Yumiko's poetic world

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想像力

 いじめ、水害、脱原発・・・もどかしいけれど、自分ではなんともできないニュースばかりが続いて、心が重くなります。
 大人社会でもイジメがあるのに、子ども社会にはそれがない、と考えること自体がおかしい。むしろ、からかったりふざけたりしているつもりなのに、それがエスカレートして歯止めが利かなくなる、という、子ども社会特有の残酷さに、大人が気づいてやらなければいけない。自分の行為がからかいなのかいじめなのか、気づかせるためには、相手の身になって考える、という想像力が不可欠でしょう。子どもの頃に、知識詰め込みのクイズのような勉強ばかりしていると、想像力に乏しい子どもに育ってしまうような気がしてなりません。
 離れた土地の災害について思いを馳せたり、エネルギー政策について考えたりする力も、想像力。空想力をいかに身に着けるか、といったら・・・子どもの頃のごっこ遊びや、物語や絵本に親しむ、ということのほかにないのではないか、と思います。
 薪や水車が石炭に代わり、やがて石油にとってかわられていったように、いつか原発も自然エネルギーにとってかわられていくであろうことを願ってやみません。私たちにできることは、悲劇や危険を忘れないこと、語り伝えること、立場を変えて想像してみること。d0264981_10411576.jpg
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-17 10:42 | 絵画 | Comments(2)

気づいた分だけ

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たいようってすごいよね だってひとつしかないのに どこにでもある

おつきさまって わたしのことがすきなんだよ だってどこまでもどこまでも おいかけてくるもの 

はじめのいっぽでしまからしまへ わたっていけたらいいのにな

こどものなにげないつぶやきに はっとする朝

きょうわたしは きづいたぶんだけ りっぱなこどもになれました
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-11 13:47 | 絵画 | Comments(0)

またイジメのニュースです

 テレビの報道で、中学二年の少年が命を絶ったことを知りました。
 なぜ、イジメが起きるのでしょう。報道を見ている限りの私見ですが、先生や学校側の黙殺が、イジメを助長し、周囲の子どもたちを沈黙させ、少年を追い込んで行った様子が見えてきて、胸が痛くなります。
 私が五年生の時、○○菌が付いた~と、○○さんが触れた机や椅子に触らない、というような「イジメ」がありました。最初は鬼ごっこの延長のような、本当に他愛無いものでしたが、いつでも○○さんだけが「鬼」にさせられるのは、やはりおかしい、と感じました。そこで、「触らない側」から離れ、○○さんと一緒にいるようにしたとたん、「点取り虫」やら「(いいこ)ぶりっ子」などと言われ、私もクラス全体から「シカト」されたり、日記を盗まれて回し読みされたりしました。自分が「からかっている側」にいる間は、大したことだとは感じない。でも、「集団にからかわれる少数者」になったとたん、孤独感と絶望感に打ちのめされそうになりました。当時、急性胃炎になって内科医を受診したのですが、先生は聞き上手で、親にも先生にも話せなかったクラスの状況を、その内科医の女医さんにだけは話すことができました。そして、話しただけで、たいした薬も飲まないで「病気」は治ってしまったのでした。その後、担任の先生に勇気を持って打ち明け、先生が上手にフォローしてくれて、集団イジメというか「集団によるからかい」は消えていきました。
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 子どもの心は善でも悪でもない。同じ感情が、他者に対する尊敬や憧憬になったり、ねたみやそねみになったりします。自分自身に自信や誇りを持っている子ども、あるいは、将来に対して何らかの希望を抱いている子どもは、素直に他者を認め、自分も頑張ろう、と前向きになれる。でも、将来に対して希望を持てない子どもは、卑屈になり、他者を攻撃することで腹いせや八つ当たりをしたりする。そんなことから、イジメが始まるのではないでしょうか。
 他者の立場になって感じたり考えたりする「想像力」も、イジメをなくしていくためには大切でしょう。
 子どもたちが希望を持てること。自分に自信を持てること。他者の感情を想像する心の豊かさを持つこと。自分の行為が、「からかい」であるのか、「イジメ」であるのか、自己判断できる良心を持つこと。
 絵本や童話は、子どもの心に一番近いメディアです。子どもたちが自分の心を見つめ直すことができるような上質なものが、子どもたちの身近にあることを願ってやみません


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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-05 09:12 | 随想 | Comments(0)

星の王子様

 『星の王子さま』の原題は“Le Petit Prince”。星の、というコトバはありません。内藤濯氏の、まさに超訳。生前の内藤先生を知る方から、「人は誰でも自分の心の中に学校を持っている」という珠玉の言葉を教わりました。含蓄があります。
 子どもの頃は、様々な星をめぐってきた王子と、地球人との対話、という表のストーリーしか読むことができませんでした。終わり方も不可解。なぞばかりが残る厄介な本でした。でも、大人になって読み直して、王子と王子が愛した薔薇との、切ないまでの行き違いが、胸に迫ってくることに気が付きました。
 王子を愛しながら、それを素直に表現できない薔薇。自分は動くことができず、人間になって王子に近づくこともできない、そんなもどかしさが、薔薇のわがままを加速させたのかもしれません。薔薇に振り回された挙句、薔薇の気持ちを読み取れないまま自分の「ふるさと」をすら捨てて、逃げ出そうとする王子。薔薇のそばを離れて初めて、自分の星の素晴らしさや薔薇の想いの深さに気づくのです。
 自分の星を守るために、バオバブをヒツジに食べさせたい、という王子のセリフも、象徴的です。ヒツジはイエス・キリストを連想させます。星をめちゃくちゃにする、虚栄の大木を、まだ小さな内にヒツジに食べさせたい、という作者の願いでしょうか。でも、そのヒツジが「愛する薔薇」を食べてしまったらどうしよう、と、また小さな王子は思い悩みます。
d0264981_16222940.jpg王子の住んでいた小さな星、は、いったいどこにあるのでしょう。誰もが心の中に持っている、自分だけの領域のような気がしてなりません。
 こどものまなざしで「世間」や「社会」を見るとき、私たちは王子と同じ小さな星の上に立って、地球の上の出来事を驚きの目で見ることができるのかもしれません。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-28 16:26 | 随想 | Comments(0)

クライドルフ展

クライドルフ展に行ってきました。流麗かつ繊細な線、丁寧な彩色。19世紀後半から20世紀前半、という時代ながら、まったく古さを感じさせません。柔らかな写実を追及した「オトナ向け」の絵も展示されていましたが、その写実の先に展開する、「擬人化された生き物たちの世界」の豊かさに、しばし時を忘れました。
アーサー・ラッカムの妖精画に近いものを感じますが、クライドルフの線はより簡潔で、日本画的な印象をすら受けます。
人間臭い、ユーモラスな昆虫のそぶりや、顔や手足のついた草花の世界は、擬人化、という言葉の用法に当てはまりません。大人が子どもの為に「わかりやすく人間になぞらえて語る世界」が擬人化された表現、であるなら、クライドルフの世界は、あらゆるものが自ずから語りかけてくる幼年時代の再現、あるいは幼心を通して見つめた世界の正直な表現、ということになるでしょうか。子どもの頃に羽目板の節穴に顔を見つけてドキッとしたり、空の雲に顔を見つけたりしたときの感覚に近い、肌なじみのよい、どこか懐かしい世界です。渋谷Bunkamura、7/29日まで。d0264981_17463444.jpg
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-06-26 17:48 | 美術展感想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by まりも
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