B=REVIEW 2018年1月投稿作品 選評
◆大賞候補 弓巠 冬、いき
◆優良
・二条千河 証―「白」字解
・カオティクルConverge!!貴音さん♪ 詩国お遍路(1/2)(2/2)
・芦野夕狩 letters
◆推薦
・kaz.瞼の彩り
・桐ヶ谷忍 光臨
・蛾兆ボルカ 薔薇
・李沙英 種子
(以上、ARCHIVE掲載順)
◆はじめに
B=REVIEWが開設されて、一年が過ぎた。初回から投稿者として、さらには「キュレーター」として関わって来た者として、「新しいなにか」が始まる現場に立ち会った、という感慨がある。その間、紙媒体と直結させる方向性や、インターネットに不慣れな読者に「ネット媒体」に発表される良作を紹介する方策を探ったり、橋がかりとなる手段を考えた時期もあったが、マーケットとしては閉塞している感もある紙媒体への進出よりも、独自の発表手段を開拓していくことに若者たちのエネルギーが向かっている、という兆候に触れる機会の方が多かった。ネット媒体の可能性と展開を注視しつつ、B=REVIEWの有機的な発展を見守りたいと思う。より多彩、多様な作品が「展示」され、より活発で充実した議論や鑑賞コメント、気持ちのこもったレスが、風通しよく行き交う場であることを願ってやまない。
※大賞作品を1点、優良作品を3点、推薦作品を4点、計8点を選出することが「運営」からの依頼である。キュレーターの投稿作品や、「ビーレビ杯不参加」表明作品を除外しても100を超える投稿作品の中から、8点に絞り込むのは相当に辛い選択であった。最終的に「優良相当」12点、「推薦相当」25点を選んだ(作者名と作品名を最後に列記する)。「推薦」作は「推薦相当」の中から選ぶのが本来であるのかもしれないが、「優良」12点の「取りこぼし」が多くなるので、「優良相当」の中から、大賞、優良、推選8作を選択したことを記しておきたい。
◆大賞候補
★弓巠 冬/いき http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1189
言葉遊びのような軽めの立ち上がりながら、いきる、ということの意味と、息づかい、道行き、意気ごみ・・・こうした言葉のそもそもの語幹となっている いき をまっすぐに捉える姿勢に、まずは惹かれた。見えない「いき」が見える(ような気がした)、その一瞬。そこに、「影」がさす。形を持ち、存在の在り処を示しつつ、実体を持たないもの。記憶が過去の自分の生きて来た道のりを照らしだす時、そこには無数の過去の自分の姿が立ち上がる。それぞれの抱える影、実体を持たぬ記憶だけの「ぼく」への連想に誘われる繊細なイメージ。
〈一つの影だけを/もてたならよかった〉
〈ただよっている/と、いきがみえた/空きをたわませて/あった〉
実体のある肉体は漂わない。浮遊する、なにかとらえがたいもの、自分から発しながら、抜け出していく息のようなもの・・・あるいは自らを離れて「ただよう」意識への思い。自らが占めている空間以外の場所は、全て空虚である。その「空き」をたわませる、という空間認識は、気配だけが行き過ぎていく「痕跡」への思いを導く。あき/あった、で響き合う「あ」の音の明るさ。言葉の遊戯へと向かう志向は、限りなく存在の重さを削ぎ取っていくベクトルを持つ。肉体と言う実体を持った「ぼく」は、〈立ちすくむ〉他はない。漂うものの危うさ、気配の稀薄さ。
〈影は何度もはがれ/はがれていった〉
〈たくさんの、ぼく、の影/の、ために/ひとりだった/そうしていきを体から/離した〉
〈待ち人のような影/そこに/ぼく、が、それともその人が/いないことだけが証していた〉
自らを通り過ぎて行った、無数の影(出会いの痕跡、記憶)。それは、自分と他者とが束の間の関りを持ち、また、離れて行った記憶の系列を辿ることでもある。
〈ただいる、ものたちは/冬の空に浸っている/いきにまみれている/吸い、吸われながら/肺に何度も/影を巡らせていき〉
~していき、の「いき」と生き、息、そして逝き。かすかな気配を感じる「域」にも思いが至る。「言葉」によって連れ出される場所と、厳寒の大気の中で形を取っては消えていく、自らの吐いた息。他者の吐いた息も大気の中でまじりあい、その大気を吸って生きる、循環。間接的な共有。重くなりがちなテーマを、言葉の響きの軽さに誘導しながら、気配だけの、実体のないものを探ろうとする。無駄のない言葉運びも評価したい。
◆優良
