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第24回詩と思想新人賞受賞作品

とよとよとよ るゐるゐ とぷん
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
沖縄の内海には濁音がない

ひとところにつもりゆく白い骨
のような珊瑚
一度は生きていたものが
この島を太らせていく

空と海のあわせめを
目の奥に引き寄せる
海からぞくぞくとあがってくる白い影
陽に照らされて泡にくだけ
波打ち際に打ち寄せる

押し寄せる声は
濁音に紛れ乱され

とよとよとよ るゐるゐ とぷん
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
耳をすませれば皮膚が消え輪郭が消え
静けさに手渡されていく体も消えて
わたしの芯にせりあがる波

 ずぶりと砂地に差し入れられた
 アダンの気根
 太い肌に触れれば熱を持って熱い
 大地をつかみとる強さで
 奥底からこみあげるものを吸い上げる

 琉球松の葉は
 太陽(ティーダ)のゆびが編みあげた組み紐
 黒松のように掌を刺すことがない
 顏の無い塊りの風を押し返し跳ね返し
 触れればやわらかに指になじむ

 焼夷弾に燃え尽きたアカギの大木
 根を割って伸びた新しい木が
 押し開いてうねりのびて
 引き裂かれた傷からあふれだすみどり

とよとよとよ るゐるゐ とぷん
とよとよとよ るゐるゐ とぷん
空が傾いて押し寄せてくる
胸を裂いたような赤に吞まれ
ひた寄せる波音を聞いている                      (『詩と思想』2015年12月号)
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「沖縄」を書く、ということの意味を、何度も何度も考えた。
ひとときの旅人の感傷、浅薄な正義感に侵されていないか。
あの日、あの場所で、本当に感じたこと。
私が、伝えずにはいられないこと。
その衝迫。
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タクシーのドライバーさんが、ここに「おじいがいるから」と連れて行ってくれた、平和の礎に刻まれた名前の前で感じたこと。一緒に折り鶴を折りながら思ったこと。本当に身近に、死者たちが息づいている、ということ。
二度と繰り返しませぬから、という誓いは、誰のために誓われたのか。
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あふれかえるような、植物たちの生成のエネルギー。
度重なる台風から、この島を護ってきた防風林の琉球松の葉の、意外なほどの柔らかさ、しなやかさ。



作品提出後も、あれでよかったのか、と悩んでいた。そんな時に、まるで応えのように届いた詩があった。

詩誌『交野ケ原』79号に、「豆が花」という詩を水島英己さんが寄稿されている。その、最終三行。

おまえは聞こうとしない
歌うことのない花がぼくらの間に咲いているからだ
無関心という花
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生死を越えて、耳をすませている人々に、ものたちに、その土地に息づくものに、声を届けるということ。想いを伝えるということ。
それが、私の祈りだと思う。

拙い言葉ながら、このたび機会を得て、文字という形に残すことができた、ということが、何よりもうれしい。
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by yumiko_aoki_4649 | 2015-11-30 10:57 | 詩、詩論 | Comments(1)

知覧に行ってきました。

知覧は、「散華」された青年たちと同数の石灯籠を建てよう、ということから始まった様々な灯籠が、道の両脇にびっしり並んでいて、町全体が参道のようだった。
祈りの場所、忘れないための場所、二度と繰り返させない、為に、決意を新たにする場所。そして、自らを犠牲にして逝った青年たちに、平和を守り抜く、と誓うための場所。

戦闘機は、予想外に大きく、そして、驚くほど薄く、ペラペラと言ってもいい金属で機体が作られていた。軽さと速さ、性能だけを追求した戦闘機。燃料タンクの代わりに、爆弾を積めばいい、などと、どうして「思いつく」ことが出来たのだろう。机上でゲームのように駒を動かして「作戦」を練る、そんな意識で戦争に突入したのではないか・・・。「亜細亜」を、西欧列強の侵略から護る、という「大義」を信じ、あるいは信じさせられていたことの怖ろしさ。実際に「解放」という結果をもたらしたとしても、それが新たな侵略ではない、と言い切る根拠は、いったいどこにあるのだろう。

兵士たちの遺書の、文字の美しさ、教養の高さに圧倒された。あの年齢で、という驚き。これだけ優秀な若者が、「選ばれて」死地に赴いた(行かされた)ということ・・・。優秀「だから」死なせたら惜しい、ということではない。しかし、未来の日本を支え、築き、盛り立てていくはずの有為の青年たちが、その才能を花開かせることはなかった、ということ、その重さを、永遠に語り継いでいかねばならない、と思う。

出撃していった青年たちの「遺書」は、最初の内は父母や親しい女性にあてた手紙など、どこか人間的なぬくもりを持った「決死の覚悟」の表明が多かったように思う。それが次第に、大君の為に、とか、神と成りて皇国を護らん、といった文言が増えて来る。家族への「想い」や「ふるさと」への「想い」などが、むしろ剥奪されていくような、「おもい」が封殺されて、「意志」「決意」へと置き換えられていくような寒々しさを感じた。
右翼のロマン主義者が「家族のため」「恋人のため」「故郷を護るため」俺は死にに行くのだ、というような「英雄的な死」として「特攻作戦」を描こうとするが、そんな甘美さを、少なくとも私は、一切感じることが出来なかった。

一番純粋で信じやすい時期に「洗脳」されて、人間兵器として派遣されていった・・・その非人道性が辛い。

亡くなった青年たちが、真剣に国を思い、決死の覚悟で出撃していったことに、深く敬意を表する。彼らの犠牲の上に、現在の平和が守られていることに、感謝の念を捧げる。だが、何よりも天上の彼らに対する慰霊は、二度と繰り返さない、繰り返させない、と誓う事なのではないか。

青年たちが遺した文字の美しさ、健気さ、秘められた思いを、多くの人に肉眼で見てもらいたい。そして、彼らを追い込んでいった「戦争」というものそれ自体について、考えてほしい、と思う。私も、考え続けたい。
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by yumiko_aoki_4649 | 2015-11-12 08:36 | 随想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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