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陶原葵さん『帰、去来』感想

 陶原葵さんの新詩集『帰、去来』を読みながら、感じたこと、想ったことなどを記したい。

古風で格調の高い表紙、冒頭にエピグラフのように置かれた、禅の公案・・・この詩集の世界に、入っていけるだろうか?かすかに不安を抱きながら読み始めたのだが・・・余白の多い詩行の間から、向う側へと静かに迎え入れられるような、そんな広がりと奥行きを持つ詩集だった。

今、ここにある時間と、かつてあった時間、あるいは今、ここにない時間・・・その間に広がっている、河原のようなところ。中也の「観た」であろう、抑えたきらめきで光がさらさらと流れて行くような、しん、と静まり返っている空間・・・へ、降りていく、あるいは訪ねていく。その中で佇んでいる。そんな気持ちに誘われていく。

「卯木」の小花の白、のイメージ。うらじろの森、全体に白く、抑えたハレーションを起こしているような、何処とも、いつとも知れない森、の中で・・・孵化する寸前の〈青い卵〉を、そっと手にする。ひっそりと、自分のものにする。飛び立つかもしれないものを、ひそかに私のもの、にする、どこかうしろめたいような感覚を思い出す。

「眠、度、処方」、夢の狭間に広がる、不思議な空間の中で、いったい、誰と、何と、話をしているのか・・・声を聞いているのか。茫洋とした中で、くっきりしたものに触れる、ということ。〈それは切っ先が 刹那 に 触れたと思われます〉この一節に身震いした。神経のもっとも尖った、澄んだ切っ先・・・が、〈間〉から生まれて来るものに触れた。そんな気がしたのだった。

「柱」の冒頭、〈耳のおくに澄むものが〉ここは、住む、ではなくて、澄む、を用いている。何か透明に、鎮まっていくような、存在そのもの、の気配、のような。〈通夜の果て〉に出会う人は、誰なのだろう。たどり着くのは、何処なのだろう。その人の記憶、から逃れるように、前に進まなければならない足取りの重さ・・・濃度のある大気にとらわれているような、そんな重みの中で、ゆっくりと前進していく、そんな歩行を感じる。大地そのものとなっている体を、引きずって歩いているような不思議な質感もあり・・・〈翅のない蝶〉が眼をあける、目覚める最後が鮮烈だった。

「あつまってくる夜に」は、吉原幸子さんの「をさなご」を思い出しつつ・・・孩児、という耳慣れない言葉を辞書で調べることになった。幼子であると同時に、幼児の戒名でもあるという。〈金の梨地の川〉、ここはまるで、絵の中に入っていくような感覚。金粉を撒いた日本画の、墨の濃淡が茫漠と広がる世界。死者の居る場所の方が生きた空間で、永遠の春のような、秋のような、花や果実の盛りが続いているような・・・。

「著莪」、シャガ。胡蝶花とも呼ぶことを知った。〈鏡の裏に 階段をおりてくる痛みが映る/展翅板に刺されたまま 発光する螢よ〉痛み、そのものが、存在である、ということ。哀しみ、を通り越して。針で止められた、飛び立てぬまま誰かを待っている、魂、の気配。

詩集表題ともなっている「帰、去来」。しんだわたし、と、生きているわたし、が出あう様な感覚を覚えた。過去の記憶が発芽する、想い出のはざま、のような場所。何度も何度も訪れては、またそこを立ち去らねばならない。既に記憶にない、もしかしたら祖先たちの記憶であるのかもしれない、そんな古いものが、地層から芽を出しているような感覚があった。

〈(つかれていた/意味を問うことに)言葉を、すべて意味から解放できたら。どうしても、言葉が通じない、論理が届かない。そんな時、いくら説明を尽くしても、尽くしきれない、そんな時・・・なおさら、言葉、の意味を、そっと水に流してしまいたい、そんな気持ちになる。〈自転の鼓動に呼ばれてしまって〉地球そのものと一体化しているような、時を超えた存在と同化しているようなスケールに惹かれる。

44頁あたりからの、言葉がポロポロと散らばりながら集まって来るような、その余白から聞こえて来る、声。南洋で兵士として戦った者の声・・・それは、御父上なのか、あるいは・・・。書架の奥で、埃にまみれた手記を繙いているうちに、時の狭間に置き去られたような感覚になる、しんと穴ぐらの底に坐っているような気がしてくる・・・そんな想いに引き寄せられていく。

「淵」も不思議な質感を持つ作品だった。鳥の姿となった死者・・・自らはそのことに気付かないまま、そんな死者たちが、ひとり、またひとり、と訪れる、そんな明るい谷間を想い浮かべる。〈あんがい深い根 なのだと知る/なつかしいものなのだ永遠とは〉戻っていく場所。根の国、という言葉があるが、ねむりの間にながれだしているもの、とは、なんだろう・・・意識が夜ごと体を抜け出し、形をとるのかもしれない。「減築の庭」、これはまるでわらべ歌のようなリズムに乗せられて、何か懐かしい空間に呼び込まれていくような作品だった。〈ひとであることを証明できるものはなにもない〉そう、私たちは、人、であるけれど・・・人って、なんだろう。増築、ではなく、少しずつ減っていく改築、とは・・・。家を建て直す。取り壊す。そのたびに掘り返す庭・・・過去の重層の中から現れて来る、骨、影、姿・・・。記憶の中にだけ残る、かつてあった、家の形。庭の姿。

「20×5」、この題は、人の一生を示しているのだろうか。記憶にあるのは、10代から?20代から?〈それにしても正しさは寂しさを肯い続ける〉正しくあろうとすれば、寂しさに出会わねばならないのか。〈どこにも還ることのできない宇宙葬ほど/ざんこくなものはないのです〉どこにも受け入れられない、彷徨い続ける躯。もし、〈正しさ〉を選択したがゆえに、寂しさの海を漂うのだとしたら。

生きて流れて行く、その時間の中で出会う、くっきりとした硬さ、のようなもの。それが、〈高い氷点〉であるのかもしれず・・・〈冷え の純度〉であるのかもしれず・・・それこそが、〈それは切っ先が 刹那 に 触れた〉瞬間であるのかもしれない。

死者たちが集う空間に、現身のまま招き入れられるような、そんな静けさを感じる詩集だった。私の亡くなった父も、こんな場所にいるのではないか。出会ったことはないけれど、過去の詩人たちとも、ここでなら出会える。言葉が形をまとって、透き通った幼子の躰をとって、河原にしゃがんでいる、ような・・・そんなイメージの中を旅していく、そんな時間を、味わうことができる。部分引用ではなかなか、感じたことを伝えられそうにない。ぜひ、全体を通読してほしい。

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by yumiko_aoki_4649 | 2017-06-21 11:06 | 読書感想、書評、批評 | Comments(0)
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