Yumiko's poetic pictures

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領域侵犯(『千年樹』67号掲載)

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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-08-24 23:44 | 詩、詩論 | Comments(0)

たとえば 吉野弘 黒田三郎 まど・みちお・・・事実と真実

 吉野弘の「I was born」、完全なノンフィクションだとずっと思っていたのだが、吉野さんのエッセーによると、創作であるらしい。少年時代にI was bornという英文に引きとめられ、それが何かわからないまま大人になった、という「事実」と、図鑑で見た蜉蝣の卵、そこで見た生と死の鬩ぎ合う哀しさへの感動、という「事実」が、詩的真実の種、だったということになる。死を暗示する寺の境内、生を象徴する身重の女、そして、自分が生まれた事によって母が死んだ、という、伝聞によって知る「事実」。生と死、それを、自分をこの世に生み出した一人である父から聴く、というシチュエーションの設定。完璧なまでの情景の創作が、詩的真実をリアルに読者に届けるひとつの舞台となって、そこに詩が生まれたのだ。(吉野弘『現代詩入門』など)
 黒田三郎の「夕方の三十分」は、恐らく「事実」に基づく作品だろう。それでも、イメージの詩的誇張や言葉運びのリズム、場合によっては娘のユリの発言の前後を入れ替えたり、自分の言葉で補ったり言い換えたり・・・といった操作が行われているに相違ない。その行為は、「事実」を捻じ曲げる虚飾だろうか?いや、そのときの心情、関係性、思惟の真の姿を伝えるための「編集」であり、「デフォルメ」であり「加筆」「補筆」であるはずだ。黒田さんが感じ取り、伝えたい「詩的真実」を、もっとも効果的に伝えるための場の設定。そこに詩の生まれるフィールドがあり、そこで生動する詩情が「詩」を立ち上げる。
 まど・みちおの「地球の用事」を読むたび、透き通った赤い水滴が連なり、宇宙の果てから二重螺旋のように絡まりながら「わたし」の元にまでのびてくる空間的イメージに誘われる。まどさんが冒頭に置いた、赤いビーズ・・・これもまた、「事実」とは少し異なっている。仁丹を口に放り込んだ時、たまたまこぼれた一粒がころころと転がってこたつぶとんの窪みに落ち着いた・・・その様子を見ていたところからの発想だというから驚く。さらに、仁丹を赤いビーズに替えたのは「商品名になってしまうから」であり、「こどもらしいビーズ遊び」にした、という、気が抜けるような微笑ましい理由であるらしいが・・・まどさん自身が気づかぬうちに、命の滴、としての赤い透き通った一滴のイメージに魅かれて「詩」が紡がれていったのではないか、という気がしてならない。(阪田寛夫『まどさんのうた』より)
 いずれも著名な作品なので引用するまでもないが、便宜上、三者の詩をここに転載しておきたい。出典は童話屋のポケット文庫に拠った。

   I was born   吉野弘

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was bornなんだね――
 父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。 僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。 僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見るとその通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい光りの粒粒だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裏に灼きついたものがあった。
――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。


   夕方の三十分   黒田三郎

コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウィスキイをひと口飲む
折紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分

僕は腕のいい女中で
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリの御機嫌とりまで
いっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮したので
小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

「ホンヨンデェ オトーチャマ」
「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼をかえそうと
一心不乱のところに
あわててユリが駈けこんでくる
「オシッコデルノー オトーチャマ」

だんだん僕は不機嫌になってくる
味の素をひとさじ
フライパンをひとゆすり
ウィスキイをがぶりとひと口
だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
「ハヤクココキッテヨォ オト―」
「ハヤクー」

癇癪もちの親爺が怒鳴る
「自分でしなさい 自分でェ」
癇癪もちの娘がやりかえす
「ヨッパライ グズ ジジイ」
親爺が怒って娘のお尻を叩く
小さなユリが泣く
大きな大きな声で泣く

それから
やがて
しずかで美しい時間が
やってくる
親爺は素直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向い合ってふたり坐る


