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Yumiko's poetic world

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今、「囚人」を読むということ――「蒼ざめたvieの犬」考

 紺色の揉み紙の地に、朱の文字で 囚人 と記されている。1949年、岩谷書店刊。後書きによれば、前半部の総題「青い酒場」には44年以降の作が、後半の「天の氷」や「巻貝の夢」には39年より43年までの作が収められている。三好が中桐雅夫の詩誌『LE BAL』に参加した39年は、中ソ国境付近のノモンハンで日本軍が大敗を喫っした年でもあった。
 集中、唯一年号を付した作品がある。「一九四一年冬の嘔吐」という副題のある「捧ぐ」。開戦の年、詩人は何を想ったのか。「私は純粋な詭弁だけしか持つてはいない/けれど 私は誇る 乾いた豊かな沙漠を/毒物も生えず 人の通らぬ/赫熱の夢想を 沈黙の献身を……かなしい権力を水に落ちた太陽のなかで/私は強く主張する」言葉しか持たない者の無力を自覚しつつ、なおも心の中には、赫熱の夢想が燃えているのだ。少なくともこの時点においては、まだ……。
 その頃、三好は肺結核により徴兵を猶予されていた。同郷の詩人難波律郎の眼には、兵役忌避のための「極端な減食による肉体破壊」に見えた。「当時三好の詩作は旺盛であった……足袋屋の二階の一間を借り……一連の散文詩「巻貝の夢」を、青ケイ和紙の原稿用紙に毛筆できざんでいた」という。(「黒髪の三好豊一郎」『Poetica』9号 小沢書店1993)
 戦後の『荒地詩集』(1953年版)に載せた評論「基督磔刑図」によると、当時の三好をとらえていた「不安」は、夢や自由が断たれるという個人的な問題よりも、「冷酷無比な自然の破壊力と同様な、否それ以上の凶暴な力……この暗愚な力を駆使する真の源泉が人間の何所にひそむのか」という、より根源的な問いから発していた。三好は壮絶なリアリズムで「死」を描きだした北方ルネサンスの磔刑図を見つめ、ダンテの地獄や源信の『往生要集』、ドストエフスキーの『白痴』やユイスマンスの『彼方』など、人間の善悪を問い、あるいは終末論的世界観を示す作品に傾倒しつつ、人間と時代への絶望感を強めていく。
 散文詩群「巻貝の夢」は、こうした根源的な不安を主題としている。「あらゆる現象が急速に、破滅的に一つの終末に近づきつゝあるとき、錯乱は到る所に現れる一つの痙攣的な自我のあがきである。私のこの詩集もその一例に洩れないであらう。」(「弁明」詩集後書き)浄らかな超俗の世界、あるいは死による安息への逃避願望が描かれる一方、「自ら望んだ囚徒の運命」を甘受し、「肉体に還つて」来なければならない魂の苦悩が、悪夢的幻想の内に示される。(「蜘蛛」傍点筆者。このサイトでは太字で表記。)
 時代と肉体の囚人として、三好は祈らずにはいられなかった。「凍つて寒い冬の夜空をひとすじ裂いて/夢におびえた犬の遠吠え/私はめざめてそれを聴いた」「おそれにおののく祈りのやうに/嘲笑(あざけ)りふるへる呪詛のやうに」響く「これら不眠の声を聴くか?/主よ イエス・キリスト」(「夜更けの祈」)三好は、額縁の中から抜け出して「俺の胸を踏み越えて室内を歩き廻」り、嘆くイエスの幻影と出会いさえする。(「部屋」)
