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B=REVIEW 2018年2月投稿作品 選評-1

B=REVIEW 20182月投稿作品 選評-1


大賞候補 Rixia_7oceans 水温


◆優良

・桐ヶ谷忍 左手の蒼穹

・徐々にでいいから birth

・弓巠 あなたにたくさんの柑橘


◆推薦

・あおのみどり ナナイロ

・なないろ ゴミ

miyastorage ストロワヤ

・岩垣弥生 電球の海

(以上、ARCHIVE掲載順)

※来月から変更になるものの、今月は従来通り、大賞作品を1点、優良作品を3点、推薦作品を4点、計8点を選出することが「運営」からの依頼である。120作という多数の投稿があった2月の投稿作品の中から、「優良相当」17点、「推薦相当」30点を選んだ(作者名と作品名を最後に列記する)。「推薦」作は「推薦相当」の中から選ぶのが本来であるのかもしれないが、「優良相当」の中から、大賞、優良、推薦を選択したことを記しておきたい。


◆作品選評 大賞候補

Rixia_7oceans さんの水温http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1348

静かだが強く印象に残る作品だった。「さかな」を、どうとらえるか。花緒氏は湖を無意識界の暗喩と読み、意識と無意識との断絶をテーマとして読んでいる。もちろん、そのような読みも可能だろう。「さかな」を胎児のイメージに重ねれば、湖は羊水の暗喩という連想も働く。未生の場所、これから生み出される場所に冷たく閉ざされている自意識、意識から断絶された心の孤独。いかいか氏は返詩を返す形でコメントしている。死と再生の暗示。どちらかというと、私の読み方はこちらに近い。

もちろん、作者の手を離れた後、作品は自由に解釈されてよい(納得できるロジックがそこに成立しているなら)。投稿者ももちろん、そのことは承知しているだろう。実際、作者の意図を越えた新しい読み方を提示されることによって、無意識のうちに志向していたものに、作者自身が気づいたりする時もあるし、作品が内包していた予想外の展開に、ひそかな喜びを見つける場合もあるだろう。

逆に、意図と異なって読まれてしまった場合、読者により伝わりやすくなるように工夫してみようとか、どの表現がズレの要因になっているのか確かめるといった、推敲や今後の創作の助けになる場合もある。

私の読み方もまた、作者から見た時は「誤読」かもしれない、と前置きをしつつ、作品を最初に読んだ時、津波で奪われた魂への共振が言葉となったのかもしれない、という思いが生じ、そのままそこから抜け出せなくなった。稲葉真弓の『心のてのひらに』や、上村肇の「みずうみ」、会田綱雄の「伝説」などを漠然と連想したことにもよるかもしれない。魚になって、いつのまにか死者の魂と同化しながら、被災地の、震災時の海の中を行く稲葉の圧倒的な想像力。『心のてのひらに』は、心で見る、感じる、という行為が、深い哀悼に変容していく様相に打たれた詩集だった。上村の「みずうみ」では、水難で失った家族を尋ね当て、共に暮らし始めた男(湖の中にいる)が、水難後に娶った妻との間に生まれた息子(湖の上にいる)に見出されるのだが、息子の目には蟹と映る。息子は父に気づかずに去る。懐かしい家族と、新たな家族との間で引き裂かれる男の切ない心情が、抑制された筆致で描き出された作品。会田の「伝説」では、父祖たちが蟹となって湖に生きている。子孫たちはその蟹を漁どり、売って生活の糧を得る。いのちの巡りを暗示する、この不思議な暮らしの中で、命を生み出す営みがくるおしく続いていく。それを、月明りが静かに照らしている。

Rixia_7oceansさんは、湖の中と外の断絶を描いている。「さかな」を主人公として描きながら、その情景を「見ている」語り手は、第三者的な立ち位置におり、「わたし」の語りからは後退している。それゆえに、自己の内的な葛藤の表明とも、より普遍的に、同様の心象を抱くものへの共振とも読むことができる。「さかな」が自らの死を自覚しないまま、いまだに水の中を漂っている死者の魂の暗喩であると見るなら、死者の視点から描き出された作品である、と読むこともできるだろう。

湖の中(未生の場所、死の世界)からは湖の外が見えているのに、恐らく、湖の外に生きる人々は、その気配にすら気づかない。確かに季節は過ぎ、「干渉しえないどこかで/何かが変わっている」のに、「さかな」は冷たく心を冷やされながら、「足がないから始められず/手がないから終わらせられない」という中途半端な状態に置かれたままだ。何も変わらず、何も変えられないまま、時間ばかりがいたずらに過ぎ去っていく。「さかな」は静かに、死んで朽ちていくのを待っている。

