Yumiko's poetic world

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轡田隆史先生の文章講座

 轡田隆史先生の文章一日講座(朝日カルチャーセンター新宿校)を受講しました。三月の講座に引き続き、
二度目の受講です。

 ユーモアに満ちた語り口に笑いを誘われつつも、随所にちりばめられた卓見を聞き逃すまい、と思わず
身を乗り出してしまいます。リラックスしながらも、なおかつ適度な緊張に満ちた、充実した二時間でした。

 印象に残ったのは、「ものごと」と「自分」との関わりを、いかにして「切実な体験」へと昇華させていくか
という課題を自らに課し、それを楽しみながら実践しておられる轡田氏の「方法」の数々でした。

 「他者」や「物事」、「場所」と関係を持つ、ということは、意識しなければ「通りすがり」の、自分にとってなんら意味を持たない対象として過ぎ去ってしまうであろうはずのものを、あえて自分にとって「かけがえの
ないもの」「感動や感興を呼び覚ます対象」として自らに引き寄せ、自らの記憶、体験、として記憶していく
ことであるはず。それを、黙って待っているのではなくて、積極的に関係を作り出しましょう。
あるシチュエーションに自らを置いて、その際に「どんな気分」が生じるか、その未知を、わくわくしながら
待ちかまえましょう。やってみなきゃわからない。行ってみなきゃわからない。わからないことを、わからない
ままに面白がっちゃう、そんな余裕が、人生を豊かにするんですよ。その為に、僕はたとえばこんなことを
やっています、こんな方法もいいですね、と、具体的な方策を例に挙げて、わかりやすく、正直に、熱心に
伝えてくださる、そんな講義だったように思います。
 氏の具体的な実践の数々は、実際に轡田氏の講義を聴講するなり、著作を読んでいただくのが一番
なので、ここではご紹介しませんが、漫然と過ごしていれば忘れ去られてしまう記憶、無かったことに
なってしまう「時間」を、明らかに在ったものとして自らの心に、そして他者の心に記録していくことが
文章を書く最大の効用である。それは人生をより深く、より濃く味わい深いものにする実践である。
その素晴らしさに気づいてもらいたいから、僕は誰にでもできる方法を探究し、提案しているんですよ。
・・・そんな轡田氏の生き生きとした情熱を、間近で感じることができました。

 特に印象に残ったのは、自分自身を「演出」する気分で、という言葉。行動する自分(肉体)と、それを
命じたり観察したりする自分(精神)、その両者が明晰に意識されているのです。自分(肉体)を「感動」が
引き起こされるであろう場に「持っていく」。ただその場に「置く」のではなく、何らかのアクションを課し、
その結果、自分(肉体)の中に起こる様々な情動を観察する。まずはそれが第一段階。その感動を他者に
伝えたい!と思ったとき、それが自然に言葉になる。文章を書く、ということは、そういうことでしょう・・・
 
 関係を「取り結ぶ」「切り結ぶ」という厳しい語感の言葉が、さりげない調子で現れることにも驚きを覚え
ました。自分と「自分を取り巻く世界」との関係に常に真剣勝負で向き合っていなければ、こんな言葉は
思い浮かばないのではないでしょうか。その「感動」を伝えるために、いかなる創意工夫をするか。
そのために本を読む。様々な名文に触れ、時には表現を借り、他の人にわかりやすく伝わるよう心を砕く。
その苦労と達成感が、いわば文章を書く、ということの醍醐味なのでしょう。
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 絶え間なく問い続けること、それが生きるということではないでしょうか、と講義を締めくくられたのですが
問う、という積極性、能動性こそが、氏の生き方そのもののように感じました。
 聴く、感受する、という受動的な方法に徹する生き方もあるでしょう。でも、待っているのではなく、自分から出かけて行った方が、「関係」の生じる確率が高まります。もちろん、傷つく可能性が高まる、ということでもあるけれども・・・。問いかけること、自ら飛び込むことによって、「関係」を作り出す。その「関係」によって生じた「個人的な体験」を、良きにつけ悪しきにつけ、他者に伝えるときに必要となるのが「言葉」。
 講義後の雑談の際、「言葉は、親にもらったものでしょう」と何気なくつぶやかれたことも、強く印象に
残りました。言葉は、父祖伝来のもの、一つの民族の歴史と文化を担うもの、一個人の私物ではない、
という、言葉に対する明確な意識が背後に感じられたからです。 
 意識して「書こう」とするだけで、人生が味わい深くなる。書くことによって、今の自分が見えてくる。
そんな轡田先生の言葉を実践していくためにも、自分のペースで書き続けたい、そう思いました。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-16 23:56 | 随想 | Comments(0)

