Yumiko's poetic world

yumikoaoki.exblog.jp ブログトップ

伊東静雄ノート 5

 戦後公刊の『反響』に再録された際、『春のいそぎ』の作品群は「わが家はいよいよ小さし」という章題のもとに自序や〝戦争詩″七篇などを省く形で収められたが、作品順にも多少の入れ替えが生じている。

 戦時中刊の『春のいそぎ』では、「夏の終」の後に「螢」が置かれ、その次に童謡風の「小曲」、「誕生日の即興歌」が配されている。一方戦後の『反響』では「小曲」「誕生日の即興歌」「夏の終り」という順番に変わり、「螢」は省かれた。『反響』の復刻版を開くと

 

そんなことは皆どうでもよいのだつた

ただ壮大なものが(しづ)かに傾いてゐるのであつた

そしてときどき吹きつける砂が脚に痛かつた


という印象的な詩句の後に、大きく黒々と〈反響終〉の文字が印字されている。何かが終わろうとしているのだ、という詩と同じページに、この詩集はこれで終り、と厳然と記す、二重の〈終〉。

 気になるのは、戦争詩でもなく、(手紙などから推測すると)我が子の病が癒えることを祈る中で生まれた詩であったはずの「螢」が、省かれたことである。


 かすかに花のにほひする

 くらひ茂みの庭の隅

 つゆの霽れ間の夜の靄が

 そこはかとなく動いてて

 しづかなしづかな樹々の黒

 今夜は犬もおとなしく

 ことりともせぬ小舎(こや)(はう)

 微温(ぬる)い空気をつたはつて

 ただをりをりの汽車のふえ

 道往く人の(しはぶき)

 それさへ親しい夜のけはひ

 立木の闇にふはふはと

 ふたつ三つ出た螢かな

 窓べにちかくよると見て

 差しのばす手の指の()

 (たり)()逃げゆく(のき)のそら

 思ひ出に似たもどかしさ


この歌うような小品は、和泉式部の「物おもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」(『後拾遺和歌集』)を本歌取りしたとする評を散見する。しかし、和泉式部の歌と重なるのは末尾の六行に過ぎない。しかも物狂おしいような熱情を吐露する式部の歌とは、いささか異なる質感を覚える。

かすかな花の匂いが、生き物の気配を確かに伝えてはくれるが、木々はもちろん、犬すらも息を殺す静けさが梅雨晴れの闇の中に漂っている。〝なにものか″が潜んでいそうな、生暖かい夜の闇の不気味さ。暗がりの向こうから聞こえて来る汽車の警笛や道行く人の咳払いなどが、わずかに人の気配を感じさせ、ほっと体の緊張を解く。その窓辺に、ふわふわと蛍が数匹、飛び交うのである。……ぬくみを持った闇。それは、生き物のようにのしかかってくる闇であり、子供が暗がりに怯える原初的な感覚に近いものがある。

先に触れたように、当時、静雄の家のそばには陸軍病院があって、軍馬や軍の車両が深夜に地響きを立てて通り過ぎることも度々だった。見えない軍勢が過ぎていく物音を、今後の日本の行く末を案じながら聞いている。そのような折に掻き立てられる不安が、静雄を責め立て(はあはあと息が上がるような)切迫感を感じさせていたのであろうし、何事もない静けさもまた、夜陰が生き物のように家を覆う感覚を覚えさせたであろう。子供が不安を振り払うために、大きな声で歌を歌ったりすることがあるが、「螢」の耳馴染みの良い歌謡体のリズム、〈そこはかとなく動いてて〉という口語口調のような軽やかさには、そんな〝闇払い″の意識も込められているのではないか、という気がしてくる。

〈看病の傍ら、(隆達や地唄などの)古い歌謡の本を読んでゐます。これは自分の鎮魂のためと、自分の文學の模索のためであります〉(六月、池田勉宛)といういささか大仰で重苦しい内容と、中也風とでも呼びたい軽快な「螢」の印象のズレ。それは、迫って来る闇の中、不安に苛まれるあまり〈あくがれ〉出でようとする魂の深刻さを、お囃子唄や小唄の軽妙さで笑いに転じ、やり過ごそうとする意識が生み出した、コミカルな声調、その〝かろみ″が醸し出す表面上のズレなのではないだろうか。

 この時期、『コギト』の詩人保田與重郎は、「和泉式部私抄」(昭和十一年~十七年)をはじめ、近世から記紀歌謡時代に至るまで、様々な詩人、歌人を採り上げ、旺盛な評論活動を展開していた。ドイツのみならずエセーニンなど海外の詩人にも目配りをしていた保田の評論を、静雄は深い敬意を持って(時には、自分もこのような仕事がしたい、というある種の羨望の気持ちも抱きつつ)享受していた。

