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草野理恵子さん『パリンプセスト』書評

「硝子絵の向こうに」    

 ぬかるんだ校庭に、白い便器が並んでいる。裸で陽に照らされている少女。他には誰もいない。冒頭に置かれた「土」の、あまりにも異様な静けさに息を呑む。少女は、あえて便器を使わず、大地に自らの排泄物を流す。金色に輝きながら土に吸われ、大地の滋養となっていくそれは、やがて、「たましいの菌糸」を育み、「豊饒の地になったはずだ」と過去形で語られる。神話的な転回点。ここには、草野が詩を生み出すまさに根底が、鮮やかな価値観の反転と共に示されている。
 「土は腐っている」と断じ、少女を病だと思い込ませているのは、人物としては出てこないが、社会的な倫理や常識の代弁者たる“教師”であろう。あるいは、草野自身の“良識”であるのかもしれない。たとえば羨望や憎悪のような負の感情、真面目な“優等生”たちなら水に流して、そしらぬ顔をしているはずのもの。それこそが、実は豊かな詩の土壌を作り出しているのだ、という発見と高揚が、「土は腐っていなかったと思う」という静かな抗弁に表れている。
 「半月」や「対岸の床屋」の中で喉元から這い出ようとしていたり、強制的にあふれ出させられる虫や得体の知れない「何か蠢くもの」は、負の感情が言葉となって喉からあふれ出してくる、やり場のない苦しみと諦念を物語に託して描いた作品だと言えるだろう。「深紅山」や「焼かれる街」に出てくる赤いむくろのイメージは、自分が殺してしまった無数の自分自身でもあるような気がして、切ない。「焼かれる街」や「剥製を被る」に出てくる、人間と獣として永遠に隔てられ、意思疎通を断念させられている「君」や「彼」との関係。届かないことを知りながら、それでもなお、手紙を書き続ける、という「愚行」に駆られる私、の痛切さ。この「手紙」が、草野にとっての“詩”なのだろうか。
 草野には、生まれたときから重度の障碍を負っている息子がいる。「あとがき」を読みながら、運命を受容していく日々の重さを想った。時に抱く憎悪や呪詛に近い感情と、その反転としての自罰の感情。家族に負担を課すことへの自責、それにも増してあふれだす、抑えがたい愛情……「黒い舟」や「独房」は、息子と自分と、その二人を死後の世界へ(あるいは誰もがそこからやってくる、生まれる前の世界へ)と運んでほしい、いっそこの世から二人で抜け出してしまいたい、そんな恋慕に近い感情から生まれた抒情的な奇譚のように感じる。
 「雨期」や「青い壜」、あるいは「パリンプセスト」の奥に広がる、ガラス絵のような異界をひたす静けさ。パリンプセストとは、絵や文字の描かれた羊皮紙を削り、白紙に戻したもののことであるが、新たに重ねられていく物語の向こうに、消しても消しきれない痕跡が水の底のような冷たさで横たわっている、そんな草野の世界をそのまま体現しているかのような表題である。
 草野の描く物語は、いつも映像として立ち現れる。特異なのに、誰にもかすかに覚えがあるような、懐かしいのに初めて見るような世界。そのスクリーンに、黙って身をゆだねて欲しいと思う。

『びーぐる』26号書評欄掲載 土曜美術社出版販売 定価(本体2000円+税) 青木由弥子
草野理恵子さん『パリンプセスト』書評_d0264981_1701894.jpg

by yumiko_aoki_4649 | 2015-01-23 17:02 | 読書感想、書評
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