Yumiko's poetic pictures

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好きな詩 ふたつ 吉野弘・伊東静雄より

 いつも、“お守り”のように大切に引き出しにしまっている一篇の詩がある。吉野弘さんの「一枚の絵」。
 恐らく、エッセー集からコピーしたものだろう、1978年12月と吉野さんの自注があるが、吉野さんのどの本で読んだのか、どうしても思い出せない。

 一枚の絵がある

 縦長の画面の下の部分で
 仰向けに寝ころんだ二、三歳の童児が
 手足をばたつかせ、泣きわめいている
 上から
 若い母親のほほえみが
 泣く子を見下ろしている
 泣いてはいるが、子供は
 母親の微笑を
 陽射しのように
 小さな全身で感じている

 「母子像」
 誰の手に成るものか不明
 人間を見守っている運命のごときものが
 最も心和んだときの手すさびに
 ふと、描いたものであろうか

 人は多分救いようのない生きもので
 その生涯は
 赦すことも赦されることも
 ともにふさわしくないのに
 この絵の中の子供は
 母なる人に
 ありのまま受け入れられている
 そして、母親は
 ほとんど気付かずに
 神の代りをつとめている
 このような稀有な一時期が
 身二つになった母子の間には
 甘やかな秘密のように
 ある

 そんなことを思わせる
 一枚の絵

 電車の中ですれちがった母子の景に心を動かされた吉野さんが、何度か改稿しながら得たという作品。読む、というよりも眺めていると、ラファエロの聖母子像が重なっていく。
 読み直すたびに、「上から」という言葉で切る吉野さんの繊細さに、はっとさせられる。電車の中で他者の眼を気にしながら、早く泣き止んでちょうだい、と幼子の意志を押しとどめようとする、社会人としての親の困惑と苛立ちが一瞬現れ、重なり……さらに、そんな自分に対する自制や自責の念がにじんでくる。その沈黙の時間と緊張感を生み出す切断、そのあとに続く空白。息を飲んで次の行に移ると、そこには上から“押さえつける”のではなく、あらゆるものを柔らかく包み込み、ありのままを赦してくれるような、春の陽射しのような「若い母親」の視線が、静かにあたりを満たしているのである。
 泣きわめくことを“赦す”まなざし。そんな一瞬が、間違いなく、確かに存在する、と高らかに宣言するような、「ある」という断固とした一節、その切り方、置き方、潔さにも強く惹かれる。ごく平凡な母子の情景が、いつのまにか人間そのものについて、さらに、人を見守るなにか大きな存在との関係へと展開していく見事さ。そして、初めてこの詩を読んだときのことを、かすかな痛みとほのかな色合いと共に思い出す。