   地球の用事   まど・みちお

ビーズつなぎの 手から おちた
赤い ビーズ

指さきから ひざへ
ひざから ざぶとんへ
ざぶとんから たたみへ
ひくい ほうへ
ひくい ほうへと
かけて いって
たたみの すみの こげあなに
はいって とまった
いわれた とおりの 道を
ちゃんと かけて
いわれた とおりの ところへ
ちゃんと 来ました
と いうように
いま あんしんした 顔で
光って いる
ああ こんなに 小さな
ちびちゃんを
ここまで 走らせた
地球の 用事は
なんだったのだろう
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-08-22 10:56 | 随想 | Comments(0)

好きな詩 ふたつ 吉野弘・伊東静雄より

 いつも、“お守り”のように大切に引き出しにしまっている一篇の詩がある。吉野弘さんの「一枚の絵」。
 恐らく、エッセー集からコピーしたものだろう、1978年12月と吉野さんの自注があるが、吉野さんのどの本で読んだのか、どうしても思い出せない。

 一枚の絵がある

 縦長の画面の下の部分で
 仰向けに寝ころんだ二、三歳の童児が
 手足をばたつかせ、泣きわめいている
 上から
 若い母親のほほえみが
 泣く子を見下ろしている
 泣いてはいるが、子供は
 母親の微笑を
 陽射しのように
 小さな全身で感じている

 「母子像」
 誰の手に成るものか不明
 人間を見守っている運命のごときものが
 最も心和んだときの手すさびに
 ふと、描いたものであろうか

 人は多分救いようのない生きもので
 その生涯は
 赦すことも赦されることも
 ともにふさわしくないのに
 この絵の中の子供は
 母なる人に
 ありのまま受け入れられている
 そして、母親は
 ほとんど気付かずに
 神の代りをつとめている
 このような稀有な一時期が
 身二つになった母子の間には
 甘やかな秘密のように
 ある

 そんなことを思わせる
 一枚の絵

 電車の中ですれちがった母子の景に心を動かされた吉野さんが、何度か改稿しながら得たという作品。読む、というよりも眺めていると、ラファエロの聖母子像が重なっていく。
 読み直すたびに、「上から」という言葉で切る吉野さんの繊細さに、はっとさせられる。電車の中で他者の眼を気にしながら、早く泣き止んでちょうだい、と幼子の意志を押しとどめようとする、社会人としての親の困惑と苛立ちが一瞬現れ、重なり……さらに、そんな自分に対する自制や自責の念がにじんでくる。その沈黙の時間と緊張感を生み出す切断、そのあとに続く空白。息を飲んで次の行に移ると、そこには上から“押さえつける”のではなく、あらゆるものを柔らかく包み込み、ありのままを赦してくれるような、春の陽射しのような「若い母親」の視線が、静かにあたりを満たしているのである。
 泣きわめくことを“赦す”まなざし。そんな一瞬が、間違いなく、確かに存在する、と高らかに宣言するような、「ある」という断固とした一節、その切り方、置き方、潔さにも強く惹かれる。ごく平凡な母子の情景が、いつのまにか人間そのものについて、さらに、人を見守るなにか大きな存在との関係へと展開していく見事さ。そして、初めてこの詩を読んだときのことを、かすかな痛みとほのかな色合いと共に思い出す。

