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伊藤桂一さん詩集『竹の思想』感想

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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-11-01 13:53 | 読書感想、書評 | Comments(0)

伊東静雄ノート1

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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-10-14 16:05 | 伊東静雄 | Comments(2)

帰郷(『POCULA19号』)

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・・・編集時に、イメージに合う写真を添えて下さったようです・・・。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-09-06 16:04 | 詩、詩論 | Comments(0)

領域侵犯(『千年樹』67号掲載)

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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-08-24 23:44 | 詩、詩論 | Comments(0)

たとえば 吉野弘 黒田三郎 まど・みちお・・・事実と真実

 吉野弘の「I was born」、完全なノンフィクションだとずっと思っていたのだが、吉野さんのエッセーによると、創作であるらしい。少年時代にI was bornという英文に引きとめられ、それが何かわからないまま大人になった、という「事実」と、図鑑で見た蜉蝣の卵、そこで見た生と死の鬩ぎ合う哀しさへの感動、という「事実」が、詩的真実の種、だったということになる。死を暗示する寺の境内、生を象徴する身重の女、そして、自分が生まれた事によって母が死んだ、という、伝聞によって知る「事実」。生と死、それを、自分をこの世に生み出した一人である父から聴く、というシチュエーションの設定。完璧なまでの情景の創作が、詩的真実をリアルに読者に届けるひとつの舞台となって、そこに詩が生まれたのだ。(吉野弘『現代詩入門』など)
 黒田三郎の「夕方の三十分」は、恐らく「事実」に基づく作品だろう。それでも、イメージの詩的誇張や言葉運びのリズム、場合によっては娘のユリの発言の前後を入れ替えたり、自分の言葉で補ったり言い換えたり・・・といった操作が行われているに相違ない。その行為は、「事実」を捻じ曲げる虚飾だろうか?いや、そのときの心情、関係性、思惟の真の姿を伝えるための「編集」であり、「デフォルメ」であり「加筆」「補筆」であるはずだ。黒田さんが感じ取り、伝えたい「詩的真実」を、もっとも効果的に伝えるための場の設定。そこに詩の生まれるフィールドがあり、そこで生動する詩情が「詩」を立ち上げる。
 まど・みちおの「地球の用事」を読むたび、透き通った赤い水滴が連なり、宇宙の果てから二重螺旋のように絡まりながら「わたし」の元にまでのびてくる空間的イメージに誘われる。まどさんが冒頭に置いた、赤いビーズ・・・これもまた、「事実」とは少し異なっている。仁丹を口に放り込んだ時、たまたまこぼれた一粒がころころと転がってこたつぶとんの窪みに落ち着いた・・・その様子を見ていたところからの発想だというから驚く。さらに、仁丹を赤いビーズに替えたのは「商品名になってしまうから」であり、「こどもらしいビーズ遊び」にした、という、気が抜けるような微笑ましい理由であるらしいが・・・まどさん自身が気づかぬうちに、命の滴、としての赤い透き通った一滴のイメージに魅かれて「詩」が紡がれていったのではないか、という気がしてならない。(阪田寛夫『まどさんのうた』より)
 いずれも著名な作品なので引用するまでもないが、便宜上、三者の詩をここに転載しておきたい。出典は童話屋のポケット文庫に拠った。

   I was born   吉野弘

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was bornなんだね――
 父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。 僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。 僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見るとその通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい光りの粒粒だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裏に灼きついたものがあった。
――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。


   夕方の三十分   黒田三郎

コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウィスキイをひと口飲む
折紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分

僕は腕のいい女中で
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリの御機嫌とりまで
いっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮したので
小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

「ホンヨンデェ オトーチャマ」
「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼をかえそうと
一心不乱のところに
あわててユリが駈けこんでくる
「オシッコデルノー オトーチャマ」

だんだん僕は不機嫌になってくる
味の素をひとさじ
フライパンをひとゆすり
ウィスキイをがぶりとひと口
だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
「ハヤクココキッテヨォ オト―」
「ハヤクー」

癇癪もちの親爺が怒鳴る
「自分でしなさい 自分でェ」
癇癪もちの娘がやりかえす
「ヨッパライ グズ ジジイ」
親爺が怒って娘のお尻を叩く
小さなユリが泣く
大きな大きな声で泣く

それから
やがて
しずかで美しい時間が
やってくる
親爺は素直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向い合ってふたり坐る


   地球の用事   まど・みちお

ビーズつなぎの 手から おちた
赤い ビーズ

指さきから ひざへ
ひざから ざぶとんへ
ざぶとんから たたみへ
ひくい ほうへ
ひくい ほうへと
かけて いって
たたみの すみの こげあなに
はいって とまった
いわれた とおりの 道を
ちゃんと かけて
いわれた とおりの ところへ
ちゃんと 来ました
と いうように
いま あんしんした 顔で
光って いる
ああ こんなに 小さな
ちびちゃんを
ここまで 走らせた
地球の 用事は
なんだったのだろう
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-08-22 10:56 | 随想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by yumiko
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