たまたま、私はこの作品を三月に入ってから読んだ。二月に投稿された作品なのに、三月の震災と結びつけるのは、強引な読み方かもしれない。誤読ではないか、と恐れるゆえんである。しかし、私には本作は、個人の力ではどうにもならない出来事に接し、心が停滞してしまう「わたし」の意識を平易な言葉で、美しい静けさに充ちた光景の中に描き出した作品として心に深く残った。それゆえ、本作を「大賞」に推したいと思う。


◆優良作品

Rixia_7oceansさんの作品(だけではないが)に見られる第三者的な視点は、近代小説の成立時に言われた「神の視点」に近いかもしれない。他方、私小説的な視点で、「わたし」の体験したこと、経験したこと、そこから得たものを、普遍的なものへと昇華しようとする試みもある。

桐ヶ谷忍 さんの左手の蒼穹http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1281

リストカットという(おそらくは)事実を下敷きに、「あなた」の思いによって救済されていく過程を描いている。青空のような心を持ったあなた、と安易な比喩に陥ることなく、丁寧な構成によって作品を組み立てている。丁寧、と書いたのは、わかりやすくて良いと思うものの、同時に、少しまだるっこしいような印象を与えるとも感じるからである。折り紙を重ねながら糊付けしていくように、ひとつの連で歌ったことを、次の連で(特に連の後半で)繰り返すように言い直していく進行。のりしろを、もっと少なめにしてもよいのではないか。あるいは、折り紙を少し離して机上に置いて行くように、連と連との間の飛躍を、もっと大きく取ってもよいのではないか、という読後感を持った。

希望のイメージを一般的に抱かれることの多い「青空」に重ね、春先のスカーフのような、柔らかい一枚布のイメージに変換し、その青空を「あなた」が共に分かち合い、その半分を「私」に「移植」してくれた、という切実さが胸に迫る。「私」から見た青空は、一枚布のように頼り無い、奥行きのないものかもしれないが、「あなた」は、青空を深い奥行きをもった「蒼穹」としてとらえている(「あなた」の言葉として言い直される四連に、「私」と「あなた」の捉え方の相違が現れているようにも思う)ことが面白い。

コメント欄にも記したが、不思議な文法によってアクセントを残す五連のあと、作者は今現在の日常に回帰する。傷の残る左手を振る、という行為に、語り手の思いが凝縮されているようにも思うのだが、せっかく「蒼穹」という宇宙的な広がりまで想起させた作品を閉じることになってしまわないか。「数年前の話」と日常にまで引き戻すことによって安全圏に着地したともいえるが、個人の体験からより大きな次元の体験へと広がりかけた作品を、また個人の私生活に収めてしまうような印象があり、もったいないような気もした。


徐々にでいいから さんのbirth http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1363

個人の体験から出発して、普遍的かつ、多くの人にイメージしやすい次元まで作品をひろげることに成功した作品であるように思う。誕生日を祝うというごく日常的な出来事がテーマであるが、「爛れたような」心中を凝視するところから作品は始まる。明確に書かれてはいないが、誕生日、ということで、自らが母の胎内にいた時にまで想念をひろげているかもしれない。肉体の内部が、濡れた洞窟のようなイメージでとらえられ、その空間からミクロコスモスとしての宇宙へ、想念は広がっていく。さらに万華鏡のような世界としてイメージ化する飛躍を経て、個人の想像力の範囲でしか「見えない」ものを、より多くの人に「見える」ようにしてくれている。

明確な起承転結を持った構成も、読みやすさに繋がっているだろう。いささか唐突に思われる万華鏡のイメージも、二連目の自己探求が伏線となり、多数の過去の自分、私の断片を無数に想起するという状態を、映像的な比喩として表現していることがわかる。個人の過去の記憶が断片化され、宇宙空間的な広がり(個人の内面のミクロコスモス)に分散している、きらびやかだが、迷いと混沌を喚起する情景と読むことができるが、原子の僕、にまで飛躍していく思考は、どこから生まれるのだろう。分断された無数の過去を、原子として再び集積したい、という再統合への希望が反映されているのだろうか。跳躍の幅が小気味よいものの、いささか思考や観念が勝っているのではないか、という思いもあり、優良にとどめた。