心の中に家を建てる

 自分の心の中に家を建てる。魂の居場所となる、美しい部屋を創る。そんなイメージを、いつしか抱くようになりました。
 自分の心という憩いの場、いわば「我が家」を、掃除し手入れし、美しく自らの趣味で整える。そうして自分の心の中に居心地のいい、自分の居場所を創る。そんな家なら、愛着もわき、大切にしたいと思うでしょうし、汚そうとするもの、乱そうとするものから、真剣に守ろう、という気持ちがわき起こることでしょう。人生で行き会った人々も、居心地のいい「家」の気配を感じて、その人の「家」を訪れたい、と願うことでしょう。
 昨今の子どもをめぐる環境や、イジメ、というよりも犯罪としか呼びようのない言動、ゆがんだ性衝動などの背景にあるのは、自暴自棄の心だと思います。自分を愛することを忘れ、整えることを忘れ、すさんだ家に帰ることも忘れて一時の享楽に身を任せる子どもたちが、これ以上増えませんように。
 壁には心揺さぶられた情景を額に入れて飾り、本棚には感動した本を並べる。訪れる人に合わせて、その人の喜んでくれそうなお茶菓子を用意し、楽しい会話に打ち興じる・・そんな夢想にふけりながら。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-09-07 22:15 | 絵画 | Comments(0)

ここは日本ではな~い!

 残暑、とはいうものの・・・ほぼ40年生きてきて、こんなに暑い年があったか?と首を傾げたくなるような陽気。確かに、子どもの頃「体温より暑い」なんていう日があったような気がしますが、それでも、夕方から夜にかけては涼しかった。埼玉の田舎でこども時代を過ごしましたが、夜はうるさいくらいにカエルが鳴き、虫が鳴き・・・冬はしもやけに悩まされた。
 そういえば、高校生ぐらいの頃から、霜柱を見なくなった気がします。サクサクと踏みつぶすのが楽しい、という年ごろを卒業した、というだけのことだったのかもしれないけれど・・・自分が楽しい、と思わなければ、目に入らない、ということもあるだろうけれども・・・
 じわじわと温暖化が進行しているような不気味さを、肌で感じている次第。

 あまりにも暑い!ので、ここは日本ではない、アフリカだ!と念じながら寝たら、明け方の夢うつつ、まだ覚めやらぬ刻に、ヴィジョンのように浮かんだ景。実際は、もっと鮮やかで、もっと美しかったのだけれども・・・仕方がない、これ以上は手に負えず。色あせた夢の絵です。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-31 10:49 | 絵画 | Comments(0)

山本 美香さんのこと

ジャーナリスト山本美香さんの訃報に、どうして・・・と絶句。予測できないのが戦場とはいえ、もどかしさや無念さばかりがつのります。
思い出した詩があります。谷川俊太郎作、千羽鶴(『生きていてほしいんです』所収)

感傷の糸につながれて
鳴かず
飛ばず
ただそよかぜにゆれて―
あまりにはかない祈りのかたち
千人針を縫った手が
性こりもなく千羽鶴を折る
ああもどかしい日本!
千羽は無力万羽も無力
あの巨大な悪の不死鳥と戦うには

もう折るな不妊の鶴は
祈るだけでは足りない
誓うだけでは足りない

・・・そして、「伝えずにはいられない」と「行動」した山本さんが、凶弾の犠牲になってしまった。
「悪の不死鳥」によって故郷を戦場にされた人々の想いを、現状を、特に女性や子供たちの状況を伝えなければならない、と山本さんは決意しておられたのでしょう。折る、と祈る、という文字が、同じかたちに見えてくるのが切ない。
ロバート・キャパの自伝を読んだ折に、自分の両脇に居た兵士が死んだ、という極限状況を、淡々と記しているのに仰天しましたが・・・山本さんのお父様が、「素晴らしいジャーナリストでした」とコメントしておられたのが、痛みとなって胸に残りました。