 今から13年ほど前、かろうじて「児童館デビュー」と「公園デビュー」を果たしたものの、まだ「ママ友」との上手な付き合い方を推し量れぬまま、図書館に通っていた頃があった。帰りがけに児童コーナーに立ち寄ると、息子は決まって「のりもの」の棚から『しょうぼうじどうしゃ じぷた』を抜き出し、黙って私の前に差し出す。「そんなに好きなら、この本、買ってあげようか?」と聞くと、息子は黙って首を横に振る。それはまるで、毎日繰り返される儀式のような行為だった。
 児童コーナーの絨毯の上で、息子にだけ聞こえる声で、「じぷた」の物語を読む。僕なんか、なんの役に立つんだろう、と落ち込んでいる、小さな小さな消防自動車のお話。ジープを改良した「じぷた」は、町の建物が火事の際にもまるで役に立たない。出動の際にはいつもポツンと消防署に残されてしまう。大きな消防自動車が胸を張って帰ってくるたびに、肩身の狭い想いをしていた「じぷた」だが、ある日、山小屋が火事にみまわれ緊急出動、他の消防車が入れない山道を駆け上り、大活躍するのだ。絵本を閉じると、息子はすっきりした顔をして、自分で次の本を探しに行き、黙って広げて読み始める。その様子を視野の隅におさめながら、私も自分の本を探す。そんなとき、決まって手に取るのは詩集や、詩人たちの書いたエッセー集だった。
 もうすぐ四歳になるというのに、息子は二語文を話せなかった。砂場や遊技場で、スコップやブロックなどのおもちゃを取られても、まったく怒ろうとしない。集団お遊戯の時間になると、ふっとその場を離れて、一人で何事かを始めてしまう。若い保健婦に「言語療法士」を紹介されたり、児童館の職員に発達障害に関する書籍を読むように勧められたりするたびに、笑顔で断りながらも、内心では焦りや苛立ちを覚えていた。子供には、蘭のように育てるのが難しい子供と、タンポポのように容易い子がいる、そんな話を拾い読みしたり、言葉遊びの本を、必死に暗唱させようとしたり……今となっては笑い種だが、当時の私は、軽いノイローゼに陥りかけていたのかもしれない。
 そんなとき、吉野さんの詩が、まるで陽射しのように私を暖めてくれたのだった。初めてこの詩を読んだとき、詩を読んでいる空間が、はちみつ色の光に満たされているような気がしたことをはっきりと覚えている。色を持った詩、というものが、確かにあるのだ。
 私と息子との間にも、そのような瞬間が、ある、かもしれない。いや、今までもあった、ただ、単に忘れているだけだ。そう思わせられるだけでなく……この幼子のように泣きわめいている内面の私自身を、新米の「若い母親」であるもう一人の私が、それでいいのよ、とほほえみながら見下ろしているような、そんな不思議な、自己分離の感覚にうたれた。そのページをコピーし、大事に折りたたんで、息子の着替えやオムツ、弁当の入った大きなトートバッグにしまい……鼻歌を歌いながらベビーカーを押して帰った。道端のイチョウ並木の黄葉が、昨日までは寒色系の緑色をおびた寂しい色だったのに、その日はオレンジ色をおびた金色となって、ひらひら、小鳥のように舞っていた。晶子の記した通りに。