戦後、痛罵を浴びることになった保田のことを、静雄はどう思っていたのだろう。なおのこと、戦後、静雄が「螢」を省いたことが気になるのだが……『日本浪漫派』と静雄との関係性に関わって来る問題なので先に譲り、今は子供の為の子守歌のような「小曲」を読み解くことにしたい。

 昭和十五年六月の富士正晴宛葉書に、静雄は〈佐藤春夫の『東天紅』感心して再読三読してゐます〉と記していた。実際、『東天紅』と『春のいそぎ』を比較すると静雄が佐藤春夫から形式的にも内容的にも強い影響を受けたことが見て取れる。(米倉厳『伊東静雄』1985年など)たとえば「自嘲」という佐藤の作品。


 よき父となり

 日もすがら

 子と独楽(こま)まはす

   木の(きれ)に命授けて

   時にまた憂国の論はあれども

   わが説は人うけがはず。

 よき兄子(せこ)となり

 日もすがら

 花をうつせり

   面影を花に見いでて

   時にまた反逆あれど

   わが恋は知る人もなし。

 あはれなる詩人(うたびと)なり

 夜もすがら

 歌成りがたし

   時にまた老杜(らうと)の集を(ひもと)けば

   わが歌は自嘲の(あかし)


 『春のいそぎ』冒頭に納められた歌う形式の詩の形は、『東天紅』に学んだものであろう。〈よき父〉〈よき兄子〉である小市民的な自己を正面から受け止め、肯定する一方で、高みを目指しながら(俗世間から離れ、風雅の境地に生きる文人に憧れつつ)果たし得ずにいる自分に、あえて自嘲という言葉を投げかける〝詩人″。佐藤春夫の「自嘲」に詠われた内面世界は、たとえば静雄の「山村遊行」において、より想像力豊かに、具体的な景を伴って再現されるだろう。

子供への愛情をストレートに歌う詩も印象に残る。

佐藤春夫の「りんごのお化」という童謡風の作品は、〈頭を洗ふことのきらひな子供がよくがまんして頭を洗つて来たのを見て、お父さんがうたひはやしてほめた歌です〉という詞書が付されている。〈そら出た。そら出た。/出て来たぞ。/りんごのお化が出て来たぞ。…りんごのお化はよいお化、/にこにこ笑つてよいお化。/おつむを洗つていい匂ひ、/りんごのお化は可愛いいな。/可愛いお化のいふことに、/おのどがかわいてしかたがない。/りんごのおつゆを下さいな。〉ほっぺを真っ赤に上気させた坊やをにぎやかに囃したてる、ほほえましい家族の光景が立ち上がって来る。爽やかな林檎の香りと、真っ赤でかわいらしい形象。それ以上の意味と感情を求める必要はないかもしれない。しかし、西欧の知識や思考法の偏重に対する疑問が提示されつつあった時代に〈りんご〉の持つ象徴性と〈お化け〉という不穏なイメージを結び付け――そのイメージを詩人のもとに運んできた童(坊や)が、リンゴをジュースにして飲んでしまう、という解決策を提示するという展開に、子供の告げ知らせることに耳を一心に傾けようとする詩人の姿が現れているのではなかろうか。

 静雄の「小曲」は、のどかな田園風景の景を彷彿とさせながら、子守歌のような美しいリフレインを響かせる佳作である。


 天空(そら)には 雲の 影移り

 しづかに めぐる 水ぐるま

   手にした (ともし) いまは消し

   夜道して来た 牛方と

   五頭の牛が あゆみます

ねむたい 野辺の のこり雪

 しづかに めぐる 水ぐるま

   どんなに 黄金(きん)に 光つたろ

   (ともし)の想ひ 牛方と

   五頭の牛が あゆみます

 

 しづかに めぐる 水ぐるま

 冬木の うれの 宿り木よ

   しとしと あゆむ 牛方と

   五頭の牛の 夜のあけに

   子供がうたふ をさな歌


 暗い(そして、昏い)夜道を歩き続けた牛方が、心細い暗がりを照らしてくれたささやかな灯の、金色の光の美しさを思い返しながら、ようやく明け始めた空の下を歩いている。夜明けの薄明りに野辺の雪が白々と光り、次第に強まって来る朝陽に水車の水が輝きを増していく。そこに響いてくる、幼子の歌声。まるで、幼子の歌が夜明けをもたらすかのようだ。五頭の牛とは、何を表すのか。牛を用いた農耕や運搬と、豊かな水の流れるアジアの風土のイメージ。当時盛んに標榜された五族協和のスローガンが脳裏をよぎる。夜道を歩き続けた牛方とは、日本のことなのであろうか。

