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『丈高い赤いカンナの花よ』佐古祐二詩集 感想 

表紙絵にしばし見入る。

冒頭の「蝋燭」は、まさにエラン・ヴィタールの炎である。

「風花」の〈まぶしいふくらはぎ〉、「ささやかな贈り物」に登場する〝名古屋嬢″のような、おそらく女子高生の豊満な胸のふくらみ・・・西東三鬼の「おそるべき君等の乳房夏来る」を連想しつつ、異性の放つ根源的な生命力に出会うことで命の力がみなぎって来る、というのは、なんとも健康的な、南欧的なエロスである、と思う。生への躍動、たぎりたつような命の迸りへの憧憬、といえばよいだろうか。

「ある一つのシュールな暗喩」は不思議な余韻が残る作品だった。くだけたユーモラスな表現にまず驚き、〈季節はずれのハスの花〉・・・極楽浄土のすぐ傍らを、上着の襟をかき合わせて寒さに震えながらトボトボ歩く〈私〉が、〈赤いショートパンツにタンクトップ〉〈ポニーテール〉という、すっかりアメリカナイズされた、はつらつとした女性に追い越されていく、という対比が鮮烈。しかもこの女たちは、顔を後ろ前につけているというのだから(きっと、真っ赤な口紅もつけているだろう)すれ違う男を奈落へといざなう、ファム・ファタルのような不気味さもある。

「雪のペッチラさん」のようなユーモア詩もあれば、「記憶の効用」「陰・影と光」のような哲学詩もあって、多彩な詩集だ。陰影ではなく、陰と影、と区切るところに深さを感じる。デッサンではなく油彩であれば、さらに陰には色があり、影には形がある、ということにもなるだろう。それもまた、光が無ければ誰も知ることが出来ない。すべては、照らし出す光あってこそ、なのだ。

「アンスリウム・アンドレアーヌム」は、なるほど、確かにあの花の形は交合の瞬間を想起させるかもしれない、と思いつつ・・・男性が女性の性に対して持つロマンティシズム、あるいは幻想、をうかがい知るような印象を持った。性の高揚感に似ている、あるいはその高揚に連なる体験は、出産に関連する経験の中で探すなら胎動の瞬間・・・とりわけ、胎児がお腹の皮をぐいぐいとこすりあげるような・・・時の体感に近いのではないか、とも思う。性の高揚が匹敵するほどの強さ、大きさを持っているかどうかはひとまず置くとしても、小さな死、とも呼ばれる性の極点になぞらえうるものと言えば、やはり死に隣接する体験、という他はないのではないか・・・という気がする。いささか脱線したが、熱帯性植物の貪欲さや溢れかえるような生命力と、根源的な生/性の力動とが通底する、ということには、深く共感する。

「希望」「八月のボレロ」と読み進めて、闘病しながら詩作しておられる日々を想った。日常の中に生命力を喚起するささやかな、でも大事な何か、を見つけること、詩作へのエネルギーを得ること、生まれた詩からまた新たに得ること・・・それらが還流し合い、一つの流れを作っているように思う。物みな燃え盛る赤い八月、その中に重なるボレロの旋律、ジョルジュ・ドンの筋肉のうねり、しぶく汗、しなやかな動き・・・。

佐古祐二が好きだという伊東静雄の詩作品の中でも、八月の石にすがりながら燃え尽きるように果てる蝶の姿、〈燃え尽きることを恐れず〉燃える蝋燭のイメージも重なる詩集だった。

(2018年11月 佐古祐二さんの追悼にかえて)

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by yumiko_aoki_4649 | 2018-11-12 14:00 | 読書感想、書評、批評 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


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