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伊東静雄ノート 4

戦争の予感と時代の閉塞感、文学探求における迷走、家族の病という切実な問題……その重苦しい沈鬱な心象が、昭和十五年から十六年にかけての詩、「春浅き」や「夏の終」などに描かれていることを見て来たわけだが、それらはいずれも詩集後半に置かれていた。『春のいそぎ』掲載順に初出を整理してみよう。


わがうたさへや      (17.4「文芸世紀」)(※昭和十七年四月 以下略記

かの旅          (18.6「コギト」)

那智           (18.7「文芸文化」)

久住の歌         (18.2「新文化」)

秋の海          (18.2「文芸世紀」)

述懐             (17.12「大阪毎日新聞」)

なれとわれ②       (17.10「コギト」)

海戦想望         (17.5「コギト」)

つはものの祈       (17.4「コギト」)

送別           17.3「コギト」)

春の雪           17.3「文芸文化」)

大詔           17.1「コギト」)

菊を想ふ        (16.12「日本読書新聞」)

淀の河邉          18.1「文芸文化」)

九月七日・月明      (17.1「四季」)

第一日          16.10「帝国大学新聞」)

七月二日・初蟬      (16.8「天性」)(※『全集』では「コギト」7月と誤記)

なかぞらのいづこより  16.4「文学界」)

羨望           16.10「天性」)

山村遊行        16.6「コギト」)

庭の蟬          16.7「コギト」)

春浅き         16.5「四季」)

百千の          15.12「文学界」)

わが家はいよいよ小さし 16.1「文芸」)

夏の終②         15.10「公論」)(※『全集』では「不明」と記載)

           15.8「天性」)

小曲           15.4「改造」)

誕生日の即興歌       15.2「文芸世紀」)  (※旧漢字は当用漢字に改めた)


太字は拙稿「静雄ノート」1~3で引用した詩、番号は各回に対応している。

並べてみると、「大詔」を中心にして前半に太平洋戦争開戦後の詩篇、後半にそれ以前の詩篇が収められていることがわかる。後半は沈鬱な開戦前夜の気分と、その中で子供の未来に寄せる希望や祈りが詠われ、前半には大詔渙発以来の明朗な心境、兵士たちへの共感や祈りを歌った詩が置かれていることになる。

「大詔」で歌われたのは、なによりもその〈清しさ〉であった。そしてその清々しさは、いよいよ本当の亜細亜創設のための戦いが始まるのだ、という自己正当性の確認であり、開戦当初の連日の戦勝の報道によって増幅された開放感であった。(子安宣邦『「近代の超克」とは何か』七章「宣戦になぜかくも感動したのか」など。)いつのまにか中国大陸で戦闘が始まっていた、という不透明感、欧米の圧力から亜細亜を解放する聖戦であるはずの戦いが、当の亜細亜で行われているという矛盾、国際的不況の中で日本が帝国主義列強に〝理不尽に″追い詰められている、というイメージが創り出され、強まって行く不満……そうした鬱屈した国民の思いを、一息に開放するのが昭和十六年十二月八日の「大詔」だったのだ。そして、その興奮の中に静雄も呑みこまれていく。

もっとも静雄の書いた〝戦争詩″は、十五年戦争期に、特に太平洋戦争期に大量に生み出された翼賛詩――命を捨てよ、と煽り、鬼畜米英と罵倒し、戦死者を軍神として崇め奉る――とは、いささか趣が異なっていた。詩集巻頭の「わがうたさへや」を見てみよう。


おほいなる 神のふるきみくにに

いまあらた

大いなる戦ひとうたのとき

(タケナワ)にして

()むる

くにたみの高き諸聲(もろごえ)

   そのこゑにまじればあはれ

   浅茅がもとの蟲の音の

   わがうたさへや

あなをかし けふの日の(カタジケ)なさは

(当用漢字に改めた。カタカナのルビは筆者の補注)


没個性的な六行の前歌と、行を減らし添えるように置かれた後歌、とでも称すべき二連構成。箏と共に奏するなら、重厚な始まりにのせて〈おほいなる~〉と歌い出し、諸聲、と途切れた後に華やかな手事、やがてゆるやかな単旋律が戻って来たところで〈わがうたさへや〉と静かに歌い納めることになろうか。

当時の愛国詩は、この詩の前半部分を漢文調の雄渾な調子で、あるいは大和歌の響きを生かして朗々と歌い上げる類のものが多い。『国民詩』や『辻詩集』など戦時中のアンソロジーでは〝個″を手放してしまった愛国詩が目につくのだが(逆に〝個″に徹した詩も散見される、)静雄のように〝個″を離れ集団に埋没するかのような詩句と、〝個″を手放さない詩句とを並置する詩は少ないように思う。静雄が二連構成の形式を取り、個の唄を添える意味、この詩を巻頭に置いた意図は、『春のいそぎ』全体の構成にも関わる、重要な意味を持つのではないだろうか。