 今から13年ほど前、かろうじて「児童館デビュー」と「公園デビュー」を果たしたものの、まだ「ママ友」との上手な付き合い方を推し量れぬまま、図書館に通っていた頃があった。帰りがけに児童コーナーに立ち寄ると、息子は決まって「のりもの」の棚から『しょうぼうじどうしゃ じぷた』を抜き出し、黙って私の前に差し出す。「そんなに好きなら、この本、買ってあげようか?」と聞くと、息子は黙って首を横に振る。それはまるで、毎日繰り返される儀式のような行為だった。
 児童コーナーの絨毯の上で、息子にだけ聞こえる声で、「じぷた」の物語を読む。僕なんか、なんの役に立つんだろう、と落ち込んでいる、小さな小さな消防自動車のお話。ジープを改良した「じぷた」は、町の建物が火事の際にもまるで役に立たない。出動の際にはいつもポツンと消防署に残されてしまう。大きな消防自動車が胸を張って帰ってくるたびに、肩身の狭い想いをしていた「じぷた」だが、ある日、山小屋が火事にみまわれ緊急出動、他の消防車が入れない山道を駆け上り、大活躍するのだ。絵本を閉じると、息子はすっきりした顔をして、自分で次の本を探しに行き、黙って広げて読み始める。その様子を視野の隅におさめながら、私も自分の本を探す。そんなとき、決まって手に取るのは詩集や、詩人たちの書いたエッセー集だった。
 もうすぐ四歳になるというのに、息子は二語文を話せなかった。砂場や遊技場で、スコップやブロックなどのおもちゃを取られても、まったく怒ろうとしない。集団お遊戯の時間になると、ふっとその場を離れて、一人で何事かを始めてしまう。若い保健婦に「言語療法士」を紹介されたり、児童館の職員に発達障害に関する書籍を読むように勧められたりするたびに、笑顔で断りながらも、内心では焦りや苛立ちを覚えていた。子供には、蘭のように育てるのが難しい子供と、タンポポのように容易い子がいる、そんな話を拾い読みしたり、言葉遊びの本を、必死に暗唱させようとしたり……今となっては笑い種だが、当時の私は、軽いノイローゼに陥りかけていたのかもしれない。
 そんなとき、吉野さんの詩が、まるで陽射しのように私を暖めてくれたのだった。初めてこの詩を読んだとき、詩を読んでいる空間が、はちみつ色の光に満たされているような気がしたことをはっきりと覚えている。色を持った詩、というものが、確かにあるのだ。
 私と息子との間にも、そのような瞬間が、ある、かもしれない。いや、今までもあった、ただ、単に忘れているだけだ。そう思わせられるだけでなく……この幼子のように泣きわめいている内面の私自身を、新米の「若い母親」であるもう一人の私が、それでいいのよ、とほほえみながら見下ろしているような、そんな不思議な、自己分離の感覚にうたれた。そのページをコピーし、大事に折りたたんで、息子の着替えやオムツ、弁当の入った大きなトートバッグにしまい……鼻歌を歌いながらベビーカーを押して帰った。道端のイチョウ並木の黄葉が、昨日までは寒色系の緑色をおびた寂しい色だったのに、その日はオレンジ色をおびた金色となって、ひらひら、小鳥のように舞っていた。晶子の記した通りに。

 縁に恵まれてごく普通に結婚し、一人目の子を出産し、二人目を身籠り……当時の私は、大学で美術史を学んだものの、取り立てて将来の展望というものも持ちえないまま、それなりに楽しく忙しく日々を過ごす専業主婦となっていた。自分の将来のことは、子育てが落ち着いてから改めて考えよう、そう、心の底で自分自身に言い聞かせながら、実際には、研究者の道を選んだ同期の学友たちが次々と論文を発表していくのを、焦燥感と孤立感とがないまぜになった感情で眺めていたように思う。息子が「じぷた」の物語を持ってくるたび、それを私自身の物語としても読んでいたのかもしれない。
 息子も既に高校2年生。今では、当時のことはすっかり笑い話となった。パワーポイントを駆使して科学の授業用のプレゼンテーション資料などを作成する、快活でお人よしの、ごく平凡な人懐っこい少年。小学六年生までおねしょと縁が切れなかったから(ホルモン異常や内臓疾患を疑い、入院させてまで検査したことがある)、単に他の子よりも発達のスピードが遅かったに過ぎないのだろう。
 義父母と同居だったので、あ~とか、う~と言えば「あっちに行きたいのか?」「あら、お茶がほしいのね」と、意志疎通にまったく不自由しなかった。そのことも、言葉を発する遅さにつながっていたのだと思う。息子は、いわゆる喃語を話すことは一切なく、いきなり文章を話し出して周囲を驚かせた。
 言葉によるコミュニケーションは、意志を伝えたい、という強い欲求が無ければ、生まれないものなのだろう。大人四人に囲まれる生活と、大きなポンプ車やハシゴ車、大型救急車に囲まれた、小さな小さな消防自動車の話とのアナロジー。息子は子供ながらに母親の焦りや苛立ちを敏感に感じ取り、自分を重ねていたのかもしれない。
 そんなタイミングで出会ったからこそ、この一篇の詩が、はちみつ色の光と共に私の記憶に刻まれることになったのだと思う。詩は、出会うべき時というものがあり、その「時」になると、自然に目の前に現れてくるものなのだ。新川和江さんの「私を束ねないで」も、学校の授業などでも何度も読んでいるはずだが、私の心に楔を打つように飛び込んできたのは、私が35歳を過ぎ、それでもなお、一生を賭して悔いないもの、がまだ見つからない、という焦りに追われている時だった。二人の子供の幼稚園の同級生ママと、「三原色によるお絵描きの会」を立ち上げ、画用紙は心の運動場です、と威勢のよいキャッチコピーを掲げて子供たちの生み出す多種多様な造形や色彩に瞠目し、展覧会や写生会を楽しみつつも、いつか子供たちは、私のもとから離れていく。その時、お前はどうするのかという問いが、空が菫色に暮れてくるたびに夕方の鐘のように鳴り響いていた。
 図書館に子供たちの展覧会のチラシを配りに行った帰り道、いつものように立ち寄った詩集の棚で、「私を束ねないで」に出会った。涙があふれて止まらなかった。調べてみたら、新川さんがこの詩を書かれたのは、当時の私と同じ、37歳の時だった。心が震えた。平易な詩であればあるほど、その奥行きにたどり着くには、それなりの心構えも体験も必要なのかもしれない。新川さんの言葉にエネルギーをもらいながら、学生時代にリルケを教えて下さった先生が思索のための詩作、と称してソネットを連作しておられたことを思い出し、見よう見まねで詩、らしきものを書きだした。その時は、いずれ子供たちには見せるかもしれない、とは思っていたものの、他の誰かに見せよう、などとは、まったく思いもしなかった。大震災が起きた、2011年までは……。
 困惑している、ある日、ある時の、誰かの心に響く。それが、詩の役割なのかもしれない。私が、ふわっと心を暖めてもらったように、私の書くものが、いつか、誰かの心に届くことがあればいい。そんなことを思うようになった頃に出会った一篇の詩がある。伊東静雄の「夕映」。この詩も、はちみつ色の光に満たされている。私の、もう一つのはちみつ色の記憶である。