 折口信夫が昭和四年に公刊した『古代研究』の中に、「万葉集のなり立ち」という評論がある。大歌(官家の歌、宮廷詩)に対して民謡や童謡は小歌(こうた)と称されたこと、大歌は声楽が大部分であるが、雅楽(器楽・外国曲)が盛んになると大歌は衰えて来ること、などの歴史的変遷の解説と共に、〈大歌所に昔から使はれて来た大歌と、大歌に採用する目的で蒐めて置いた材料〉の数々が列挙され、その中に〈支那の為政者・音楽者の理想となつて居た民謡に正雅の声があると言ふ考へが、我が国にも這入つて居て、在来の童謡に神道が(やど)つて出ると言ふ信仰と一つになつて…(あづま)歌其外地方の民謡などの可なりの分量が、大歌所に集められて居た〉という記述がある。学生時代から万葉集に深く傾倒し、研究も重ねていた静雄は、恐らく折口の文章(もしくは思想)を学んでいたことだろう。

 童の無心・無邪気な歌の中に、神慮、神意が宿っている、という考え方は、今でも様々な民族芸能や伝統行事の中に痕跡を見ることができる。神意は人間にとって都合の良いことばかりではない。無慈悲にも子供は真実を告げる、という言い方をしてもよい。『夏花』の中の「砂の花」と「自然に、充分自然に」の二篇は、子供なればこそ、知らぬ間に真実を告げることになった顛末を歌っている作品ではなかろうか。

 困難を乗り越えて日本にたどり着いた燕が、生の勝利を告げる、その瞬間を歌った「燕」の次に置かれた「砂の花」は、富士正晴に、と献辞がある童謡風の小品である。砂場で遊ぶ幼児が、つわの花を砂場に挿し、そこにやってきた蝶を捕えようとする。


 その一撃に

花にうつ俯す 蝶のいろ

あゝ おもしろ

花にしづまる 造りもの

「死んでる?生きてる?」

・・・・・・・・・・・


造りもの、であるのは蝶なのか、切り取られて砂場に挿され、あたかも生き生きと命を保っているように見えるつわの花なのか。子供の無邪気な問い「死んでる?生きてる?」の一行は怖ろしい。神の被造物という言い方もあるが、「つくりもの」という言葉の語感は、疑似的に生きているように見えるに過ぎない〝死せるもの″である。

「八月の石にすがりて」では、ギリギリまで生き抜く蝶と、人である〈われら〉一人一人、そして雪原に倒れ伏す孤狼が比肩され、生の讃嘆が歌われていた。

その次に置かれた「水中花」を見てみよう。


()(とし)()無月(なづき)のなどかくは美しき。

(……)

(しの)ぶべき昔はなくて

(なに)をか吾の嘆きてあらむ。

六月(ろくぐわつ)()と昼のあはひに

万象のこれは(みづか)ら光る明るさの時刻(とき)

()ひ逢はざりし(ひと)の面影

(いつ)(けい)(あふひ)の花の前に立て。

堪へがたければわれ空に投げうつ水中(すゐちゆう)(くわ)

金魚(きんぎよ)の影もそこに(ひらめ)きつ。

すべてのものは吾にむかひて

()ねといふ、

わが()無月(なづき)のなどかくはうつくしき。


滅びを目前として、あらゆるものが美しく見えるという逆説、あらゆるものが〈死ね〉と迫って来るような戦時下の緊迫した意識と、その強迫に一息に〈投げ打つ〉というパセティックな行為で対抗しようとする詩人の意識が歌われる。元来死せるものである水中花が、コップや水槽という限られた空間において、まるで生き物のように美しく咲いている(そこでしか開くことができない)という痛切な思いへのアイロニーも、そこには重ねられているだろう。水中花の美もまた〈つくりもの〉である。死んでる?生きてる?と子供に問われたならば、詩人はどう答えるのだろう。

「水中花」の次に置かれた「自然に、充分自然に」は、瀕死の小鳥を愛撫しようとした子供が、思いがけず必死の抵抗にあって〈小鳥を力まかせに投げつけた〉様子を描いている。小鳥は生命を取り戻したかのように〈自然にかたへの枝を〉選んで、そこに止まるかのように見えた。しかし、結局その小鳥は死に、子供は〈(こいし)のやうにそれが地上に落ちるのを〉見ることになる。死を運命づけられた者の最後のあがきに心動かされて、気まぐれに救済しようとし、掌を返すようにそれを打ち捨てる子供の理不尽さは、人の目には理不尽に映る自然(神)の行為の寓意そのものだ。

『千年樹』68号 201611


[PR]
by yumiko_aoki_4649 | 2017-12-04 21:00 | 伊東静雄 | Comments(0)
line

詩や詩に関わるものごとなど。


by まりも
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite