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『とんてんかん』3号 感想と紹介

『とんてんかん』3号。東日本大震災の翌年に、「私たちの詩を」と出発した現代詩講座(講師 清岳こう)が、その後「とんてんかんの会」として継続発展していく中で発行されている詩誌である。各人の孕む詩世界のエネルギー、奥行きの深まりは、相互研鑽の成果だろう。心に残ったフレーズを紹介したい。

(行分けはスラッシュで一行に圧縮、連分けは改行、中略は・・・で表示)


安部 信嗣「ひきちぎれ」

叩き落とせ 差し出された手を/信じるな 笑顔を/使われるな 痛みを/ 心に 橋は 掛けさせない

この世で一番強いものと 戦うために/おまえの 病んだ両親を 殴り殺せ/泥の中に転がし 背骨を 踏み砕け

烈しい言葉の連打にひるみながら読み進めていく。「どこにも 安全地帯は ないぞ/海の向こうまでも 追いかけて・・・やつらの 子供たちを 病ませ/やつらに 定住の地を 与えない」という呪詛の重さ、「ひきちぎれ おまえを 制御しようとする 鉄の鎖を/ぶったぎれ/おまえを 引き留めている 真綿の鎖も」という沸騰する怒りに遭遇する。「おまえ」は作者自身であると共に、沈黙と忍耐を強いられた人々一人一人であるかもしれず・・・日本を牽引する未来のエネルギーと盛り立てられ、事故後には諸悪の元凶と指弾されている「原発」そのものであるのかもしれず・・・確定できない「おまえ」の向こうから、悲痛な叫びのようなエネルギーが直球で押し寄せて来る。抑圧されている悲しみと怒り、その母体である「おまえ」と読めば、「病んだ両親」とは、経済偏重主義に歪み、天災の悲惨の上に人災の無念をもたらすに至った人間のことではないのか。行間から血が滴るような、強烈な作品だった。


川原 あずさ「寄せては返す」「とんちき大臣 前へ」

毎年 弥生の月に/言葉が振って来る浜辺があると聞いた

そこで降り積もった言葉の見守り人を/探していると知り/あわてて名乗りを上げた・・・前任者は・・・たびたび私の様子を見に来てくれる/毎年 弥生の月には/杖を頼りに浜辺に降りて/言葉を拾い過ぎないようにと/私に声を掛けるために

短いながら、静かに胸に残る一篇。三月に降り積もる言葉とは、死者たちの声に他ならない。前任者は、その言葉を、想いを語り継ぐことを自らに課した、寡黙に言葉を紡ぐ人のことだろう。既に帰天されているのかもしれない。想いが忘れられることのないよう、寄せて来る言葉の「見守り人」になること、詩人として言葉を紡ぐことを決意し、名乗りを上げた「私」。言葉を「拾い過ぎないよう」見守られる存在でもある、という部分に深い陰影と温もりを感じる。

同じ作者の「とんちき大臣 前へ」は、ユーモアに満ちた語り口ながら、辛辣な風刺を効かせた一篇。「とんちき大臣 あんたの故郷は/まっすぐに雨が降りますか」「私が生まれた町は いかなる時もどんな場所でも風が強いから/ななめにしか 傘をさしたことがないんです・・・私はそんな 風の町を捨ててきた/ふるさとにも捨てられた お互いさまと生きてきた」「とんちき大臣 あんたは真っ直ぐな傘だけをさして大きくなったのですか」国会の質疑応答場面を彷彿とさせながら、故郷を離れざるを得ない苦悩と怒りをにじませる。


カエン「家路」

家に帰る道を教えてください/どうして帰れないのかわからないのです・・・誰かに聞こうにも/ここにはあまり人は来ないのです/誰か私を家に連れて帰ってくれませんか・・・もう一度/玄関の扉を開けて/ただいまと言いたいのです