 42年の秋、中桐や鮎川が出征し、「詩を書く意欲がまったくなくな」った田村隆一は、入営前に「どうせ死ぬなら、モダニストらしく合理的に死んでやるんだ、詩を書かないで、詩を実行してやるんだ」という手紙を三好に送った。三好からは「ヤケにならないでくれ」という返信が返ってきたという。(田村隆一「青春と戦争」『現代詩との出会い』思潮社2006)三好は、なおも詩を書き続け、43年に難波律郎と共に詩誌『故園』を創刊する。
 この頃の作品には、生者の驕りを問いかけたり、苦悩から逃れて、死の安息を願うものが多い。「彼は死んだ。俺はこの通り歩き眺め喰ふことも出来るが彼は早冷たい一握の土くれか……人々は……彼が再び我が生に物問ひたげに立ち現れることのないやうに」と願いながら立ち去っていく。墓地には、「言ふべくは口を閉され、動くべく足は埋り……内にいつぱいの言葉を蔵しながら」死んで行った者が残される(「碑」)。「さあ苦悩よ……不安や疲労やすべて己れの無力さから……わなないてゐた魂よ……解放された罪人のひそやかな安息……神の与へ給える安息の御手に……静まつてお呉れ」(「無題」)
 44年、ついに難波律郎も出征していき、同世代の詩を書く仲間は周囲から姿を消した。三好は詩的孤独の中で、『囚人』前半に収められた一群の作品を書き始める。かすかな希望としての祈りや呼びかけすらも姿を消し、代わりに「死の黒い輪郭」であるかのような自分の影、「過ぎ去ったさまざまの夢」を映し、しかも眼前に立ちふさがる「壁」、「絶望」、そして「不眠」が描き出されていく。
 「私の左の肺の尖端には虫の喰つた穴がある」と始まる「青い酒場」を見てみよう。自分の肺の穴から見える酒場に「やせて小さな男がひとり」座っている。「風と共に這入つてくるのは、凍えつきさうな悔恨ばかり」であり、「床に落ちた男の影の中には、いつの間にか、/一匹の犬が住みついてゐる/男のもてあました絶望を喰つて太つてゆく、度し難い奴だ」
 肉体を蝕む死の不安と、時代への絶望によって肥える犬。「四月馬鹿」という詩では、ついに「おれははひ廻つてゐる/苦痛が背中にかみついてゐる/おや 毛並がある 尻尾もある/裸だ!」と三好が犬になってしまう。まるで、犬が実体化し、三好の意識がその影に逆転してしまったかのようだ。
 犬と絶望はいつ結びついたのか。三好が当時、グリューネヴァルトの「磔刑図」を見て「異様な感動」に捉えられたのは、「断末魔の苦痛をたゝえた完全な腐爛しつつある屍」に、時代の姿を重ねて見ていたからであろう。三好はユイスマンスの描写を引いて、「忌まわしく弱々しい肉体を持って、天の父から捨てられ」「いやが上にも苦しみ喘ぎ、遂には山賊のように、野犬のように卑しく……腐肉を曝す屈辱と膿汁に塗れる未曽有の侮蔑」の内に死ぬ基督の図像に衝撃を受けたことを記している。「その歪曲の虚構性を支え」ているのは、宗教改革期を生きた画家の、「時代の悲劇」と「熱烈な信仰の幻想」とを描きだそうとする「はげしい表現意欲」であり、「私はここに時代の運命を生きる芸術家を見る」(三好豊一郎「基督磔刑図」、北川透「蒼ざめたvieと自然回帰」1982『北川透現代詩論集成』1巻 思潮社2014 傍点(太字)筆者)
 三好も、時代を描いた詩を残すことを欲し、そのことで孤独と絶望に耐えていた。終末を予感していた三好は、黙示録からも多くの示唆を得ていたことだろう。(後に『黙示』という作品を残してもいる。)黙示録の22章に、犬が登場する。再臨の預言が宣べられた後、「犬のような者……人を殺す者……すべて偽りを好み、また、行う者は都の外にいる。」都の外、とは、救済を拒絶されるということである。
 迫りくる肉体の死と時代の死の不安、詩友も失った孤独の中で生まれた「囚人」を、ここでもう一度読み直してみよう。