☆二条千河 証―「白」字解 http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1260
コメント欄より たとえば だったら もしかして だとしたら そうまでしなければ 冒頭に置かれることによって、アクセントとなって立ち上がるフレーズ。
色、とはなにか・・・・私には、愛、のように思われました。その人、との思いが、一気に様々な色と質感、苦みを伴ってあふれ出す。火葬、の現場、その衝撃を、このように表現されるとは。
「検める」「認められる」そして、「証してみせた」。あらためる、したためる、あかしする。漢字の持つ強さについて、改めて考えさせられました。白、という漢字の持つ、迫力についても。
〈あの人は言う〉〈あの人は言った〉〈あの人は証して見せた〉リフレインの作り出す心地よいリズムの中で、生前の姿から火葬後の「白」へ、〈あの人〉の記憶が凝縮されて語り手の中を行きすぎていく。火葬の際に去来するのは、広範な時間軸を圧縮したような、めくるめく記憶の来訪であろう。晴れた日の雲、嵐の日の暗雲、胸からあふれ出る深紅。すべては比喩だが、鮮烈な印象と質感を伴って、〈あの人〉の辿って来た人生を暗示する。歌の要素を兼ね備えた、リズミカルな進行にも注目したい。
☆カオティクルConverge!!貴音さん♪ 詩国お遍路 http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1230
四国ならぬ「詩国」のお遍路。三行、もしくは四行で連ねていく形式は、連詩にも似ているが、短歌や俳句の連作にも似た印象を持つ。写真、ではなく、瀉心、と名付けたくなるような、心象スナップ。〈冷や水を掛けると避役の様に〉(1)(避役は一般にはカメレオンと読むようだが)ひやみずのヒと避の文字が呼び合う。〈のぼせながら昇る〉(2)など、言葉(の響き)が次の言葉を引き出していくような、半ば無意識にまかせた進行も見受けられ、直感的につかんだ印象が素材のまま置かれている感もある。〈社長の集団〉(3)〈見下ろす幾つかは、名前を授け〉(4)〈心を固め、次に身体を固める事で〉(5)〈馬鹿になって、大馬鹿の代わりに射られる・・・身代わりの最果てには誰が居るのだろう〉(6)と読み進めていくと、リストラや転職の権謀術数、無謀な達成目標などを掲げる社の圧力に疲弊して、ついにお遍路に出た魂、そんな物語を読みたくなってくる。〈私は笑みが零れ顔を無くす〉(7)本来の顔、本当の感情を無くしてしまった〈私〉。〈私は死に逃げるが・・・この世に連れ戻されて私は泣いた〉(9)〈もうそこには帰れないと言われた〉(11)無理に関連付けたり、つなげたりして読む必要はないだろう。しかし「詩国」札所で「瀉心」のスナップショットを撮る道中、つまり各章の間に隠れた彷徨の部分に、行き場を求めて「詩国」札所を廻る語り手の、切迫した想いが潜められているように思う。連続で言葉を打ち出す・・・直観的なワンショットを掴むよりも、書き継いでいくことに重点を置いたような、いささか苦し紛れの発案を思わせる部分もあるが、そうした苦闘も含めて、伝わって来る切実さに打たれた。
☆芦野夕狩 letters http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1246
コメント欄より 河原に再び還された石のいのちは、ほんのひととき、現世に生きる者の気持ちの問題として「埋葬」されたとしても、そのいのちが途切れることはない・・・そんな、奇妙な直観を、否定することが出来ずにいます。作品から受ける「想い」の重さとは別に(そもそも、切り離す事自体がおかしいのですが)作品自体から受ける印象を述べるなら、物語性の強さと、歌うように、刻むように進行していくリズム・・・いわば、読み手の呼吸のリズムが心地よい余韻を残す作品でした。分量が全体に多いような気もしますが・・・感情が高ぶりすぎないように、一定の抑制されたリズムで全体を進めていく、そんな配慮もうかがわれるような気がしました。
散文体がふさわしい作品なのかもしれませんが・・・おそらく、書き手/読み手の呼吸を合わせる、というような、そんな静けさも(無意識のうちに)意図されていたのかな、と・・・そんな気もしました。ひとつの、物語る、という意識の強い散文詩を、書き手の心の進行と息遣いに合わせて、軽く区切っていく。その息遣いを読者にも共感してもらう、ための、改行。