ただ黙って、静かに読む(聴く)一篇。


いけ みき「We

わたしの痛みは/親指の腹にささった 煮干しのえら/銀色に光り 皮膚を裂いた

あなたの痛みは/のどを切り裂いた テロリストのナイフ/暗闇の中で 血管は破断した

わたしの涙は/昏睡状態だった姪の 命が助かったから/バスが揺れた拍子に 一粒こぼれた

あなたの涙は/津波から自分だけが助かったことへの 無念/バスが満員でも 嗚咽は止められない

わたしに染みついているのは/九十歳のそそうの臭い/洗っても洗っても 鼻の奥にはりついている

あなたに染みついているのは 大切にしてきた故郷が なすすべなく崩れ落ちる瞬間/冷静に話している今でも 目には映っている

こんなわたしが/あなたの思いを 受け止められるはずもなく

3パートに分かれている詩の、第1パートを全文引用した。対句や、体言止めや終止形の作りだすリズム、アンダンテのテンポ感を滲ませる整った詩形。言葉の選択が鮮烈で、意外性があるのに日常から乖離していない。他者への共感、共苦の難しさと希求とが交錯する。第2パートは、「ヒロシマの静かな公園」でオバマ大統領が行ったスピーチ。

三十九個の We/二回の We can choose

あなたの「わたしたち」の範囲に/わたしは 入っていますか

あなたが 今から選べる と言っていることは/わたしが 以前に選んだことです/七十年たっても 実現できないのは/ずっと だれかが 選ばなかったからです

唯一の被爆国である日本は、核の恐怖、放射能の脅威を世界中のどの国よりも強く、深く、知っていなければならないのに。その痛みを、二度と繰り返してはならない、という信念に基づいた願いを、発信し続けなくてはいけないのに。

第3パートは、「わたしたち」を使う時の人間心理を抉る。

「わたしたち」を使うとき

一体感という塊を持たせる/安心感を包んで持ち帰る/下心を隠して薄笑いを添付する/共感を強いて考えることを止める/結束バンドで意志を固定する

被害者同士なんだから手を携えろ/同罪なんだから同じ罰はしかたない/オレの意見には口をはさむな/オマエには選ぶ権利はない

「わたしたち」を胃に詰めたまま/ひとりで 歩いていく

いささか生硬というのか、直球過ぎる印象も受けるが、日本政府の用いる「わたしたち」に強い違和感を感じているせいか、まっすぐに言葉が入って来た。


西田 かな「進め 進め」は、文字の形を象形文字のように用いたり、音の響きによって生理的な感覚を喚起させたりするところが面白かった。「現」は小品ながら、外景が内景として反転する終行に余韻が残る。


橋本 信乃「夏の夜」「客席」は、花火を見上げる人々を「たった一人/はじめからひとり/大勢のひとりがここに居合わせ/くり返す爆音と光に心を寄せる」ととらえたり、「歌い出す楽器に息を合わせる」というように、個の集合体がひとつの空間を共に体験する様に、焦点を当てていく視点に惹かれる。


氏家 国浩「風葬の町」

誰もいるはずもない場所に辿り着いた/誰かが結んだ草が 気づかれずに枯れてしまっている

盛り土が覆い隠したのは 何丁目何番地でなく/泣き笑いし 下の名前で呼び合った面影だった

自分の過去を語れない/自分の故郷を話せない

誤解や差別に晒されるのが怖くて/生い立ちを塞ぎ 今を取り繕ってばかり・・・

飾り気のない、ナマの言葉がストレートに畳みかけられる。行間の区切り方や飛び方にリズムがあり、「語れない/話せない」「なった/しまった」「呼びかける人も もういない」「化けて出てもらってもいいのだが それも叶わない」と脚韻的な響きを残した止め方が、余韻を作りだしている。語られなかったこと、飲み込まれた言葉、省かれた言葉の奥に広がる、殺伐とした風景は、作者の心象風景でもあるだろう。

同じ作者の「運命線」「感情線」「生命線」という、手相になぞらえた三篇の小品も、「いじめられている子供に 運命ですねと言えるか/病床で苦しんでいる人に 運命ですねと言えるか」「先細りの生命線の上で狼煙を上げろ/まだ ここで生きていると表明しろ/のた打ち回ってでも 生き延びろ」など、簡潔でストレートな、力強い言葉が印象に残った。


安田 宙生「アレッポの石鹸」

オリーブオイルから手作りで作られた、アレッポの石鹸。アレッポは、現在、欧米各国やISが利権を求めて入り乱れる「内戦」に蹂躙されている国、シリアの首都である。シリアの被災者が難民として海を漂流する様を想いながら、その先の「不寛容」に心を痛めながら、作者は「紙のように薄くなった石鹸を/洗面台に置いておく」。忘れないために。シリアの内戦が始まったのは、東日本大震災が発生した2011年である。


白鳥 由紀栄「ウソ」は子供のように素直な眼差しが眩しい。「拈華微笑」は二篇の詩を呼応させているようにも、内面の応答を形にしたようにも見える工夫が楽しい。ねんげみしょう、禅問答を意識した形式でもあるのだろうか。


木村乙「アリス」は、言葉の止め方で進行のリズムを作りながら、若い女性の生態を「饒舌体」とでも呼びたい文体で活写しようとしているように見える。


實苫 潤「朝の拳銃」「淋しいオレンジ」は、モダニズム風の新鮮なイメージの展開が面白かった。「電話の傍には象がまだ眠っている。カットグラスの底に残った夢が、芝生の下のダイヤを捜している・・・いつも拳銃は窓のあちら側から狙っている。/朝のオレンジを。」


竹野 滴「病み枕」は、「草枕」を踏まえながら、自らの病の現状と治療の様相を、ユーモラスかつ克明に記していく筆力にインパクトがあった。


清岳こうの「大阿蘇」は、肥後椿の名品のイメージに託して、熊本の震災が鎮まることを願った祈りの歌。


「結い結いコーナー」(寄稿欄?)には、谷川俊太郎と植村勝明の二氏が詩篇を寄せている。
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by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-29 16:34 | 読書感想、書評 | Comments(0)

高村光太郎「道程」を読む

大阪で行われている読書会に、メールで遠隔参加しています。
その読書会のために用意した資料。
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by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-19 11:04 | 詩、詩論 | Comments(0)

声ノマ 全身詩人、吉増剛造展 の感想を、吉増風に記してみる。

『我が詩的自伝』は、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」に行ったときに、買いました、お土産に、と思って。剛造ってスゴイ響き、つよい、コワイ、ひびき・・・なんだけれど、すごくやわらかいのね、実際に声を、音声で、聴くと。上品で、ふわ~んと漂っている。ひとつひとつ、掘り出すというのか、つもり重なっている、少しぬれた薄い膜、のようなものを、すうっとめくって、裏表をゆっくり、たっぷり眺めて、ああ、この言葉ね、と嬉しくなるような感じで、言葉を抜いて、空中に並べていく。それが、ひだみたいに、天井から釣り下がって、つらなっている。

 東京国立近代美術館の、館内は全部黒、黒い空間に黒い幕を巡らせて、黒、でした。どこからでもはいれる、でられる。ひびいているんだ、かん、かん、かん・・・銅を、銅板をうがつ、音が。それから、声。文字を、ふうっと手のひらから吹いて、空間に浮べる、ような感じ、その声が、いろんなところから、流れて来る。写真の部屋、というか、ゾーン、空間。いちばん感動したのは、そこでしたね。薄い膜に写した、景色が、フューシャピンク、黄緑、カーマインイエロー・・・彗星みたいに、星の尾みたいにぼわーんとひろがって、重なって、そこに、あるんです、その、時間が。多重露光。その、場所にいた、その時の、こと。言葉を付けていく、これは、あっても、なくても、いいのね、なくてもいい、ということではないけれど、あると、もちろん、後から読む。読んだ時の、その今が、またふわあっと広がって、重なる。

 MOMAT みゅーずぃあむ おぶ もだあん あーと の略称なのかな、そのパンフレット、7を写しますね。〈怪物君 Dear Monster 2011年の東日本大震災から約一年後に制作がスタートした作品。前半の巻物仕立ての部分は吉増自身による詩作で、後半は、主として吉本隆明の著作のうち、『日時計篇』や『マチウ書試論』などを書き写した上に、水彩が施されています。前半部分では、吉増自身による本作の朗読をお聴きいただけます。また最後の部分では、〈New gozoCine〉、すなわち〈怪物君〉後半部分の制作風景を吉増自らが撮影した映像作品をモニターで見ていただけます(8台とも内容は同じです)。〉漢字と平仮名、カタカナ、全部読むのね、丁寧に、裏返すように、味わいながら。文字の大きさは声の大きさなのかと思っていたら、そうじゃなかった。ぜんぶ、ゆっくり、間を楽しみながら、読む。沈黙の間に、息が、流れたり、止まったり、する、している。絵の具をたらしたりぐしゃぐしゃにこすったり、その間も、ずっと話しているのね、隆明さんと。書き写された向こうに、ゆらゆら立ち上がる、その像をすうっとつかんだり、混ぜ合わせたり、また梳き込んだりしながら、たのしそ~うに、色を塗る、重ねる。対話、なんですよ、ずっと、そのあいだ。手を留めると、声が、終わっちゃう。だから、とめられない、えんえん、えんえん、続く。

 4のゾーンは、〈声ノート〉等、でした。カセットテープが、柱のように、といっても、横に伸びていく柱、なのですけれど、ぎっしり、並べられている。300本くらい、かな。いや、ちがうな、〈声ノート〉が300で、「声」のコレクションがあるんだ。〈ここでは総計約1000本のカセットテープを展示。天井から吊り下げられたスピーカーからは、〈声ノート〉を中心に10の音源を聞いていただけます〉伸びていく声。半分透き通った、プラスティックの箱に入った、声が、ぎっしり、並んで。

 1のゾーン、最初のところは、日誌・覚書、でした。〈19611月(22歳になる直前)から2012年までの日誌や覚書を展示しています。年を経るにつれて、「内なる声の吐露」から「(読書などを通して)外の声を聞き、内なる声を蓄えるためのメモ」へと、日誌の役割が変化したことがわかるでしょう。筆跡の変化も興味深いところです。〉同じようなノートが、たくさん、たくさん。ぜんぶ、とってあるんだなあ。残る、と思っていたのかな、死んだ後も。遺書でしたよ、全部、そう考えると。この執拗さ、丁寧さが、吉増剛造なのかな、と思うくらいに。

 螺旋階段みたいに、裏側をぐるっと回って眺めたり、その上をトントンと登って行ったり、するみたいに、声が、ありました。ずうっとソフトに、傷口にガーゼをあてるときみたいに、ふわりと覆う、声、少しだけ鼻にかかっていて、しぼりだすよう、ではなくて、内側から抜き取ってそっと置いていく、ような声。間がすばらしい。読むときの、間合い。対話、なんだと思います。亡くなって、向こう側に行った人たちとの、白い紙を突き抜けて、紙の上にゆらいでいる場所での。
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(2016.6.7~8.7 東京国立近代美術館)

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by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-15 11:20 | 美術展感想 | Comments(0)

茨木のり子さんの言葉について、想うこと。

いちど視たもの――1955年8月15日のために――
        茨木のり子
       
いちど視たものを忘れないでいよう


パリの女はくされていて
凱旋門をくぐったドイツの兵士に
ミモザの花 すみれの花を
雨とふらせたのです・・・・・


小学校の校庭で
わたしたちは習ったけれど
快晴の日に視たものは
強かったパリの魂!


いちど視たものを忘れないでいよう


支那はおおよそつまらない
教師は大胆に東洋史をまたいで過ぎた
霞む大地 霞む大河
ばかな民族がうごめいていると
海の異様にうねる日に
わたしたちの視たものは
廻り舞台の鮮やかさで
あらわれてきた中国の姿!


いちど視たものを忘れないでいよう


日本の女は梅のりりしさ
恥のためには舌をも噛むと
蓋をあければ失せていた古墳の冠
ああ かつてそんなものもあったろうか
戦いおわってある時
東北の農夫が英国の捕虜たちに
やさしかったことが ふっと
明るみに出たりした


すべては動くものであり
すべては深い翳をもち
なにひとつ信じてしまってはならない
のであり
がらくたの中におそるべきカラットの
宝石が埋もれ
歴史は視るに値するなにものかであった


夏草しげる焼跡にしゃがみ
若かったわたくしは
ひとつの眼球をひろった
遠近法の測定たしかな
つめたく さわやかな!


たったひとつの獲得品
日とともに悟る
この武器はすばらしく高価についた武器


舌なめずりして私は生きよう!


(この詩を、もう一度読み直したくなった。「教育」が、何を残すか、何をもたらすか・・・なにひとつ信じてしまってはならない、この苦い宣言は、いったいなんなのか・・・)


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には 倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない


ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい


(怒りや無念を通り越して、痛いような悲しみとしてそこにある絶望の重さ。日本は、日本人は、「敗戦」から何を学んだのだろう。)


金子さんは、自己の感受性を何ものよりも信じた人であり、自分自身の頭と躰だけで考えに考えた思考の人である。このごく当たり前のことが日本人の最も苦手とするところだ

(『金子光晴詩集』に茨木さんが寄せた言葉。金子光晴は、茨木さんの前で「ええかっこしい」だったかもしれない、けれども・・・それを差し引いた、としても・・・茨木さんの日本人評に関しては、今でも当てはまるような気がする。)


わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った


わたしが一番きれいだったとき
わたしの國は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた


(戦時中、自分の頭で、躰で、考えなかった・・・自分の感受性を信じることができなかった・・・その悔恨と苦さを、痛みとして引き受けて生きていく。これからは、自分自身の頭と躰で、感じて、考えて、生きて行ってやる。そんな悔しさや無念や怒りや決意が、「わたしが一番きれいだったとき」の、一見ポジティブに見える表現――の中に重く沈んでいるように思う。
「わたしが一番きれいだったとき」を読むと、戦争中のことは忘れて、これからを生きよう、というポジティブさが感じられる、という感想をネットで見かけたので――これからを生きよう、という決意の強さに関しては、否定しないけれども――書きつけておきたくなった。)


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by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-11 11:22 | 詩、詩論 | Comments(0)

第10回「文芸思潮現代詩賞」(2014年度)優秀賞

海がふくらんでいく
うずくまっていたものが
ゆっくりと足をのばし雄叫びをあげる
通り過ぎる気配だけが野を吹き抜け
押しよせる透き通ったかたまりが
私をのみこみあふれ流れ

かろうじてつかんだぬるい体温は
灰となって指の間からこぼれ
私はからっぽの水槽
ひとりふるえている

あなたの芯で生まれ直す種の
守られている場所は熟れて朽ちて
くずれていく肉の甘さ

のみこんだ種が芽吹き始める
ひしめきあい押しのけあい
やがてひとつだけが
のびて のびて
私を内から突き破り
指先から萌えだす若葉
かずらとなってからまりゆく黒髪の先
白い枝が肌を裂いて
ひろがりながら天をおおう

真昼の木漏日を糸に紡ぎ
織り上げていく一枚の布
舞い落ちる葉を織りこみ
実りを搾りその汁で染め
大地を横切る茜色の川に
織り上げたものをさらす

喉をうるおし身をやしなう
あなたの果肉が
天をおおう枝の網目に
たわわに実り
夜を埋め尽くして
輝いている

2014年度なので、3年前になりますが・・・「文芸思潮」現代詩賞「優秀賞」作品をアップします。若干、改稿しました。
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by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-06 11:03 | 詩、詩論 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by yumiko
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