Yumiko's poetic pictures

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詩を書くことは

詩をを書くことは
井戸を掘ることに似ている

一人暗闇の底でツルハシを振るう
自分の命が尽きるまでに
水脈を掘り当てることが出来るだろうか?
誰にも答えられない問を問い続けながら
徒労に終わるかもしれない井戸の底を
私はただ黙々と掘り続ける

地上には乾ききった大地が広がり
水を求める子どもらが
わずかな井戸の周りに群がり
手を差しのべ・・・
やがてため息をついて
家を捨てて散らばっていく

新しい井戸が必要なのだ
冷たく澄んだ水を吹き出す
大地の息吹を伝える井戸が
地の底に、いや、知の底に通じた
深く新しい井戸が

今さら地上に戻ったところで
私の欲しいものはない
はるかな谷川の水も
とうの昔に枯れ果てた
だから掘り当てるしかないのだ
冷たく澄んだ水を吹き出す
深く新しい井戸を

子どもらのうるおいに飢えたまなざしを
心に強く刻みながら
私はただ黙々と井戸を掘る
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時には
何もかも為す気が失せることがある
そんな時は
豆のつぶれた手を休め
かつて空のあった方をぼんやりと見やりながら
じっとりと湿った土壁に身をもたせかける

すると
ひんやりとした地肌を通して
かすかに
ツルハシをふるう音
ノミで岩を砕く音
シャベルで土を掻き出す音が
遠くかすかに土をふるわせながら
伝わってくる

私ひとりではない
そこかしこで黙々と
地の底で血をにじませながら
井戸を掘り続けるたくさんの人々
姿の見えない者たちの気配が
濃厚に伝わってくる

私ひとりではない
誰かがいつかどこかで
必ずや水脈にたどりつくだろう
その幸福を願いながら
私は今日も井戸の底で
ただ黙々と掘り続ける
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-24 09:43 | 絵画、詩 | Comments(0)

第五回下松手づくり絵本全国コンクール

このたび、下松市の手づくり絵本コンクールで、佳作賞(布絵本の部)をいただきました♪楽しみながら作ったキルトの絵本。素直にうれしいです。まだまだ未熟ですが、暖かいご評価を励みに、自分のペースで歩んでいきたいと思います。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-20 17:59 | 手芸 | Comments(0)

一本の木

木は
まるごとすべてが生きている
というわけではない
水を吸い上げ、木を育む
みずみずしい皮の内側に
無数の死んだ細胞が
積み重なって
無言で
一本の木を支えている

めぐる季節に
水を吸い、陽を浴びて
のびやかに幹を太らせ
空へとのび広がっていく

やがて
木の幹に無数のひび割れが現れる頃
木を生かすという仕事を終えて
死んで静かに溶けこんでいった
無数の木の細胞が
木の年輪を刻んでいる
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一本の木は
死を内包し死を芯として
外へ外へといのちをみなぎらせ
空へ空へとのび広がる
大地の奥にも
死を支えとして根をのばし
死せるものたちを滋養として
求め、吸い上げ、葉を茂らせる

天と地をつなぐ木の循環は
死を支えとして
星辰とともに
なめらかにめぐり続ける

やがて
その死が朽ち果てるとき
ゆっくりと木は倒れ…

大いなる沈黙の果てに
新たな木のいのちが
倒木の上に
芽吹く

降り注ぐ日差し
降り注ぐ雨水
繰り返される
木の営み
その永遠
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-19 10:56 | 絵画、詩 | Comments(2)

轡田隆史先生の文章講座

 轡田隆史先生の文章一日講座(朝日カルチャーセンター新宿校)を受講しました。三月の講座に引き続き、
二度目の受講です。

 ユーモアに満ちた語り口に笑いを誘われつつも、随所にちりばめられた卓見を聞き逃すまい、と思わず
身を乗り出してしまいます。リラックスしながらも、なおかつ適度な緊張に満ちた、充実した二時間でした。

 印象に残ったのは、「ものごと」と「自分」との関わりを、いかにして「切実な体験」へと昇華させていくか
という課題を自らに課し、それを楽しみながら実践しておられる轡田氏の「方法」の数々でした。

 「他者」や「物事」、「場所」と関係を持つ、ということは、意識しなければ「通りすがり」の、自分にとってなんら意味を持たない対象として過ぎ去ってしまうであろうはずのものを、あえて自分にとって「かけがえの
ないもの」「感動や感興を呼び覚ます対象」として自らに引き寄せ、自らの記憶、体験、として記憶していく
ことであるはず。それを、黙って待っているのではなくて、積極的に関係を作り出しましょう。
あるシチュエーションに自らを置いて、その際に「どんな気分」が生じるか、その未知を、わくわくしながら
待ちかまえましょう。やってみなきゃわからない。行ってみなきゃわからない。わからないことを、わからない
ままに面白がっちゃう、そんな余裕が、人生を豊かにするんですよ。その為に、僕はたとえばこんなことを
やっています、こんな方法もいいですね、と、具体的な方策を例に挙げて、わかりやすく、正直に、熱心に
伝えてくださる、そんな講義だったように思います。
 氏の具体的な実践の数々は、実際に轡田氏の講義を聴講するなり、著作を読んでいただくのが一番
なので、ここではご紹介しませんが、漫然と過ごしていれば忘れ去られてしまう記憶、無かったことに
なってしまう「時間」を、明らかに在ったものとして自らの心に、そして他者の心に記録していくことが
文章を書く最大の効用である。それは人生をより深く、より濃く味わい深いものにする実践である。
その素晴らしさに気づいてもらいたいから、僕は誰にでもできる方法を探究し、提案しているんですよ。
・・・そんな轡田氏の生き生きとした情熱を、間近で感じることができました。