冒頭の情景叙述部分など、特に冗長さを感じてしまう。散文体で、句読点で読みの呼吸を示しながら進行させる方がよかったのではないか。一連目は、あえて半分ほどに削って次に繋いでいった方が緊密さを保てたのではないか、という印象は否めない。しかし、後半まで読み進めると、この迂回、迂路を辿るという詩行そのものが、核心に到るまでに距離を取りたい、という心理を醸し出しているようにも思われて来る。詰めてはどうか、という「助言」めいた言葉の軽薄さを、取り下げたくなる。
〈色萎えたすみれの花びら・・・これは紗代ちゃんのおめかしなの、と/あや子が摘んできたもの〉という冒頭から、〈あなたの手ってまるですみれみたいなのね・・・すみれ、でなくともいい/す、と み、と れ、と /その全部で君に咲いていたい〉という終盤に至るまで、せめてもの慰めに、傍らに添えたい、添いたい、と願う心が「すみれ」に託されているように思う。愛する人の精神の崩壊を恐れる不安。〈細い、ひらすらに細い糸を両腕で抱くような/夜〉〈そういえば爪を一か月ほど切っていないことに気が付いた〉繊細な比喩、ささやかな「事実」の提示によって内心を暗示する手法。哀歌だが、感傷に流れ過ぎないところを評価したい。
◆推薦
☆kaz.瞼の彩り http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1215
透かし模様、蝉の翅、透明なセロファンのような質感を持った面と、かすかに区切られていくラインのイメージ。この膜を透過して世界を認めたなら、複眼を通して世界を見ている、そんな感覚を得るのではないか・・・蝉の翅の翅脈の間に、増幅された小さな画像が無数に散りばめられている様を想起させる立ち上がりから、句読点を介して言葉を綴る行為へと視点が動き、〈アサシンクリードに塗られた/塗布剤すなわちクリームをパンに〉言葉に引きずられるように、暗殺ゲームからクリームをパンに塗る、という日常へとスライドする。自然物のイメージ、ネットからの情報、都市生活者の日常・・・断片的に相対化され、シャッフルされて、時系列よりも言葉の響きや連なりから再編されていく生活圏が、言葉を綴る、という行為を背後から支えている(下支えしている)ことが透けて見える。言葉の過剰が意味を希薄にしていくバランスに惹かれたが、素材が多岐に渡りすぎ、詩形は緊密なのに読後感が散漫な印象を生んでしまっているようにも思う。
☆桐ヶ谷忍 光臨 http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1192
神話的に綴られていく寓話。雲が凍り、あらゆるものが冬眠するように閉じこもり、死を予感するような眠りの中にいる「冬」が続くわけだが、その「冬」のさなかに常にそばにいて、春が訪れることを信じ続ける夫の存在が大きい。〈夫の体温をこんなにも切ないほどに温かく感じた事はなかった〉あまりにもストレートな一節で、もう少し他の表現を探すべきではなかったか、と問い掛けたくなるのだが・・・直前に置かれている〈また夫の腕の中で寝た。夫も時々起きては非常食を飲食している跡がテーブルにあったけれど、同時に起きる事はなかった。いつでも、いっそあどけないほどの顔で隣に寝ていた。〉この文章が、夫のぬくもりを感じるという切実さを、陳腐さではなく必然に変えていると思う。夫は、妻が深く寝入っているときにのみ、自らの「生きるための」行為を遂行している。妻には気づかれないように、という配慮かも知れない。生きることよりも、死に近い眠りに襲われている妻が夫を認める時、夫もまた、生を中断して死の眠りを、妻と共にしている。根気強く寄り添う、共にあることを真摯に実践している夫の存在が、幼児のような無垢なあどけなさとして傍らにある。そのぬくもりが、春の再来を語り手にもたらしたように思う。なぜ、春がやってくるのか。その唐突感を否定できず、優良ではなく推薦としたが(なおかつ、いささか恣意的な読みをしていることは承知だが)夫と共に死のような眠りを眠る冬から、夫と共に生きる春への移行が「光臨」という題に象徴されているように感じた。
☆蛾兆ボルカ 薔薇 http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1186