 わが窓にとどく夕映(ゆうばえ)は
 村の十字路とそのほとりの
 小さい石の祠(ほこら)の上に一際かがやく
 そしてこのひとときを其処にむれる
 幼い者らと
 白いどくだみの花が
 明るいひかりの中にある
 首のとれたあの石像と殆ど同じ背丈の子らの群
 けふもかれらの或る者は
 地蔵の足許に野の花をならべ
 或る者は形ばかりに刻まれたその肩や手を
 つついたり擦つたりして遊んでゐるのだ
 めいめいの家族の目から放たれて
 あそこに行はれる日々のかはいい祝祭
 そしてわたしもまた
 夕(ゆふ)毎(ごと)にやつと活計(かっけい)からのがれて
 この窓べに文字をつづる
 ねがはくはこのわが行ひも
 ああせめてはあのやうな小さい祝祭であれよ
 仮令(たとい)それが痛みからのものであつても
 また悔いと実りのない憧れからの
 たつたひとりのものであつたにしても
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-07-25 09:14 | 随想 | Comments(0)

詩人・安水稔和さんを囲む会 に出席して・・・詩集『春よ めぐれ』を読む

 冬が過ぎれば、春は自ずから巡ってくる…それなのに、なぜわざわざ、「めぐれ」と強く念じるような言葉をつぶやかねばならないのか。本書を手に取り、なんどか読み返すうちにおぼろげながら伝わって来たこと――不毛の荒野となった心に、再び亡き人の面影が、春の芽吹きのように訪れることへの、切ない願い――について思いを巡らせていた時、安水さんをお招きして読書会を行う、とのお知らせを頂いた。五月九日、深い問いかけと熱い祈りが凝縮されたような一冊を手に、初々しい緑の風に包まれた五月の清里を訪ねた。

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災から20年の間、著者は震災の詩を書き続けた。その中から130篇を択び文庫版にまとめたものが、この一冊である。冒頭の詩は、震災の日の光景から始まる。

 目のなかを燃えつづける炎。

 とどめようもなく広がる炎。
 炎炎炎炎炎炎炎。
 また炎さらに炎。

 目のまえに広がる焼け跡。
 ときどき噴きあがる火柱。
 くすぶる。 

 異臭漂う。

作者の中に、50年前の神戸大空襲の記憶が再来する。

 壊滅したまち。
 眼前のこのまちに
 どんなまちの姿を重ねあわせればいいのか。
 これから。(神戸 五十年目の戦争)

燃え落ちる町を前にした呆然自失の心境に、さらに、少年の日の恐怖や不安、その後の辛く苦しい時間…あの日の絶望が、その記憶が、否応もなく引き出され、重なっていく。それは50年という時を、その間に育んできたものを、尽く破壊せしめる激震でもあっただろう。

崩れた屋根のしたの/倒れた壁のなかの/折れた梁のあいだの/噴きあがる炎のむこうの//人の顔の/人の髪の毛の/人の手の/手の指の先の//あたたかさ/なつかしさ/いとおしさ/くやしさ。//人の形の/くやしさ。/人の/くやしさ。(くやしい)

焼けた水。/焦げた風。/垂れさがった電線。//ひび割れて。/傾いて。/揺れる足もと。//きしむような。/奇妙な違和感。/嘔吐。//不意にきしむ。/またきしむ。/不意にまた。(きしむ)

「いのちの焦げるにおいの漂う街」は、「いのちの記憶の引きちぎられた街」だ。生きていてよかった、という安堵と、なぜ自分だけが生き残った、という悲痛が心を引き裂く。中には、罪悪感すら感じてしまう人もいるだろう。話したい/話したくない 聞きたい/聞きたくない 覚えていたい/思い出したくない 忘れてしまいたい/忘れたくない…揺れる気持ちは、繰り返し訪れる〝痛み″となって心身を襲う。「暖をとるために一口飲んだ。/味がなかった。」(会いたいなあ ほんまに 痛い 揺れる でも このごろ 等)

角を曲がると/闇のむこうに/闇のかたまりが見える。/天から落ちてきたかたまりが。//肩口のあたりが裂けているのが/夜目にもはっきり見える。(見える)

あれから/季節がなくなって。/あるとすれば/それは冬かしら。/冬のつぎは夏で/夏のつぎは冬ということ。(あれから 季節が)

震災の冬、焦土と化した終戦の夏…季節が無くなる、という言葉が胸に刺さる。悲惨な「あのとき」以来、身体の周りで季節が巡っても、心の中は時が止まったままなのだ。時を失った心の目に留まる景は、荒涼とした更地、「草ばかりの空地」、失われた場所だ。(更地 更地があって 生きているということ 等)しかし作者の眼は、同時に新しい命の芽吹きを認める。

焦げた幹の割れ目から/おずおずと/黄みどりが/のぞいて。//焦げた幹の根もとから/われさきにと/押し包むように/のびあがって。(光る芽が)

心の中に、木が、戻って来る。

ここに帰って来る。あった木。ない木。見えない木。見えてくる木。花が帰る。葉が帰る。鳥が帰る。人の視線も。人の記憶も。人もまた。(木のねがい)

まだ眠っているのに/目を閉じているのに/ぼんやり見えている。/木の形したものが近づいてきて/幹のまわりが息づいて/枝のあたりが揺れはじめて。//土がゆっくりと盛り上がる/水が少しずつ流れる/空気が震える。/見えない町の音/遠い人の気配/わたしの心が戻ってくる。(朝の声)

冬の心を抱えた身体を、何度も春の手が抱いたことだろう。木々の芽吹きが、再び開く花が、帰って来る鳥が、心の手を引いて安水さんを春の野に連れていく。やがて、詩人は確かに実感する。

むこうから歩いてくる/すこしずつ近づいてくる。/顔の表情も読めるようで/手を振って走り出しそう。/声あげて/ああ やっと会えたんだ。//そこで姿が消える/なぜか いなくなる。(そこで)

すぐとなりに立っている/立っているのがわかる。/見なくてもわかる/おたがいにわかる。/会えてよかった/そう言いたいのを押えて。//歩き出すと/いつのまにか ひとり。(いつのまにか)

 心の中に訪れる気配を感じるだけではなく、「人の顔した花」「人の形した枝」が、「風もないのに/揺れている」のを、実際に目でも〝見る″(震えている)。思い出すことが辛さ、痛み、であった時間は、凍りついた冬の時間だったのかもしれない。自然の息吹に触れるうちに、雪解けのように流れ始める心の時間。心が春を迎えるとき、身近な草花の中に、明け方の夢の覚め際に、想い出の場所で目をつむるたびに…大切な人が、そこにいたこと、いつもいること、これからも居続けることが、実感されるのだ。
手で触れることのできない出会いは、かすかにこころに翳りをおびた出会いでもある(光のいのち)。それでも、凍りついた時間の中から、静かに流れ続ける時間の中に戻って来た心で、作者は子供たちの笑顔を見ながらつぶやくのだ。

 君たちのなかにすべてがあると言ったことがある
 それはこういうことだ。
 君たちのなかにわたしたちもいる
 わたしたちのこれまでが これからがある。
 君たちは君たち。
 わたしたちも君たち。
 
 沈む空 割れる空。
 燃える木 枯れる木。
 遠い水 見えない芽
 揺れてこぼれる花の記憶。
 ほかならぬこの世界で
 いまここに立つ君たち。

 君たちといっしょなら
 生きていける。
 君たちといっしょに
 生きたいとおもう。
 君たちの笑顔とともに
 ほかならぬこの世界で今。(君たちの笑顔とともに)

 含蓄深い安水さんのお話の後、詩集に込められた祈りについてうかがうことができた。その時の力強いひとこと、「生きる、ということです、生きている、ということです」が忘れられない。柔和な笑顔と共に、ハリのある声で、身を乗り出すようにして答えて下さった安水さん。素敵な読書会を企画してくださった清里のギャラリー「ぜぴゅろす」の桜井さんご夫妻にも、深く感謝したい。
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「春よ めぐれ」安水稔和詩集 編集工房ノア(本体1500円+税)
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-05-26 21:29 | 読書感想、書評 | Comments(0)

詩誌『蒐』5号より 小柴節子さんの‶Wind”

札幌で発行されている詩誌『蒐』(Syuu)5号が届いた。2016年3月31日の日付。
その中から、小柴節子さんの作品、‶Wind”をご紹介したい。

 Wind

さようならで始まり
さようならで終わる物語を
思い出を開くように聞いている
さらには
樹々の葉脈が
ふるえる舌の音のように聞こえてくる朝もある

寝室にはあちこちで拾ってきた
あるいは捨ててきたものたちが
血を流し
狂い咲いている
行きつくところまで
行かなければならなかったのに
行けなかった

わたしはいつか
みうしなった耳になるかもしれない
ぬきさしならない存在を
蝸牛にみたてて
孤独の坂をくだってゆくが
辿りつけない

まだかすかに声の残っている下着を
身にまとえば
胎内にいたはずのいのちが
記憶だけになって
戻ってくる
死体を焼く臭いはいまも
つんと鼻腔をついて

四十年めの夏がきて
てのひらのなかに
死の国が宿っていることに
気づかされる
日付は無限にあとずさり
還ろうとする道には
さようならの風だけが
こっちへおいでと手招きしている

聴くということに、全神経を集中しているような静けさ。4、5連目を読むと、もしかすると亡くなったお子さんがいらしたのだろうか、という想いにもかられる・・・が、1、2、3、と畳みかけていく、乾いた砂をすくいあげるような諦念、穏やかな哀しみは、語り手自身のもののように思われる。
樹々が吸い上げ、葉脈を巡り葉先を柔らかくのばしていく命のかすかな漲り。その気配を、見るのではなく、音として聴いている。あるいは心の耳で聴いているのかもしれない。これから葉をのばすであろう裸木を想いながら。
振り返る過去が、芥子の花のように赤く、涙をしたたらせるように血を流しながら、語り手のいる寝室のそこかしこで花開いている。
蝸牛、は、かたつむり、ではなく、かぎゅう、と読みたくなる。孤独と響きあう、Kの音、硬質な響き。
手招きしている風の中には、誰が立っているのだろう。

注記が記されている。

※小柴節子同人は二月一日に急逝しました。享年六五歳。
 遺稿の中に本誌5号用と思われる作品があり、ここに掲載しました。

注記を読んで、感動したわけではない。何か胸を突かれるような、静かな哀感を感じながら読み終えたところに、控え目な、しかしそれゆえになおいっそう万感のこもる、同人への追悼の一節があらわれたのだ。

庭先で咲き始めた勿忘草を捧げたいと思う。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2016-04-12 20:52 | 読書感想、書評 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by yumiko
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