戦争は、「人と人とのいさかい」から始まるのでしょうか。武器商人や、土地や市場を狙う資本家たち、思想や宗教にかこつけて権力を欲する支配者たち、体面を守り、自分の利益を守ることに汲々とする指導者たちが、戦争を利用して自分の欲を満たそうとしているようにしか思えません。

平和な日本に暮らしているとだんだん感覚がマヒしてきますが、世界のあちらこちらで未だに戦争が続いている、という現実を、しっかり受け止められる子どもに育ってほしい。・・・と思うと同時に、危険な目に合わせたくはない、という自分勝手な願いも抱いてしまいます。山本さんのご両親の無念は、いかばかりか・・・

彼女の伝えたかったことを、子どもたちに伝えていくことこそが「冥福を祈る」行為だと思います。
金銭や欲得に流されることなく、正義、という相対的かつ人工的な「ただしさ」に惑わされることなく、平和を強く願う子に育ってほしい。まずは山本さんの書いた本を読むところから・・・。d0264981_2254889.jpg
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-26 22:11 | 随想 | Comments(0)

ブラティスラヴァ世界絵本原画展

ブラティスラヴァ世界絵本原画展(2011年第23回展)に行ってきました。
第1部:受賞作品、第2部:日本の出品作品、第3部:スロヴァキアの作家紹介、第4部:日本のしかけ絵本。
グランプリのチョ・ウンヨンの作品は、韓国の民画の伝統を彷彿とさせるようなのびやかな描線と、西欧風のデッサンによる描線の混交した画風。アバンギャルドな背景の上に、アニメーションで使うセルのような透明なフィルムを重ね、そのフィルムの上にアクリル絵の具で登場人物を描き、ひっかいたり色を重ねたりして細部を描いていく、という技法が目を引きます。即興性と周到な計算とが同時に存在しており、色数を抑えた全体のバランスや、素朴な形態と動きに富んだ馬の描写が印象に残ります。老人と女の子が競馬場に出かけていく、という設定の面白さや、新規さがだんだん薄れていくにつれ、女の子の目に映る個性豊かな馬たちが、だんだん没個性の競走馬に変化していく過程、最終的に、自分だけの馬(ぬいぐるみ)の存在感の再確認、というストーリーの展開も丁寧だったと思いました。個人的には、作家の個性が強烈に出すぎていて、読者の好みは大きく分かれるだろう、という印象を持ちました。(ポスターの作品)
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受賞作は皆、東洋的なエキゾチシズムや実験的な手法、デザイン的な新規さなど、「今まで見たことのない」「珍しい」という視点で選ばれているような印象を受けました。日本からの出品作も、受賞傾向を意識しているからでしょうか、個性の強い作家たちの作品が目を引きました。
その中で、子ども審査員賞を受賞したいまいあやのさんの作品が、ぬくもりのある、柔らかで丁寧な描線や色彩で、ほっと心和む空間を作り出していたように思います。とてつもなく大きな靴や小さな靴、という極端な画面構成も、画面上の面白さを狙ったもの、というよりは、話の展開に無理なく合わせた結果生まれた画面、という印象を受けます。
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第3部では、特にカーライの原画に強く惹かれました。もっとずっと大きな画面、というイメージを抱いていたのですが、ほぼ原寸大の、精緻な画面。白を効果的に使っているので、圧迫感や濃厚さは感じませんが、テンペラによるミニアチュールのように細部まで描きこまれ、何重にも色を重ねて仕上げられた画面の重厚さを間近に見ることができました。d0264981_8574459.jpg
第4部で驚いたのは、昭和32年の鉄腕アトム。赤と青のセロファンを張った眼鏡を通して見る、今でいう3Dを、あの当時すでに試みていた、とは・・・。きのとりこさんや駒形克己さんなど、絵本というよりは工芸作品と呼んだ方がいいような繊細かつスタイリッシュな作品、宇野亜喜良さんの神秘的な画風や長谷川義史さんの溢れ出すような勢いを生かした仕掛け絵本など、子どもともども、大いに楽しんだり感心したりした美術展でした。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-23 09:06 | 美術展感想 | Comments(0)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by まりも
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