 特に印象に残ったのは、自分自身を「演出」する気分で、という言葉。行動する自分(肉体)と、それを
命じたり観察したりする自分(精神)、その両者が明晰に意識されているのです。自分(肉体)を「感動」が
引き起こされるであろう場に「持っていく」。ただその場に「置く」のではなく、何らかのアクションを課し、
その結果、自分(肉体)の中に起こる様々な情動を観察する。まずはそれが第一段階。その感動を他者に
伝えたい!と思ったとき、それが自然に言葉になる。文章を書く、ということは、そういうことでしょう・・・
 
 関係を「取り結ぶ」「切り結ぶ」という厳しい語感の言葉が、さりげない調子で現れることにも驚きを覚え
ました。自分と「自分を取り巻く世界」との関係に常に真剣勝負で向き合っていなければ、こんな言葉は
思い浮かばないのではないでしょうか。その「感動」を伝えるために、いかなる創意工夫をするか。
そのために本を読む。様々な名文に触れ、時には表現を借り、他の人にわかりやすく伝わるよう心を砕く。
その苦労と達成感が、いわば文章を書く、ということの醍醐味なのでしょう。
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 絶え間なく問い続けること、それが生きるということではないでしょうか、と講義を締めくくられたのですが
問う、という積極性、能動性こそが、氏の生き方そのもののように感じました。
 聴く、感受する、という受動的な方法に徹する生き方もあるでしょう。でも、待っているのではなく、自分から出かけて行った方が、「関係」の生じる確率が高まります。もちろん、傷つく可能性が高まる、ということでもあるけれども・・・。問いかけること、自ら飛び込むことによって、「関係」を作り出す。その「関係」によって生じた「個人的な体験」を、良きにつけ悪しきにつけ、他者に伝えるときに必要となるのが「言葉」。
 講義後の雑談の際、「言葉は、親にもらったものでしょう」と何気なくつぶやかれたことも、強く印象に
残りました。言葉は、父祖伝来のもの、一つの民族の歴史と文化を担うもの、一個人の私物ではない、
という、言葉に対する明確な意識が背後に感じられたからです。 
 意識して「書こう」とするだけで、人生が味わい深くなる。書くことによって、今の自分が見えてくる。
そんな轡田先生の言葉を実践していくためにも、自分のペースで書き続けたい、そう思いました。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-16 23:56 | 随想 | Comments(0)

15年間

10歳から25歳までの15年間は
両親と恩師の庇護のもとで
未知を学び思索の楽しみを知る期間だった

25歳から40歳までの15年間は
恋と別離 結婚と出産
新しい家族と新たな友との交遊の中で
人間の醍醐味を知る期間となった

40歳から55歳までの15年間は
絵画と詩作の実践を通じて
何事かを得ていく期間となるだろう

そして55歳から70歳までの15年間は
介護と保育の実践を通じて
いのちそのものの深みに触れていく期間となろう

70歳のその先は
今の私にはまだ未知数
願わくば 
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自己実現と自我実現
両者が自ずから現れ出でて
実りある時となりますように

人は 明日をも知れぬ命だから
なおさら見果てぬ夢を見る
自己実現が「置かれた場所で咲くこと」ならば
自我実現は置かれる場所を探し求める
未知への道となることだろう

己に期待する者は
畢竟 己の他にはいないのだから

それでもなお
私を受け止めてくれる何者かの気配に
安寧を得る
その幸いを想う
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-15 10:35 | 絵画、詩 | Comments(0)

心の中に家を建てる

 自分の心の中に家を建てる。魂の居場所となる、美しい部屋を創る。そんなイメージを、いつしか抱くようになりました。
 自分の心という憩いの場、いわば「我が家」を、掃除し手入れし、美しく自らの趣味で整える。そうして自分の心の中に居心地のいい、自分の居場所を創る。そんな家なら、愛着もわき、大切にしたいと思うでしょうし、汚そうとするもの、乱そうとするものから、真剣に守ろう、という気持ちがわき起こることでしょう。人生で行き会った人々も、居心地のいい「家」の気配を感じて、その人の「家」を訪れたい、と願うことでしょう。
 昨今の子どもをめぐる環境や、イジメ、というよりも犯罪としか呼びようのない言動、ゆがんだ性衝動などの背景にあるのは、自暴自棄の心だと思います。自分を愛することを忘れ、整えることを忘れ、すさんだ家に帰ることも忘れて一時の享楽に身を任せる子どもたちが、これ以上増えませんように。
 壁には心揺さぶられた情景を額に入れて飾り、本棚には感動した本を並べる。訪れる人に合わせて、その人の喜んでくれそうなお茶菓子を用意し、楽しい会話に打ち興じる・・そんな夢想にふけりながら。
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by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-07 22:15 | 随想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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