弓巠さんのあなたにたくさんの柑橘http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1346

思考や観念が感覚に勝っているのではないか、という印象を覚えた作品だった。前月の「冬、いき」は、観念的なイメージを扱っているようでありながら、具体的な層を残していて説得力があったのに対し(それは恐らく、実際に寒気の中で白い息が残す影の実在感と儚さへの共感が働いているだろう)絵本のイメージと心理的な内面把握とが重ねられ、全体に像が拡散していく傾向があるように思った。

冒頭に置かれた「柑橘色の言葉が欲しかったのです」という音の響きの硬質さ、色彩や匂、味わいが喚起するイメージ、そのイメージを強引に「言葉」という抽象的なものに結びつけることによって、明確にはとらえられないものの、質感やニュアンスに実在性を帯びた言葉、というものが想起される。息を溜めてひと息に吐き出したような調子も含め、願望が切実に表明された、優れた書き出しだと思う。

言葉遊びにも似た頭韻によるイメージの引き寄せも、強引ではあるが、作者の内でのイメージの流れを表しているような臨場感を持って読むことができた。ただ、三連の豊かな比喩の部分を、どうとらえるか。引き出しを沢山持った作者だと思うが、手持ちの素材を容易に出し過ぎているようにも感じる。一行一行が、心象風景画のような豊かさを持つ反面、次々と並置されることによって、一行一行の行間や余韻が希薄になり、平板で装飾的な印象を結ぶ結果になってはいまいか。

少女と、恐らくは少年(の語り手)が、大人になっていく、という経過も、思考や観念が先走っているように感じられた部分だった。幼年期に受け止めていた、豊かな詩情への憧憬、やがて大人になり、街に身を置くようになってからの、感受性の鈍り。それは、大人になったから、なのか。あるいは、生きる場が、街に移動したからか。あらゆる記憶を、「わたし、が食べた」という認識が体感的で、印象に残る。食べたものが、その人を形作る。感受性が得たもの、呑み込んだものが、どのように言葉となって発現するか。その先を見たい、と思わせる作品だった。


◆推薦作品

「推薦」作は、注記にも書いたように、もともとは「優良」候補に入れていたが、選択数が限定されているので、推薦に留めたものである。

あおのみどり さんのナナイロhttp://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1377

飛躍の幅が大きく、映像やストーリー、あるいは論理を順に追って読む、ということが出来ない。他方、断章を連ねたような連の一つ一つが、強いイメージ喚起力を持っていて、様々な想念に読み手を導いていく。失われていく「声」の行方に対する思いの強さ。「もうあまり残されていない」「大きな目」といったワードから、私の中に漠然と浮上したのは、痩せて目ばかり大きくなった、余命の尽きようとしている人の姿だった。虹、そして橋のイメージも、彼岸への旅立ちを想起させる。「上司」がいささか唐突に出て来るが、私は介護をする作者の悩みに、上司の言葉がひかりとして差しいってきた・・・そのように読んだ。誤読かもしれない。今現在、恋をしている人なら、大きな目の恋人を夢想するだろうか。指先が触れるのは、自らの首すじか、大切な人の肌なのか。最終連の「虹のくちばしをした君」も、どこから現れたイメージなのか、謎のままに残されている。それでも、肉体に閉じ込められた魂のイメージを連想したり、空の果てから届く「声」を思い描いたリさせてくれ、豊かな行間を感じさせる作品だった。


なないろ さんのゴミhttp://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1383

弾んでいくような軽さや、身近な言葉を切り取って来るセンスがもたらす軽快さがあり、内容の重さや深刻さとうまくバランスを取ることに成功している作品だと思った。街景をスナップ風に捉えていく、いわばロングショットから入り、一気に自己の内面へとクローズアップする映像の伸縮の度合いが小気味よい。「私の母は私を生んだ時に死にました」という、語り手による突然の告白と、そこから一気に叩きつけられるように吐露される「産んでなんて頼んでない」というフレーズの持つインパクト。物質として存在する「ゴミ」と、自らが社会のゴミとなるのではないか、という漠然とした不安、その自己認識の遠因としての、自罰感情。リーディングを意識しているのか、脚韻を踏むような語尾や、単語で区切っていくスピーディーな進行、強弱の緩急をつけた詩行などにより、音読しても心地よい作品になっていると感じた。


miyastorage さんのストロワヤhttp://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1295

明晰な意識による饒舌な語りが、次第にゆらぎ、断片的になり、イメージの連鎖や意識の流れの叙述といった印象に転化していく。論理で追っていくのが難しいので、読者によって好みがわかれる作品かもしれない。「糜爛」、「口内炎」、「青に 斑に」といった言葉が、心理的な痛みを喚起する前半から、酔いが回って来て陶酔に導かれていくような中盤を経て、水の揺らぎが喚起する火や光のイメージへと移っていく。トップノートからミドルノート、そして余韻へと変化していく香水の香りの変容にも似て、時間経過を楽しめる作品だと思った。


岩垣弥生 さんの電球の海http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1399

ボトルシップを連想させるような立ち上がりの映像が強く印象に残る作品だった。そこから視点は電球内に移り、忘却の風に吹きさらされている「あなた」への思いが抒情性豊かに表現されていく。装飾性の高い詩語を多用した三連が、その語彙ゆえに豊かな詩情をもたらしているとも言えるかもしれないが、言葉のきらめきに眼をくらまされてしまうような感覚も覚える。四連の「ナイフに映った朝」の緊張感のあるイメージ、そこから視覚的にも揺さぶられていく、いわば間奏曲的な部分を経て、再び冒頭の映像に戻る、ロンド形式。戻るといっても、単純なリフレインではなく、バリエーションが施されている。「横たわっている」というイメージが、「立ち尽くしている」イメージへと変容し、「きょうだい」を失った後に、さらに「りょうしん」すら失われていく喪失感と孤独が際立っていくのが切ない。時系列としては両親が先に逝き、続いて兄弟が鬼籍に入るのが通例だろう。だから、ここでの「いない」は、記憶の中からの消滅を暗示している。構成が巧みな作品だと思った。


他に言及したい作品としては、HAneda kyouさんの「君について行く」http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1285だろうか。とりわけ、コメント欄で渡辺八畳さんと交わされた議論が印象に残った。二次創作であることに気づかなかったという不明も含め、大変面白く、また、有意義な議論が展開されていたと思う。

カオティクルConverge!!貴音さんの「名を変える鳥」http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1359も、「鳥」が希望や憧憬の暗喩のようにも、肉体と魂との関係性のようにも、死者の魂を追悼しているようにも、外部の環境によって様々な色合いに「見られ」たり「呼ばれ」たりする自意識の象徴のようにも読め、ひとつに定まらないところがむしろ印象に残った。饒舌体の溢れるような言葉の中で次々に「名」を変えていく鳥が、最後に「閑古鳥」に落ち着くけれども・・・内容の重さや切実さ、文章の詰まり具合といった迫力と、「閑古鳥」の喚起するペーソスやユーモアと、うまく釣り合いが取れているかどうか・・・このあたりのバランス感覚が難しい作品であるようにも思う。


以下、優良、推薦候補を列記する。

優良 るるりら「おもてなし妖怪2018」/紅茶猫「家族八景」/田中修子「半身たち」/ウエキ「思い出す詩のことなど」/こうだたけみ「四駆スカンクラップアドロッカー」/アラメルモ「小網戸」/李沙英「さよなら赤ちゃん」/岡田直樹「あなのあいたサイフ」/ねむのき「未処理」/

推薦 奏熊ととと「幸福の形、不幸の形」/クヮン・アイ・ユウ「朝は歌う」/白犬「re:w」/湯煙「陳さん」/夏生「思いの断片」/仲程「虫の生態(AB説)」/stereotaype2085「脳内モルヒネ依存症/北村灰色「青信号を渡らない赤子」/蛾兆ボルカ「トイレットペーパーの芯」/完備「structure」/渚鳥「星」/survof「おわって、風」/宮田「常温の飲むヨーグルト」/二条千河「www」/夏野ほたる「振り返るといつも赤」/うたもち「迷彩」/眠莉「曖昧な憂鬱」/カオティクル貴音「名を変える鳥」/くつずりゆう「夜の掻き手」/沙一「夜の人」/ジャンブリーズ「繭玉深く夢幻」/KURA-HITO「遺された街」/奇遇「なにもない」/さしみ「きよらかなもの」/藤一紀「冬の帰り道」/佐木ノ本「コーヒー」/リーさん(リュア)「鰹節」/いしかわゆうだい「生活」/社町迅「電気に縛られて」/鹿「午前三時に痛む傷の処置」/

書体の指示や太字の指示が反映されていない部分があります、ご容赦ください。


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by yumiko_aoki_4649 | 2018-03-14 21:39 | B-REVIEW | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by まりも
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