 真夜中 眼ざめると誰もゐない――
 犬は驚いて吠えはじめる 不意に
 すべての睡眠の高さに躍びあがらうと
 すべての耳はベツドの中にある
 ベツドは雲の中にある

 孤独におびえて狂奔する歯
 とびあがつてはすべり落ちる絶望の声
 そのたびに私はベツドから少しづつずり落ちる

絶望を喰って太った犬が、真夜中、孤独におびえて吠えはじめる。雲の中で眠る、死の安息を与えられた者たちの耳に、叫びは届かない。同じ場に至りたいという願いもかなわない。

 私の眼は壁にうがたれた双ツの穴
 夢は机の上で燐光のやうに凍つてゐる
 天には赤く燃える星
 地には悲しげに吠える犬
 (どこからか かすかに還つてくる木霊)

立ちふさがる壁を前に、現実を見定めねばならない眼の苦しみ。天には~地には、という歌うような一節は、「天には栄光、地には平和」と謳う讃美歌を思わせるが、地には絶望が吠えているばかり。「赤く燃える星」は、さそり座のアンタレスだろう。自死の幻影を描いた「室房にて」にも、それと思しき星が描かれている。「さそり座の尾が地平に低く 強烈な光を放つとき/私は孤独の室房で安じて瞑想する……さうして人間たることの唯一の証し/己が自愛の要求に応へるに/剃刀を軽く咽喉にふれて引く」ここには、黙示録の九章のイメージが重なる。第五の天使がラッパを吹くとき、天から星が落ち、底なしの淵から人面の怪物のようなイナゴの群れが現れ、「さそりが人を刺したときの苦痛」を人々に与える。人々は、「死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く」という一節である。

 私はその秘密を知つてゐる
 私の心臓の牢屋にも閉ぢ込められた一匹の犬が吠えてゐる
 不眠の蒼ざめたvieの犬が。

青春の謳歌を阻まれたという、同世代に共有されていた意識の域を超えて、三好の視野は常に世界に向かっていた。「囚人」を書いた時には、秘密とは世界の終末への予感であったろう。「基督磔刑図」でも、「戦争は終ったが、それは新たな辛酸への出発であった……現実が益々露骨に抽象的機械主義を以て、生命をしめつけてくるに従い、人間の精神は萎縮してゆくであろう」と暗い予感を示している。精神は薔薇色のvieを生きるどころか、蒼ざめてやせ細っていくばかりだ。世界を崩壊させるような「暗愚な力」を問うことなく生きていていいのか。言葉を封じられたまま死んでいった者たちの無念を、自らのものとして引き受けなくてよいのか。
 叫んでも、誰の耳にも届かない。「私の心臓の牢屋」にも、悲しげに吠える事しかできない犬が閉じ込められている。犬は、三好の魂の自画像であると共に、時代の肖像でもある。生きることも死ぬことも宙づりにされ、世界の崩壊におびえ続けた青春。「囚人」はそんな魂の懊悩を、「蒼ざめたvieの犬」というイメージに凝縮した作品なのである。
 三好の「囚人」が多くの人の眼に触れるのは、戦後に創刊された第二次『荒地』誌上においてであった。この号には、戦病死した森川義信の「勾配」と三好の「囚人」が掲載され、巻末に森川と三好の詩作品を題材とした鮎川信夫の評論「暗い構図」が置かれている。戦後に創刊される詩誌に、あえて戦中に書かれた作品を載せた意図は、戦時中には見るべき詩は無かった、戦時中は現代詩の空白期だった、という先行世代の詩人たちの認識に対する、激しいアンチテーゼでもあったろう。(中村不二夫『廃墟の詩学』土曜美術社2014)
 1951年の『荒地詩集』に、三好は「囚人」や「青い酒場」を含む十四篇の詩を寄せたが、その時の総題は「希望」であった。「僕達と同じように現代を荒地と考えている君は……どんな言葉の甘美な表現よりも、自己の現実の悩みの方が遥かに未来を孕んでいることに気づいている筈である」(鮎川信夫起草、荒地同人による序文「Xへの献辞」)
 暗い青春の記念であったとしても、たしかに自分が生きていたことを証する言葉。絶望の声に応じるかすかな木霊を聴く、という控えめな断言の中に、未来の読者に向けた三好の希望が託されているような気がしてならない。

『詩と思想』2015年3月号掲載
今、「囚人」を読むということ――「蒼ざめたvieの犬」考_d0264981_1514547.jpg

by yumiko_aoki_4649 | 2015-08-02 15:14 | 読書感想、書評、批評
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詩や詩に関わるものごとなど。


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