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青木 繁 画 「大穴牟知命」に想う

 父に私の乳を飲ませたことがある。
 父は当時癌で入院していた。脊髄に癌が転移し、もう歩けない状態だった。私は子供を産んで三か月ほどたち、ある程度安定して乳が出始めた時分だった。赤ん坊を同居している姑に預け、お見舞いに行くと、数時間で胸が張ってくる。そこで搾乳機を病院に持ち込み、病室の蔭で乳を搾った。
 乳白色という言葉があるが、母乳は少し象牙色がかった液体で、実に美しかった。手についたものを舐めると、意外なほど甘い。乳児用の粉ミルクを湯に溶けば近似値は味わえるだろうが、全体に白濁した粉ミルクに比べ、母乳には半透明といってもいい、透き通った美しさがあった。コロイド状に攪拌された(ホモジナイズされた)市販の牛乳と、搾りたてのノンホモ牛乳との差異を思い浮かべていただければよいだろうか。
  自宅ならば冷蔵庫に保管し、あとで哺乳瓶で飲ませたりもするのだが、ここは出先の病室である。病院の流しに捨てながら、なにかもったいないような、切ないような気持ちに駆られた。しばしば母乳の免疫力が云々される。ならば父に飲ませてみたら、多少は病気がよくなるのではなかろうか。
 匙ですくって、何回か父に飲ませた。騙すようなやり方はしたくなかったので、きちんと説明してから口にしてもらった。結局、唇を湿す程度で互いに照れ笑いをするにとどまったが、父が亡くなって10年以上経った今でも、あの時の私の行為、についてしばしば考える。
 薬、として真剣に飲ませるつもりなら、黙って食事の際に「飲み物」として添えればよい。何度も繰り返して飲ませる必要もあるだろう。たった一度きりの、まるで思いつきのような、しるしだけの乳飲ませ・・・。

 青木繁が、古事記を題材として描いた「神話画」と呼ばれる作品に、『大穴牟知命』という作品がある。オオナムチ、いわゆるオオクニヌシが兄弟の裏切りにあい、灼熱の岩を抱かされて死ぬ。その死骸を、カミムスヒに使わされた二人の女神が、貝の粉と母乳を混ぜたものを薬として体に塗り、蘇生させる物語である。
 美術史学科だった私は、もちろんその絵も、その絵に描かれた物語も知っていたはずである。既に学問の世界を遠く離れていた私は、そんなことを露ほども意識していなかったけれども・・・今思い返せば無意識の内にあの絵が、そして背後の物語が、私をいささかエキセントリックな行為に駆り立てていたような気がする。乳を成人に、それもよりによって父に飲ませる、という、ある種の呪術的行為。父の病を癒すというよりも、私自身のやるせなさを緩和する、自己治癒の性格を持っていた行為だったのかもしれない。
by yumiko_aoki_4649 | 2013-10-19 14:01 | 美術展感想
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