほぼ40年生きてきて、こんなに暑い年があったか?と首を傾げたくなるような陽気。確かに、子どもの頃「体温より暑い」なんていう日があったような気がしますが、それでも、夕方から夜にかけては涼しかった。埼玉の田舎でこども時代を過ごしましたが、夜はうるさいくらいにカエルが鳴き、虫が鳴き・・・冬はしもやけに悩まされた。
 そういえば、高校生ぐらいの頃から、霜柱を見なくなった気がします。サクサクと踏みつぶすのが楽しい、という年ごろを卒業した、というだけのことだったのかもしれないけれど・・・自分が楽しい、と思わなければ、目に入らない、ということもあるだろうけれども・・・
 じわじわと温暖化が進行しているような不気味さを、肌で感じている次第。

 あまりにも暑い!ので、ここは日本ではない、アフリカだ!と念じながら寝たら、明け方の夢うつつ、まだ覚めやらぬ刻に、ヴィジョンのように浮かんだ景。実際は、もっと鮮やかで、もっと美しかったのだけれども・・・仕方がない、これ以上は手に負えず。色あせた夢の絵です。
d0264981_1047144.jpg

[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-31 10:49 | 随想 | Comments(0)

山本 美香さんのこと

ジャーナリスト山本美香さんの訃報に、どうして・・・と絶句。予測できないのが戦場とはいえ、もどかしさや無念さばかりがつのります。
思い出した詩があります。谷川俊太郎作、千羽鶴(『生きていてほしいんです』所収)

感傷の糸につながれて
鳴かず
飛ばず
ただそよかぜにゆれて―
あまりにはかない祈りのかたち
千人針を縫った手が
性こりもなく千羽鶴を折る
ああもどかしい日本!
千羽は無力万羽も無力
あの巨大な悪の不死鳥と戦うには

もう折るな不妊の鶴は
祈るだけでは足りない
誓うだけでは足りない

・・・そして、「伝えずにはいられない」と「行動」した山本さんが、凶弾の犠牲になってしまった。
「悪の不死鳥」によって故郷を戦場にされた人々の想いを、現状を、特に女性や子供たちの状況を伝えなければならない、と山本さんは決意しておられたのでしょう。折る、と祈る、という文字が、同じかたちに見えてくるのが切ない。
ロバート・キャパの自伝を読んだ折に、自分の両脇に居た兵士が死んだ、という極限状況を、淡々と記しているのに仰天しましたが・・・山本さんのお父様が、「素晴らしいジャーナリストでした」とコメントしておられたのが、痛みとなって胸に残りました。

戦争は、「人と人とのいさかい」から始まるのでしょうか。武器商人や、土地や市場を狙う資本家たち、思想や宗教にかこつけて権力を欲する支配者たち、体面を守り、自分の利益を守ることに汲々とする指導者たちが、戦争を利用して自分の欲を満たそうとしているようにしか思えません。

平和な日本に暮らしているとだんだん感覚がマヒしてきますが、世界のあちらこちらで未だに戦争が続いている、という現実を、しっかり受け止められる子どもに育ってほしい。・・・と思うと同時に、危険な目に合わせたくはない、という自分勝手な願いも抱いてしまいます。山本さんのご両親の無念は、いかばかりか・・・

彼女の伝えたかったことを、子どもたちに伝えていくことこそが「冥福を祈る」行為だと思います。
金銭や欲得に流されることなく、正義、という相対的かつ人工的な「ただしさ」に惑わされることなく、平和を強く願う子に育ってほしい。まずは山本さんの書いた本を読むところから・・・。d0264981_2254889.jpg
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-26 22:11 | 随想 | Comments(0)

ブラティスラヴァ世界絵本原画展

ブラティスラヴァ世界絵本原画展(2011年第23回展)に行ってきました。
第1部:受賞作品、第2部:日本の出品作品、第3部:スロヴァキアの作家紹介、第4部:日本のしかけ絵本。
グランプリのチョ・ウンヨンの作品は、韓国の民画の伝統を彷彿とさせるようなのびやかな描線と、西欧風のデッサンによる描線の混交した画風。アバンギャルドな背景の上に、アニメーションで使うセルのような透明なフィルムを重ね、そのフィルムの上にアクリル絵の具で登場人物を描き、ひっかいたり色を重ねたりして細部を描いていく、という技法が目を引きます。即興性と周到な計算とが同時に存在しており、色数を抑えた全体のバランスや、素朴な形態と動きに富んだ馬の描写が印象に残ります。老人と女の子が競馬場に出かけていく、という設定の面白さや、新規さがだんだん薄れていくにつれ、女の子の目に映る個性豊かな馬たちが、だんだん没個性の競走馬に変化していく過程、最終的に、自分だけの馬(ぬいぐるみ)の存在感の再確認、というストーリーの展開も丁寧だったと思いました。個人的には、作家の個性が強烈に出すぎていて、読者の好みは大きく分かれるだろう、という印象を持ちました。(ポスターの作品)
d0264981_8494165.jpg

受賞作は皆、東洋的なエキゾチシズムや実験的な手法、デザイン的な新規さなど、「今まで見たことのない」「珍しい」という視点で選ばれているような印象を受けました。日本からの出品作も、受賞傾向を意識しているからでしょうか、個性の強い作家たちの作品が目を引きました。
その中で、子ども審査員賞を受賞したいまいあやのさんの作品が、ぬくもりのある、柔らかで丁寧な描線や色彩で、ほっと心和む空間を作り出していたように思います。とてつもなく大きな靴や小さな靴、という極端な画面構成も、画面上の面白さを狙ったもの、というよりは、話の展開に無理なく合わせた結果生まれた画面、という印象を受けます。
d0264981_90790.jpg
第3部では、特にカーライの原画に強く惹かれました。もっとずっと大きな画面、というイメージを抱いていたのですが、ほぼ原寸大の、精緻な画面。白を効果的に使っているので、圧迫感や濃厚さは感じませんが、テンペラによるミニアチュールのように細部まで描きこまれ、何重にも色を重ねて仕上げられた画面の重厚さを間近に見ることができました。d0264981_8574459.jpg
第4部で驚いたのは、昭和32年の鉄腕アトム。赤と青のセロファンを張った眼鏡を通して見る、今でいう3Dを、あの当時すでに試みていた、とは・・・。きのとりこさんや駒形克己さんなど、絵本というよりは工芸作品と呼んだ方がいいような繊細かつスタイリッシュな作品、宇野亜喜良さんの神秘的な画風や長谷川義史さんの溢れ出すような勢いを生かした仕掛け絵本など、子どもともども、大いに楽しんだり感心したりした美術展でした。
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-23 09:06 | 美術展感想 | Comments(0)

ムナーリのことば

誰かが
これなら僕だってつくれるよ
と言うなら
それは
僕だって真似してつくれるよ
という意味だ
でなければ
もうとっくにつくっているはずだもの 

ブルーノ・ムナーリ  『ムナーリのことば』阿部雅世訳 平凡社

d0264981_21542034.jpg
絵を描いていると、必ず突き当たるのが、「こんなの、誰だって描けるよね・・・」という
ふがいなさ、絶望、諦念がないまぜになったような、複雑な感情です。
それを乗り越えなければならないのはわかっている。
そう思う一方で・・・
趣味で描いているんだから、誰かの絵に似ていたって、特別な個性が現れていなくたって、
自分が楽しんでいるならそれでいいではないか、という甘いささやきが聞こえてきます。

そんなとき、ムナーリのことばを読み返します。
子どもの心を持ち続けるということ。
それは、知りたいという好奇心や、わかる喜び、伝えたいという気持ちを持ち続けるということ。
そうすれば、いつも新鮮な驚きと感動に出会える。
わくわくする気持ち、夢中になって遊んだ時の充実感、爽やかな疲れを、いつも体感することができる。
ムナーリという、豊かな実践者の言葉に触れていると、私も子どもの心を取り戻せる、という
「根拠のない自信」が湧き上がってくるのです。

 こどもは、オトナの常識や、経験による枠決めからいつも自由。それは、知らないから、と言い換えることもできます。知っているがゆえに、可能性を狭めてはいないか。知らなかったが故の、新鮮な驚きを見落としてはいないか。こんなこと、もうすでにやりつくされている・・・と最初から投げ出していたら、努力し、工夫し、やり遂げた、という充実感は得られない。
 こどもは、遊びを通じて知らぬ間に体を鍛え、空想力を豊かにし、自然との関わり方や人間関係を学んでいきます。こんなこと、やっても無駄、と、遊びを投げ出すこどもはいない。夢中になって遊んでいるうちに、思いがけないものができちゃった!そんな描き方から生まれた絵は、描く人にも、見る人にも心地よい絵になるだろう。そんな夢のような日々を目標としつつ・・・。
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-20 21:58 | 読書感想、書評 | Comments(0)

手紙

自分に
誰かを励ます力が残っている、と信じたくて
手紙を書く

そして気づく
勇気と自信を与えられている自分が
ここにいる、ということに

ここに居ることを決めたのは私
あなたがそこに居るのは偶然
偶然だけれども必然
その恩寵

はげますとかはげまされるとか
あたえるとかあたえられるとか
してあげるとかしてもらうとか
すべてが他愛無いこと

おのずから花開き
さりげなく実る
そんな豊かさがいいd0264981_13464667.jpg
[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-17 13:47 | 絵画、詩 | Comments(3)

タマシイって・・・

先日ご紹介した『詩のトビラ ひらけごま!』というNHKのラジオ講座テキストの中に、谷川俊太郎さんのユーモラスな詩が載っています。

「百歳になったカラダに囚われて
 タマシイはうずうずしている
 そろそろカラダを脱いでしまいたいのだ
 古くなった外套みたいに」

こんなフレーズで始まり、新しい世界へ抜け出していこうとするタマシイと、置いてけぼりにされそうで怒っているカラダとの対話が続きます。

「その生きたい自分は誰なのか
 カラダなのかタマシイなのか
 生まれる前のことを思い出したい
 ヒトの形になる前のこと」

一部だけの転載ですが・・・かろみ、があるのに、深いですね、ハッとさせられます。
タマシイは、カラダ、という五感の感受器官がなければ、この世で喜びも苦しみも体験することはできない。
命、は、タマシイがカラダの中にあるときに、その総称として使う言葉。ならば、タマシイは、なんなのか。言葉があるのに、概念としてはつかみがたい、でも、なんとなく知っている、感覚としてわかっている。不思議な言葉です。谷川さんは、「自分の気持ちを探っていった果てにぶつかる言葉」と述べておられるそうですが・・・皆様、いかに?
d0264981_1057769.jpg

[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-05 10:43 | 絵画、詩 | Comments(0)
line

詩や詩に関わるものごとなど。


by yumiko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite