Yumiko's poetic pictures

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高村光太郎「道程」を読む

大阪で行われている読書会に、メールで遠隔参加しています。
その読書会のために用意した資料。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-19 11:04 | 詩、詩論 | Comments(0)

声ノマ 全身詩人、吉増剛造展 の感想を、吉増風に記してみる。

『我が詩的自伝』は、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」に行ったときに、買いました、お土産に、と思って。剛造ってスゴイ響き、つよい、コワイ、ひびき・・・なんだけれど、すごくやわらかいのね、実際に声を、音声で、聴くと。上品で、ふわ~んと漂っている。ひとつひとつ、掘り出すというのか、つもり重なっている、少しぬれた薄い膜、のようなものを、すうっとめくって、裏表をゆっくり、たっぷり眺めて、ああ、この言葉ね、と嬉しくなるような感じで、言葉を抜いて、空中に並べていく。それが、ひだみたいに、天井から釣り下がって、つらなっている。

 東京国立近代美術館の、館内は全部黒、黒い空間に黒い幕を巡らせて、黒、でした。どこからでもはいれる、でられる。ひびいているんだ、かん、かん、かん・・・銅を、銅板をうがつ、音が。それから、声。文字を、ふうっと手のひらから吹いて、空間に浮べる、ような感じ、その声が、いろんなところから、流れて来る。写真の部屋、というか、ゾーン、空間。いちばん感動したのは、そこでしたね。薄い膜に写した、景色が、フューシャピンク、黄緑、カーマインイエロー・・・彗星みたいに、星の尾みたいにぼわーんとひろがって、重なって、そこに、あるんです、その、時間が。多重露光。その、場所にいた、その時の、こと。言葉を付けていく、これは、あっても、なくても、いいのね、なくてもいい、ということではないけれど、あると、もちろん、後から読む。読んだ時の、その今が、またふわあっと広がって、重なる。

 MOMAT みゅーずぃあむ おぶ もだあん あーと の略称なのかな、そのパンフレット、7を写しますね。〈怪物君 Dear Monster 2011年の東日本大震災から約一年後に制作がスタートした作品。前半の巻物仕立ての部分は吉増自身による詩作で、後半は、主として吉本隆明の著作のうち、『日時計篇』や『マチウ書試論』などを書き写した上に、水彩が施されています。前半部分では、吉増自身による本作の朗読をお聴きいただけます。また最後の部分では、〈New gozoCine〉、すなわち〈怪物君〉後半部分の制作風景を吉増自らが撮影した映像作品をモニターで見ていただけます(8台とも内容は同じです)。〉漢字と平仮名、カタカナ、全部読むのね、丁寧に、裏返すように、味わいながら。文字の大きさは声の大きさなのかと思っていたら、そうじゃなかった。ぜんぶ、ゆっくり、間を楽しみながら、読む。沈黙の間に、息が、流れたり、止まったり、する、している。絵の具をたらしたりぐしゃぐしゃにこすったり、その間も、ずっと話しているのね、隆明さんと。書き写された向こうに、ゆらゆら立ち上がる、その像をすうっとつかんだり、混ぜ合わせたり、また梳き込んだりしながら、たのしそ~うに、色を塗る、重ねる。対話、なんですよ、ずっと、そのあいだ。手を留めると、声が、終わっちゃう。だから、とめられない、えんえん、えんえん、続く。

 4のゾーンは、〈声ノート〉等、でした。カセットテープが、柱のように、といっても、横に伸びていく柱、なのですけれど、ぎっしり、並べられている。300本くらい、かな。いや、ちがうな、〈声ノート〉が300で、「声」のコレクションがあるんだ。〈ここでは総計約1000本のカセットテープを展示。天井から吊り下げられたスピーカーからは、〈声ノート〉を中心に10の音源を聞いていただけます〉伸びていく声。半分透き通った、プラスティックの箱に入った、声が、ぎっしり、並んで。

 1のゾーン、最初のところは、日誌・覚書、でした。〈19611月(22歳になる直前)から2012年までの日誌や覚書を展示しています。年を経るにつれて、「内なる声の吐露」から「(読書などを通して)外の声を聞き、内なる声を蓄えるためのメモ」へと、日誌の役割が変化したことがわかるでしょう。筆跡の変化も興味深いところです。〉同じようなノートが、たくさん、たくさん。ぜんぶ、とってあるんだなあ。残る、と思っていたのかな、死んだ後も。遺書でしたよ、全部、そう考えると。この執拗さ、丁寧さが、吉増剛造なのかな、と思うくらいに。

 螺旋階段みたいに、裏側をぐるっと回って眺めたり、その上をトントンと登って行ったり、するみたいに、声が、ありました。ずうっとソフトに、傷口にガーゼをあてるときみたいに、ふわりと覆う、声、少しだけ鼻にかかっていて、しぼりだすよう、ではなくて、内側から抜き取ってそっと置いていく、ような声。間がすばらしい。読むときの、間合い。対話、なんだと思います。亡くなって、向こう側に行った人たちとの、白い紙を突き抜けて、紙の上にゆらいでいる場所での。
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(2016.6.7~8.7 東京国立近代美術館)

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# by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-15 11:20 | 美術展感想 | Comments(0)

茨木のり子さんの言葉について、想うこと。

いちど視たもの――1955年8月15日のために――
        茨木のり子
       
いちど視たものを忘れないでいよう


パリの女はくされていて
凱旋門をくぐったドイツの兵士に
ミモザの花 すみれの花を
雨とふらせたのです・・・・・


小学校の校庭で
わたしたちは習ったけれど
快晴の日に視たものは
強かったパリの魂!


いちど視たものを忘れないでいよう


支那はおおよそつまらない
教師は大胆に東洋史をまたいで過ぎた
霞む大地 霞む大河
ばかな民族がうごめいていると
海の異様にうねる日に
わたしたちの視たものは
廻り舞台の鮮やかさで
あらわれてきた中国の姿!


いちど視たものを忘れないでいよう


日本の女は梅のりりしさ
恥のためには舌をも噛むと
蓋をあければ失せていた古墳の冠
ああ かつてそんなものもあったろうか
戦いおわってある時
東北の農夫が英国の捕虜たちに
やさしかったことが ふっと
明るみに出たりした


すべては動くものであり
すべては深い翳をもち
なにひとつ信じてしまってはならない
のであり
がらくたの中におそるべきカラットの
宝石が埋もれ
歴史は視るに値するなにものかであった


夏草しげる焼跡にしゃがみ
若かったわたくしは
ひとつの眼球をひろった
遠近法の測定たしかな
つめたく さわやかな!


たったひとつの獲得品
日とともに悟る
この武器はすばらしく高価についた武器


舌なめずりして私は生きよう!


(この詩を、もう一度読み直したくなった。「教育」が、何を残すか、何をもたらすか・・・なにひとつ信じてしまってはならない、この苦い宣言は、いったいなんなのか・・・)


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には 倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない


ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい


(怒りや無念を通り越して、痛いような悲しみとしてそこにある絶望の重さ。日本は、日本人は、「敗戦」から何を学んだのだろう。)


金子さんは、自己の感受性を何ものよりも信じた人であり、自分自身の頭と躰だけで考えに考えた思考の人である。このごく当たり前のことが日本人の最も苦手とするところだ

(『金子光晴詩集』に茨木さんが寄せた言葉。金子光晴は、茨木さんの前で「ええかっこしい」だったかもしれない、けれども・・・それを差し引いた、としても・・・茨木さんの日本人評に関しては、今でも当てはまるような気がする。)


わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った


わたしが一番きれいだったとき
わたしの國は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた


(戦時中、自分の頭で、躰で、考えなかった・・・自分の感受性を信じることができなかった・・・その悔恨と苦さを、痛みとして引き受けて生きていく。これからは、自分自身の頭と躰で、感じて、考えて、生きて行ってやる。そんな悔しさや無念や怒りや決意が、「わたしが一番きれいだったとき」の、一見ポジティブに見える表現――の中に重く沈んでいるように思う。
「わたしが一番きれいだったとき」を読むと、戦争中のことは忘れて、これからを生きよう、というポジティブさが感じられる、という感想をネットで見かけたので――これからを生きよう、という決意の強さに関しては、否定しないけれども――書きつけておきたくなった。)


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# by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-11 11:22 | 詩、詩論 | Comments(0)

第10回「文芸思潮現代詩賞」(2014年度)優秀賞

海がふくらんでいく
うずくまっていたものが
ゆっくりと足をのばし雄叫びをあげる
通り過ぎる気配だけが野を吹き抜け
押しよせる透き通ったかたまりが
私をのみこみあふれ流れ

かろうじてつかんだぬるい体温は
灰となって指の間からこぼれ
私はからっぽの水槽
ひとりふるえている

あなたの芯で生まれ直す種の
守られている場所は熟れて朽ちて
くずれていく肉の甘さ

のみこんだ種が芽吹き始める
ひしめきあい押しのけあい
やがてひとつだけが
のびて のびて
私を内から突き破り
指先から萌えだす若葉
かずらとなってからまりゆく黒髪の先
白い枝が肌を裂いて
ひろがりながら天をおおう

真昼の木漏日を糸に紡ぎ
織り上げていく一枚の布
舞い落ちる葉を織りこみ
実りを搾りその汁で染め
大地を横切る茜色の川に
織り上げたものをさらす

喉をうるおし身をやしなう
あなたの果肉が
天をおおう枝の網目に
たわわに実り
夜を埋め尽くして
輝いている

2014年度なので、3年前になりますが・・・「文芸思潮」現代詩賞「優秀賞」作品をアップします。若干、改稿しました。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2017-03-06 11:03 | 詩、詩論 | Comments(0)

うゆらら・・・私が「詩」と出会った頃

はじめて「詩」を書いたのはいつだったろう……1人で本を読めるようになったころ、『ねえ、おはなし よんで』という分厚い本の中に「まど・みちお」という不思議な名前の人をみつけた。その人の数行の文字列を、探しては繰り返し読んでいた。その時は「詩」という言葉も「詩人」という言葉も知らなかったけれど、作品としての詩との出会いは、きっとその頃だと思う。

住宅街から森を抜け畑を抜け、川を渡り……ようやくたどりつく小学校は、大人の足で40分、子供の足では2時間近くかかる遠路の果てにあった。(東京の東久留米市に生まれたが、3歳からは川越の郊外…霞が関カントリークラブの近郊に長いこと住んでいた。)白鷺が飛ぶ空の向こうに、秩父連山が青く望まれ、時には富士山も薄っすら姿を見せる。通学仲間といつのまにかはぐれてしまう極度にマイペースな子供にとって、それは想像力の森をくぐり抜ける豊かさに満ちた時間だった。私の「詩」との出会いは、あの通学路で既に準備されていたのかもしれない。

教科書を手に入れると、その日のうちに国語は全部読んでしまう、そんな本好きの子供にとって、「詩」は読むものではあっても、書くことなど思いもよらない、なにか特別なものだった。だから、授業で「詩」を書くことになった時は、本当に緊張した。10歳くらいの頃だったと思う。考えあぐねた末、「生命の門」という題で、一篇の詩を書いた。暗い灰色の空間に、ほのかに明るんでいるところがあって、その境目に虹色のチューブのような門がある。生き物はその向こうからやってきて、またその向こうに還って行く……絵も添えたかもしれない。先生にめちゃくちゃ褒められ、自分としては非常な居心地の悪さが残った。なぜならその「詩」は、当時夢中になって読んでいたミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の中の、ウユララの門、という印象的なエピソードを、言葉に直したに過ぎなかったからだ。

ウユララとは、世界の真実を告げ知らせる巫女のような存在だが、声だけで実体を持たない。そのお告げ所に入るためには、現世の記憶を全て忘れなければならないので、大抵の者は何のためにウユララに逢いに行ったのかすら忘れてしまい、二度と戻ってくることができない。それでもなお強い念に引かれて、この世に戻って来られた者だけが、ウユララの声を人々に伝えることができる……大人になってから読み直していないので、当時の記憶のままに記しているのだが……そんな異界の声をこの世に連れて来る者、それが詩人であり、その声こそが「詩」なのだと、10歳の私が考えていたのか、どうか……定かならぬものの、今でも、たぶんそのあたりに「詩」が漂っている、ような気がしている。

『千年樹』69号エッセイ


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# by yumiko_aoki_4649 | 2017-02-27 09:28 | 随想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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