 縁に恵まれてごく普通に結婚し、一人目の子を出産し、二人目を身籠り……当時の私は、大学で美術史を学んだものの、取り立てて将来の展望というものも持ちえないまま、それなりに楽しく忙しく日々を過ごす専業主婦となっていた。自分の将来のことは、子育てが落ち着いてから改めて考えよう、そう、心の底で自分自身に言い聞かせながら、実際には、研究者の道を選んだ同期の学友たちが次々と論文を発表していくのを、焦燥感と孤立感とがないまぜになった感情で眺めていたように思う。息子が「じぷた」の物語を持ってくるたび、それを私自身の物語としても読んでいたのかもしれない。
 息子も既に高校2年生。今では、当時のことはすっかり笑い話となった。パワーポイントを駆使して科学の授業用のプレゼンテーション資料などを作成する、快活でお人よしの、ごく平凡な人懐っこい少年。小学六年生までおねしょと縁が切れなかったから(ホルモン異常や内臓疾患を疑い、入院させてまで検査したことがある)、単に他の子よりも発達のスピードが遅かったに過ぎないのだろう。
 義父母と同居だったので、あ~とか、う~と言えば「あっちに行きたいのか?」「あら、お茶がほしいのね」と、意志疎通にまったく不自由しなかった。そのことも、言葉を発する遅さにつながっていたのだと思う。息子は、いわゆる喃語を話すことは一切なく、いきなり文章を話し出して周囲を驚かせた。
 言葉によるコミュニケーションは、意志を伝えたい、という強い欲求が無ければ、生まれないものなのだろう。大人四人に囲まれる生活と、大きなポンプ車やハシゴ車、大型救急車に囲まれた、小さな小さな消防自動車の話とのアナロジー。息子は子供ながらに母親の焦りや苛立ちを敏感に感じ取り、自分を重ねていたのかもしれない。
 そんなタイミングで出会ったからこそ、この一篇の詩が、はちみつ色の光と共に私の記憶に刻まれることになったのだと思う。詩は、出会うべき時というものがあり、その「時」になると、自然に目の前に現れてくるものなのだ。新川和江さんの「私を束ねないで」も、学校の授業などでも何度も読んでいるはずだが、私の心に楔を打つように飛び込んできたのは、私が35歳を過ぎ、それでもなお、一生を賭して悔いないもの、がまだ見つからない、という焦りに追われている時だった。二人の子供の幼稚園の同級生ママと、「三原色によるお絵描きの会」を立ち上げ、画用紙は心の運動場です、と威勢のよいキャッチコピーを掲げて子供たちの生み出す多種多様な造形や色彩に瞠目し、展覧会や写生会を楽しみつつも、いつか子供たちは、私のもとから離れていく。その時、お前はどうするのかという問いが、空が菫色に暮れてくるたびに夕方の鐘のように鳴り響いていた。
 図書館に子供たちの展覧会のチラシを配りに行った帰り道、いつものように立ち寄った詩集の棚で、「私を束ねないで」に出会った。涙があふれて止まらなかった。調べてみたら、新川さんがこの詩を書かれたのは、当時の私と同じ、37歳の時だった。心が震えた。平易な詩であればあるほど、その奥行きにたどり着くには、それなりの心構えも体験も必要なのかもしれない。新川さんの言葉にエネルギーをもらいながら、学生時代にリルケを教えて下さった先生が思索のための詩作、と称してソネットを連作しておられたことを思い出し、見よう見まねで詩、らしきものを書きだした。その時は、いずれ子供たちには見せるかもしれない、とは思っていたものの、他の誰かに見せよう、などとは、まったく思いもしなかった。大震災が起きた、2011年までは……。
 困惑している、ある日、ある時の、誰かの心に響く。それが、詩の役割なのかもしれない。私が、ふわっと心を暖めてもらったように、私の書くものが、いつか、誰かの心に届くことがあればいい。そんなことを思うようになった頃に出会った一篇の詩がある。伊東静雄の「夕映」。この詩も、はちみつ色の光に満たされている。私の、もう一つのはちみつ色の記憶である。

 わが窓にとどく夕映(ゆうばえ)は
 村の十字路とそのほとりの
 小さい石の祠(ほこら)の上に一際かがやく
 そしてこのひとときを其処にむれる
 幼い者らと
 白いどくだみの花が
 明るいひかりの中にある
 首のとれたあの石像と殆ど同じ背丈の子らの群
 けふもかれらの或る者は
 地蔵の足許に野の花をならべ
 或る者は形ばかりに刻まれたその肩や手を
 つついたり擦つたりして遊んでゐるのだ
 めいめいの家族の目から放たれて
 あそこに行はれる日々のかはいい祝祭
 そしてわたしもまた
 夕(ゆふ)毎(ごと)にやつと活計(かっけい)からのがれて
 この窓べに文字をつづる
 ねがはくはこのわが行ひも
 ああせめてはあのやうな小さい祝祭であれよ
 仮令(たとい)それが痛みからのものであつても
 また悔いと実りのない憧れからの
 たつたひとりのものであつたにしても
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-07-25 09:14 | 随想 | Comments(0)

詩人・安水稔和さんを囲む会 に出席して・・・詩集『春よ めぐれ』を読む

 冬が過ぎれば、春は自ずから巡ってくる…それなのに、なぜわざわざ、「めぐれ」と強く念じるような言葉をつぶやかねばならないのか。本書を手に取り、なんどか読み返すうちにおぼろげながら伝わって来たこと――不毛の荒野となった心に、再び亡き人の面影が、春の芽吹きのように訪れることへの、切ない願い――について思いを巡らせていた時、安水さんをお招きして読書会を行う、とのお知らせを頂いた。五月九日、深い問いかけと熱い祈りが凝縮されたような一冊を手に、初々しい緑の風に包まれた五月の清里を訪ねた。

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災から20年の間、著者は震災の詩を書き続けた。その中から130篇を択び文庫版にまとめたものが、この一冊である。冒頭の詩は、震災の日の光景から始まる。

 目のなかを燃えつづける炎。

 とどめようもなく広がる炎。
 炎炎炎炎炎炎炎。
 また炎さらに炎。

 目のまえに広がる焼け跡。
 ときどき噴きあがる火柱。
 くすぶる。 

 異臭漂う。

作者の中に、50年前の神戸大空襲の記憶が再来する。

 壊滅したまち。
 眼前のこのまちに
 どんなまちの姿を重ねあわせればいいのか。
 これから。(神戸 五十年目の戦争)

燃え落ちる町を前にした呆然自失の心境に、さらに、少年の日の恐怖や不安、その後の辛く苦しい時間…あの日の絶望が、その記憶が、否応もなく引き出され、重なっていく。それは50年という時を、その間に育んできたものを、尽く破壊せしめる激震でもあっただろう。

崩れた屋根のしたの/倒れた壁のなかの/折れた梁のあいだの/噴きあがる炎のむこうの//人の顔の/人の髪の毛の/人の手の/手の指の先の//あたたかさ/なつかしさ/いとおしさ/くやしさ。//人の形の/くやしさ。/人の/くやしさ。(くやしい)

焼けた水。/焦げた風。/垂れさがった電線。//ひび割れて。/傾いて。/揺れる足もと。//きしむような。/奇妙な違和感。/嘔吐。//不意にきしむ。/またきしむ。/不意にまた。(きしむ)

「いのちの焦げるにおいの漂う街」は、「いのちの記憶の引きちぎられた街」だ。生きていてよかった、という安堵と、なぜ自分だけが生き残った、という悲痛が心を引き裂く。中には、罪悪感すら感じてしまう人もいるだろう。話したい/話したくない 聞きたい/聞きたくない 覚えていたい/思い出したくない 忘れてしまいたい/忘れたくない…揺れる気持ちは、繰り返し訪れる〝痛み″となって心身を襲う。「暖をとるために一口飲んだ。/味がなかった。」(会いたいなあ ほんまに 痛い 揺れる でも このごろ 等)

角を曲がると/闇のむこうに/闇のかたまりが見える。/天から落ちてきたかたまりが。//肩口のあたりが裂けているのが/夜目にもはっきり見える。(見える)

あれから/季節がなくなって。/あるとすれば/それは冬かしら。/冬のつぎは夏で/夏のつぎは冬ということ。(あれから 季節が)

震災の冬、焦土と化した終戦の夏…季節が無くなる、という言葉が胸に刺さる。悲惨な「あのとき」以来、身体の周りで季節が巡っても、心の中は時が止まったままなのだ。時を失った心の目に留まる景は、荒涼とした更地、「草ばかりの空地」、失われた場所だ。(更地 更地があって 生きているということ 等)しかし作者の眼は、同時に新しい命の芽吹きを認める。

焦げた幹の割れ目から/おずおずと/黄みどりが/のぞいて。//焦げた幹の根もとから/われさきにと/押し包むように/のびあがって。(光る芽が)

心の中に、木が、戻って来る。

ここに帰って来る。あった木。ない木。見えない木。見えてくる木。花が帰る。葉が帰る。鳥が帰る。人の視線も。人の記憶も。人もまた。(木のねがい)

まだ眠っているのに/目を閉じているのに/ぼんやり見えている。/木の形したものが近づいてきて/幹のまわりが息づいて/枝のあたりが揺れはじめて。//土がゆっくりと盛り上がる/水が少しずつ流れる/空気が震える。/見えない町の音/遠い人の気配/わたしの心が戻ってくる。(朝の声)

冬の心を抱えた身体を、何度も春の手が抱いたことだろう。木々の芽吹きが、再び開く花が、帰って来る鳥が、心の手を引いて安水さんを春の野に連れていく。やがて、詩人は確かに実感する。

むこうから歩いてくる/すこしずつ近づいてくる。/顔の表情も読めるようで/手を振って走り出しそう。/声あげて/ああ やっと会えたんだ。//そこで姿が消える/なぜか いなくなる。(そこで)

すぐとなりに立っている/立っているのがわかる。/見なくてもわかる/おたがいにわかる。/会えてよかった/そう言いたいのを押えて。//歩き出すと/いつのまにか ひとり。(いつのまにか)

 心の中に訪れる気配を感じるだけではなく、「人の顔した花」「人の形した枝」が、「風もないのに/揺れている」のを、実際に目でも〝見る″(震えている)。思い出すことが辛さ、痛み、であった時間は、凍りついた冬の時間だったのかもしれない。自然の息吹に触れるうちに、雪解けのように流れ始める心の時間。心が春を迎えるとき、身近な草花の中に、明け方の夢の覚め際に、想い出の場所で目をつむるたびに…大切な人が、そこにいたこと、いつもいること、これからも居続けることが、実感されるのだ。
手で触れることのできない出会いは、かすかにこころに翳りをおびた出会いでもある(光のいのち)。それでも、凍りついた時間の中から、静かに流れ続ける時間の中に戻って来た心で、作者は子供たちの笑顔を見ながらつぶやくのだ。

 君たちのなかにすべてがあると言ったことがある
 それはこういうことだ。
 君たちのなかにわたしたちもいる
 わたしたちのこれまでが これからがある。
 君たちは君たち。
 わたしたちも君たち。
 
 沈む空 割れる空。
 燃える木 枯れる木。
 遠い水 見えない芽
 揺れてこぼれる花の記憶。
 ほかならぬこの世界で
 いまここに立つ君たち。

 君たちといっしょなら
 生きていける。
 君たちといっしょに
 生きたいとおもう。
 君たちの笑顔とともに
 ほかならぬこの世界で今。(君たちの笑顔とともに)

 含蓄深い安水さんのお話の後、詩集に込められた祈りについてうかがうことができた。その時の力強いひとこと、「生きる、ということです、生きている、ということです」が忘れられない。柔和な笑顔と共に、ハリのある声で、身を乗り出すようにして答えて下さった安水さん。素敵な読書会を企画してくださった清里のギャラリー「ぜぴゅろす」の桜井さんご夫妻にも、深く感謝したい。
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「春よ めぐれ」安水稔和詩集 編集工房ノア(本体1500円+税)
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-05-26 21:29 | 読書感想、書評 | Comments(0)

詩誌『蒐』5号より 小柴節子さんの‶Wind”

札幌で発行されている詩誌『蒐』(Syuu)5号が届いた。2016年3月31日の日付。
その中から、小柴節子さんの作品、‶Wind”をご紹介したい。

 Wind

さようならで始まり
さようならで終わる物語を
思い出を開くように聞いている
さらには
樹々の葉脈が
ふるえる舌の音のように聞こえてくる朝もある

寝室にはあちこちで拾ってきた
あるいは捨ててきたものたちが
血を流し
狂い咲いている
行きつくところまで
行かなければならなかったのに
行けなかった

わたしはいつか
みうしなった耳になるかもしれない
ぬきさしならない存在を
蝸牛にみたてて
孤独の坂をくだってゆくが
辿りつけない

まだかすかに声の残っている下着を
身にまとえば
胎内にいたはずのいのちが
記憶だけになって
戻ってくる
死体を焼く臭いはいまも
つんと鼻腔をついて

四十年めの夏がきて
てのひらのなかに
死の国が宿っていることに
気づかされる
日付は無限にあとずさり
還ろうとする道には
さようならの風だけが
こっちへおいでと手招きしている

聴くということに、全神経を集中しているような静けさ。4、5連目を読むと、もしかすると亡くなったお子さんがいらしたのだろうか、という想いにもかられる・・・が、1、2、3、と畳みかけていく、乾いた砂をすくいあげるような諦念、穏やかな哀しみは、語り手自身のもののように思われる。
樹々が吸い上げ、葉脈を巡り葉先を柔らかくのばしていく命のかすかな漲り。その気配を、見るのではなく、音として聴いている。あるいは心の耳で聴いているのかもしれない。これから葉をのばすであろう裸木を想いながら。
振り返る過去が、芥子の花のように赤く、涙をしたたらせるように血を流しながら、語り手のいる寝室のそこかしこで花開いている。
蝸牛、は、かたつむり、ではなく、かぎゅう、と読みたくなる。孤独と響きあう、Kの音、硬質な響き。
手招きしている風の中には、誰が立っているのだろう。

注記が記されている。

※小柴節子同人は二月一日に急逝しました。享年六五歳。
 遺稿の中に本誌5号用と思われる作品があり、ここに掲載しました。

注記を読んで、感動したわけではない。何か胸を突かれるような、静かな哀感を感じながら読み終えたところに、控え目な、しかしそれゆえになおいっそう万感のこもる、同人への追悼の一節があらわれたのだ。

庭先で咲き始めた勿忘草を捧げたいと思う。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-04-12 20:52 | 読書感想、書評 | Comments(0)

くまいちごが実ったら

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くまいちごがいちめんにみのる
つゆにぬれておもくあかく
うれた空気が私の中をみたしふくらみ

時が来たのだ
私はおまえを野に連れていくだろう
しめった鼻先が甘さにまひし
ぬれた舌先が酸っぱさを見失うまで
私はおまえのそばに立っていよう

私の左胸にほほをおしあて
汗でみっしり湿っていく幸福
胸をあわせ息をあわせひとつの鼓動にとけていくとき
おまえと私を包む温かい土の部屋は
にわかにさざ波の音が満ちて
海のうねりにひたされていた

鼓動を求めたおまえのほほの温みを
私は今も覚えている
黒々と毛も生えそろい
猛々しい青草と麝香と樟の匂いを
波打つ皮膚の下から放ちながら
大地を踏みしめて立つその黒い胸に
くっきりと三日月が浮かぶ今になっても
おまえは私の口先を舐め足裏を舐め
ぬれた鼻先で乳のありかを探ろうとする

時が来たのだ
おまえは森の王にならねばならない
無風にも気を察知して震える触覚のように
全身の毛がそそけだち
百千の生き物の眼を刺し返すみなぎりを得るまで
一人で崖の上に立たねばならない

私はおまえを野に連れていく
赤い甘さと酸っぱいつゆにまみれ
果実をむさぼり呆けているうちに
私は後ずさり川を越え痕跡を消し
ついにおまえを忘れるだろう
左胸に残る余熱を激しく欲しながら
私は忘れるためにみごもり
丘に新しい穴を掘る

                         『詩と思想」2016年3月掲載(Freepikによるデザイン
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-04-03 10:58 | 詩、詩論 | Comments(0)

花に触れる

しおれたシクラメンを
引き抜いていて
うっかり
つぼみのくびを
はねてしまった
うずくまるつぼみ
青臭いにおいがただよう

密生する葉が
おおいかくしているもの
競い合うように
空隙を目指して
突き上げる力
そのあらわれを
私の不注意が
はねてしまった

にぎったままの
しおれた花が
うすい膜のように
指にはりついてくる
萎えた茎から
にじむ粘り
ふり払うように捨てる
私の指

窓越しの冬陽は
羽根布団のようにやわらかい
ゆっくりと鉢をまわして
シクラメンを眠らせる
                                          『千年樹』65号
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-02-20 21:48 | 詩、詩論 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by yumiko
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