薔薇、そして〈私〉。緊張感のある前半を読みながら、小惑星で「2人きり」の星の王子様と薔薇との対話を思い出した。後半、〈それでも私は/朝ごはんを君とたべる〉〈食卓に置かれた空の花瓶には/架空の薔薇が咲き乱れている〉朝ごはん、という柔らかな表現による日常が対置される。「それでも」という否定的な接続語が緊張感を持続させる。最終連の「からのかびん/かくう」と連なるk音の鋭さと緊張感、無駄なく整理された全体の構成とも相まって、命のやり取りまで辞さない冒頭部の緊張感が、最後まで持続する。欲を言えば、全体にコンパクトにまとまりすぎているのではないか、という物足りなさが残った。
愛する、ということが、相手の全てをとことん知り尽くさねば気が済まない、という、逃れようのないエゴイズムの観点から捉えられているところに惹かれた。執着、所有欲を体現するような究極の愛。薔薇の側も、知られたら死んでしまう、というほどの秘密を抱えている。「恥」の概念が隠れているように思う。
冒頭、〈私〉の側は、もし愛しているなら、という仮定から始まり、対する薔薇の側も、特定の個人ではなく(他の誰に知られたとしても構わない、けれども愛するこの人にだけは知られたくない、という限定の強さではなく)〈誰かに知られたら〉という漠然とした設定であることが、一般的な定義のような印象を生み、立ち上がりの弱さに繋がっているのではないかという思いもあった。もっとも、一連目の平坦な立ち上がりがあるゆえに、二連目の強さとの落差が際立つ、という効果もある。
☆李沙英 種子 http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1187
映像喚起力の強さが印象に残る作品だった。長男のみを愛玩し、続いて生まれた娘たちには乳を飲ませずに死なせた、という設定。40歳を過ぎてもなお、母親の乳首にしゃぶりついている、という強烈な寓意/風刺。現実の母子として捉える読み方もあろうが、母親を国家、しゃぶりついて母子ともに衰退しつつある息子を政府になぞらえるような読み方をすると風刺性が際立ってくるような気がした。
母親が輪姦されるというシチュエーションが、何を暗示しているのか・・・この部分に関しては、語句や映像の刺激の強さに対して、暗示したいものの曖昧さが釣り合っていないような印象が残った。
〈割れた天井から雨水と/野鳥の糞尿と/朽ちた果実が落ちる床の上〉廃墟のような家屋の中で、乳房に既に大人となった息子をしゃぶりつかせたまま身を横たえている母子。母親が〈よく昇天するようになった〉のは、エロスとタナトスの究極の一致に至ったから、かもしれない。歯が全て欠け落ちるまでしゃぶりついている息子とは、滅びに身を任せる主体性の無さを具現化しているのだろうか。題名の「種子」が、作品とうまく結びつかなかった。子房に栄養を与え続け、最後にはしなびてしまう果樹を母、熟れたあとは腐っていき、最後には核だけが残る果物を息子になぞらえるならば、種子を生むために果樹が果たす行為の擬人化でもあるのかもしれない。
◆選考を終えて
今月は、コンスタントに魅力ある作品に触れることのできる月であったという印象を抱いている。ここでいう「魅力」とは、詩史的に意味を持つ可能性への興味であったり、新奇の実践を試みている、といった技法や実験への興味よりも、筆者個人の琴線に響いたかどうか、という、極めて「主観的」な要因に基づいている。「わたし」の心に、残ったかどうか。訴えるものが感じられたか、どうか。表現としては新奇さや「革新性」に乏しくとも、表現しようとするものの大きさ、深さを汲み取りたいと思う。
◆参考 (ARCHIVE掲載順)
優良候補作品
湯煙 音信 http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1169
夏生 未明 http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1176
仲程 かでぃなー(嘉手納)http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1173
静かな視界 あな http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1232
推薦候補作品
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※文字色や字体が、うまく調整できていないところがあるようです、パソコンに不慣れな者ですので、どうぞご容赦ください。