『哀歌』の原稿を何度も差し替えるなど、静雄は詩集の構成に意を注ぐ詩人だった。『哀歌』の巻頭に置かれた「晴れた日に」は、分裂する自己もしくは理想化された恋人が登場し、故郷へのアンビバレントな感情が表出されるなど、詩集全体のテーマが複雑に織り込まれた作品である。詰屈の多い作品自体の印象と、傑作と凡作が入り混じるような『哀歌』全体の印象とは奇妙に符合している。第二詩集『夏花』の巻頭に置かれた「燕」は、死の波濤をくぐり抜けた燕が故郷で歓喜の声をあげる景を、きびきびとした音楽的な文体で歌った作品。この詩も、生と死がせめぎあう緊張感に満ちた『夏花』全体の印象を集約したような作品となっている。第四詩集『反響』の巻頭に置かれた「野の夜」は、虚脱感を抱えて〈くらい野〉を行く静雄が、〈野の空の星〉の光が水に映っていることに気付いた瞬間を描いた作品。夜の水辺にしゃがみ、水に映る星やまだ幼い螢の光の美しさに見とれる〈わが目〉を、困惑しながら見つめている〈自分〉、その静けさと虚無感、光を観る眼差しは、『反響』の中の、特に戦後作品の印象に合致する。

第三詩集『春のいそぎ』巻頭の「わがうたさへや」は、漢字の「聲」と、ひらがなの「こゑ」とが向き合い、公と私、大と小、讃嘆/歓呼と謙遜/恭順の心情とが対比されつつ響き合っている。〈まじれば〉という語からも分かるように、個の声が集団の中に吸収されていくことに〈あはれ〉を感じ、感慨を覚えている。〈あはれ〉はもちろん〝哀れ″ではなく、しみじみとした感動を呼び覚まされている様であるが、同時に〈浅茅がもと〉を頭韻的に呼ぶ詠嘆であり、無数の虫の音の一つに過ぎないささやかな〈わがうた〉ですら、〈くにたみ〉の声に和することができる今日のこの日が、もったいなくも嬉しく感じられる、と喜びを歌っているのである。

せっかく〝個″の声を歌っているにも関わらず、それを集団に埋没させることを、その機会を与えられたことを喜ぶのか……暗澹たる思いにとらわれるが、戦後民主主義教育の中で育った筆者の価値観をそのままあてはめることはできないだろう。ここでは、詩集前半の詩群が〈諸聲〉に没することによって生まれ、後半の詩群が没入直前で留まっている個の〈こゑ〉からなること――他の詩集と同様、巻頭詩が詩集全体のイメージ(配置)と相似していることを確認した上で、なぜ〝没入″が起きたのか、という問題について、静雄の教師としての側面、詩人としての側面、その双方から考えていきたい。

手始めに、「夏の終り」が掲載された『公論』昭和十五年の十月号(第一公論社)を開いてみよう。静雄を取り巻く思想状況の一端、当時の〝ムード″を知ることができる。(詩集収録時には「夏の終」と改題)

冒頭の社説は「皇国与論と宣伝教育」。「日本人の心性」というエッセイでは、小我を捨てて大我に生きることこそ日本人の美徳であることが説かれ、〈大君のへにこそ死なめ〉という「海行かば」の一節が引かれる。「旧世界の動揺と日本」という論文では、大英帝国の衰退とドイツの躍進、世界地図が塗り替えられようとしている現状が述べられ、アジアを経済的に支配下に置こうとする米国の〝野望″を断つために、日本は南進すべきである、という議論が展開される。七月に成立した第二次近衛内閣の国策にそった〝北守南進″論である。コラム的ページには「女子徴用論」などもあり、十七才になったら女子を看護婦として養成し、集団的に訓練して野戦病院の人員不足に対処せよ、と大学教授が〝女性の活用法″について論じている。「愛国運動の研究」と題した座談会や、「西北支那と回教民族」「南方アジア及西南アジア踏査記」など、広く世界に目を向けた(日本の版図拡大を意図する政府の意向に沿った)硬派な記事が続き、最後の方に紀行エッセイや詩歌の文学コーナーが設けられている。詩は伊東静雄、短歌は穂積忠、俳句は富安風生。「世界の動き」という情報コーナーの後、短編小説と連載小説が配置された、総合オピニオン誌であった。詩の寄稿に当たって、静雄が雑誌の性格を顧慮した可能性もある。

 穂積(きよし)は、北原白秋門下折口信夫に師事した歌人である。『公論』掲出の十首は


わが(いのち)またく思はね戦ふと曠野(あらの)の丘に(びょう)()捨て来つ

人間の言葉さびしとひた思ふ移動す軍を病馬追ひ来る

(いなな)きて(こた)ふる木魂(こだま)なかりけり草原(そうげん)の月に病馬さまよ


など、戦場の悲痛を格調高く詠う十首。日中戦争を主題にした〝便乗歌″と言えなくもないが、戦意高揚の翼賛歌とは誰も思わないだろう。凄まじいまでの月光の中で、疲弊した軍馬を捨てて立ち去る軍隊。戦争の非情が切々と伝わって来る。

富安風生は東京帝大独法科卒の官吏で、高浜虚子門の俳人。「四萬の夏」と題した十句は


蝉の木々(すだれ)おろせば(かす)かなり

(くつが)へす草刈籠に夏桔梗

清冽(せいれつ)山椒魚も(すん)ばかり


といった、明朗な自然観照の句である。『公論』に掲載された臨戦態勢のような論文を読んだ後にこの句と出会うと、意識的に戦争の気配から距離を置いたような印象を受ける。

 静雄の「夏の終り」は、この両者と比較するなら富安の句風に近い立場で歌われている。過度の感情移入や述志を律し、その場の自分が感じ取ったものとその時の心象を、写生した詩といえばよいだろうか。芭蕉の俳句を詩と呼ぶところから出発した静雄は、言葉の流れや響きよりもイメージの衝突や競合を重視することで『哀歌』中の秀作を生み出したように思われる。『夏花』の中の名作「八月の石にすがりて」も、苛烈なまでの自然観照と真夏と真冬、蝶と獣、明と暗といった激しいイメージの対比が作品の核となっている。「夏の終り」もまた、自然と我とを対峙させつつ写生風に綴る、俳句的発想法から生み出された詩群の中に位置づけられるだろう。だが、静雄は短歌的抒情、あるいは述志の方向へ、急速に傾いていく。その経緯を辿る前に、静雄を圧迫していく思想的な背景を、父/教師としての側面から見ておこう。

「夏の終り」が執筆された当時、静雄の家のそばには陸軍病院があった。〈ひつきりなしに、傷病兵が、バスで運ばれた。私は毎日のやうに子供をつれて路傍に立ち、敬礼した。家にじつと坐つてゐても、胸がはあ(・・)はあ(・・)と息づき強く、我慢出来ず興奮したりした。そんななかで、わたしの書く詩は、依然として、花や鳥の詩になるのであつた。〉(『コギト』昭和十五年五月号)坂下の大通りを、〈深夜覆ひをした大砲や恐ろしいほどの軍馬の数が地響きを立てて轟轟と行き過ぎていく。日中戦争の膠着状態を肌身で感じてもいた静雄が恐れていた、日本崩壊の予感、〝個″の消滅の不安……子煩悩の静雄にとって、国家の存亡と我が子の将来とは切り離せない懸念であったはずである。

この頃書かれた手紙に、〈文学は決して直接、個人の生活と体験をのみ(・・)土台としてはいけない……各自の苦しみを我慢して公の仕事をして行く、人間のいとほしさ〉(昭和十五年六月池田勉宛)という文言が見える。職場では教師に徹し、詩人であることをむしろ伏せていた静雄にとって、公の仕事、とは、まずは教師としての職務である

昭和七年、満州事変の勃発後に国民精神文化研究所が設立され、師範学校その他中等学校教員の思想再教育を行う事業部が設けられた。昭和十二年に発行された『国体の本義』の編集にも研究所は大きな影響を及ぼしている。『国体の本義』は和辻哲郎など一流文化人の助力も得て、当時の知識人層が納得できることを目安として国体概念を解説した本で、定価三十五銭の小冊子ながら初版二十万部、昭和十八年の段階で百七十万部が印刷されて一般に流布したという。中等学校では副読本的な扱いを受け、受験、特に陸海軍の学校を受験する者にとっては必読の書であった。受験指導の必要上、静雄も精読していたに相違ない。

さらに、昭和十六年には『国体の本義』に基づく国民(臣民)の道を明らかにしようとする意図で『臣民の道』が刊行されている。初版三万部、解説書も含めると百四十七万部余りも出版されたという。(阿部猛『太平洋戦争と歴史学』など)

『臣民の道』の第一章は「世界新秩序の建設」、二章は「国体と臣民の道」三章は「臣民の道の実践」――要するに、列強の圧力からアジアを開放するのが我が国の使命であり、そのために〈万世一系〉歴代の天皇は力を尽くしてきた、〈而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、()く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところ〉(『国体の本義』)という、皇国史観と武士道的倫理と宗教学や国学、民俗学……などを総合したキメラのような異様な書物が、青少年の指導者を中心に大量配布されたわけである

『公論』など民間の雑誌も動員して、国家の〝大義″は静雄のような市井の知識人をターゲットとして文章化されていった。日本の未来を憂うほど、この戦争に勝利する他に道はない、という隘路に静雄が導かれていったこともうなづける。

教師静雄にとっては、詩作は〝私″の仕事ということになろうが(教え子の西垣脩によれば、静雄は職場では詩人であることを伏せていた。知らない者も多かったという)、生涯を通じて求道者のように詩を求め続けた静雄にとって、詩作は天職(Beruf)としてのもう一つの〝公″の仕事でもあったろう。

『千年樹』67号 20168


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by yumiko_aoki_4649 | 2017-12-04 20:59 | 伊東静雄 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by まりも
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