Yumiko's poetic world

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ムナーリのことば

誰かが
これなら僕だってつくれるよ
と言うなら
それは
僕だって真似してつくれるよ
という意味だ
でなければ
もうとっくにつくっているはずだもの 

ブルーノ・ムナーリ  『ムナーリのことば』阿部雅世訳 平凡社

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絵を描いていると、必ず突き当たるのが、「こんなの、誰だって描けるよね・・・」という
ふがいなさ、絶望、諦念がないまぜになったような、複雑な感情です。
それを乗り越えなければならないのはわかっている。
そう思う一方で・・・
趣味で描いているんだから、誰かの絵に似ていたって、特別な個性が現れていなくたって、
自分が楽しんでいるならそれでいいではないか、という甘いささやきが聞こえてきます。

そんなとき、ムナーリのことばを読み返します。
子どもの心を持ち続けるということ。
それは、知りたいという好奇心や、わかる喜び、伝えたいという気持ちを持ち続けるということ。
そうすれば、いつも新鮮な驚きと感動に出会える。
わくわくする気持ち、夢中になって遊んだ時の充実感、爽やかな疲れを、いつも体感することができる。
ムナーリという、豊かな実践者の言葉に触れていると、私も子どもの心を取り戻せる、という
「根拠のない自信」が湧き上がってくるのです。

 こどもは、オトナの常識や、経験による枠決めからいつも自由。それは、知らないから、と言い換えることもできます。知っているがゆえに、可能性を狭めてはいないか。知らなかったが故の、新鮮な驚きを見落としてはいないか。こんなこと、もうすでにやりつくされている・・・と最初から投げ出していたら、努力し、工夫し、やり遂げた、という充実感は得られない。
 こどもは、遊びを通じて知らぬ間に体を鍛え、空想力を豊かにし、自然との関わり方や人間関係を学んでいきます。こんなこと、やっても無駄、と、遊びを投げ出すこどもはいない。夢中になって遊んでいるうちに、思いがけないものができちゃった!そんな描き方から生まれた絵は、描く人にも、見る人にも心地よい絵になるだろう。そんな夢のような日々を目標としつつ・・・。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-20 21:58 | 絵画 | Comments(0)

手紙

自分に
誰かを励ます力が残っている、と信じたくて
手紙を書く

そして気づく
勇気と自信を与えられている自分が
ここにいる、ということに

ここに居ることを決めたのは私
あなたがそこに居るのは偶然
偶然だけれども必然
その恩寵

はげますとかはげまされるとか
あたえるとかあたえられるとか
してあげるとかしてもらうとか
すべてが他愛無いこと

おのずから花開き
さりげなく実る
そんな豊かさがいいd0264981_13464667.jpg
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-17 13:47 | 詩、エッセイ | Comments(3)

タマシイって・・・

先日ご紹介した『詩のトビラ ひらけごま!』というNHKのラジオ講座テキストの中に、谷川俊太郎さんのユーモラスな詩が載っています。

「百歳になったカラダに囚われて
 タマシイはうずうずしている
 そろそろカラダを脱いでしまいたいのだ
 古くなった外套みたいに」

こんなフレーズで始まり、新しい世界へ抜け出していこうとするタマシイと、置いてけぼりにされそうで怒っているカラダとの対話が続きます。

「その生きたい自分は誰なのか
 カラダなのかタマシイなのか
 生まれる前のことを思い出したい
 ヒトの形になる前のこと」

一部だけの転載ですが・・・かろみ、があるのに、深いですね、ハッとさせられます。
タマシイは、カラダ、という五感の感受器官がなければ、この世で喜びも苦しみも体験することはできない。
命、は、タマシイがカラダの中にあるときに、その総称として使う言葉。ならば、タマシイは、なんなのか。言葉があるのに、概念としてはつかみがたい、でも、なんとなく知っている、感覚としてわかっている。不思議な言葉です。谷川さんは、「自分の気持ちを探っていった果てにぶつかる言葉」と述べておられるそうですが・・・皆様、いかに?
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-08-05 10:43 | 絵画 | Comments(0)

大英博物館古代エジプト展

 六本木ヒルズの古代エジプト展に行ってきました。目玉は、現在世界最長とされる『死者の書』の一挙公開。全長37メートル、精緻に描かれた線と色彩の整然とした群れは、圧巻です。
 『死者の書』とは19世紀のエジプト学者による命名で、実際には「(魂が)日のもとに出ていくため(の呪文)」と呼ばれていたとか。人間は死後どのような場所に行き、いかなる試練を経て「永遠の生」を手に入れるか、という、古代エジプト人の死生観、復活観が凝縮された美しい資料です。
 死後、死者は冥府の神オシリスの前で審判を受けます。40項目以上の「私は~をしなかった」という宣誓をしなければならないのですが、盗まなかった、詐欺を働かなかった、あたりはともかく、悪口を言わなかった、とか、誰も泣かせなかった、などになってくると、「普通の人間」には、ちょっと無理でしょう、という気もしてきます。同じことを古代エジプト人も心配していたようで、「私は~をしなかった」という宣誓の場で、もしウソをついてしまったとしても、自分の心臓が「この人間は虚偽の証言をしました」と言わないようにするための呪文、などというものまであるところが、実に人間くさくて親近感がわきました。
  「私は自分の心臓を食べなかった」という宣誓項目に驚きました。古代エジプトでは、悲嘆にくれることを、自分の心臓を食べる、と表現していたようです。今でも胸を引きちぎられるような悲しみ、というような表現をしますが、心臓を食べる、というイメージの鮮明さと、それは魂の復活を妨げるものである、という明確な意識がある、という部分に、非常に興味を覚えました。
 
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「死後の復活」を信じている世界において、死後の世界を語ることは、いかに生きるか、ということを語ることでもある。死後の世界が、生き方のクオリティーを支えている、と言ってもいいでしょう。世界中に様々な宗教・文化があり、それぞれに独自の死生観や復活観があります。類似している部分、異なっている部分を精査していくことで、生き方の文化の理解にもつながってくることのように思いました。
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-25 09:48 | 美術展感想 | Comments(0)

想像力

 いじめ、水害、脱原発・・・もどかしいけれど、自分ではなんともできないニュースばかりが続いて、心が重くなります。
 大人社会でもイジメがあるのに、子ども社会にはそれがない、と考えること自体がおかしい。むしろ、からかったりふざけたりしているつもりなのに、それがエスカレートして歯止めが利かなくなる、という、子ども社会特有の残酷さに、大人が気づいてやらなければいけない。自分の行為がからかいなのかいじめなのか、気づかせるためには、相手の身になって考える、という想像力が不可欠でしょう。子どもの頃に、知識詰め込みのクイズのような勉強ばかりしていると、想像力に乏しい子どもに育ってしまうような気がしてなりません。
 離れた土地の災害について思いを馳せたり、エネルギー政策について考えたりする力も、想像力。空想力をいかに身に着けるか、といったら・・・子どもの頃のごっこ遊びや、物語や絵本に親しむ、ということのほかにないのではないか、と思います。
 薪や水車が石炭に代わり、やがて石油にとってかわられていったように、いつか原発も自然エネルギーにとってかわられていくであろうことを願ってやみません。私たちにできることは、悲劇や危険を忘れないこと、語り伝えること、立場を変えて想像してみること。d0264981_10411576.jpg
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# by yumiko_aoki_4649 | 2012-07-17 10:42 | 絵画 | Comments(2)
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詩や詩に関わるものごとなど。


by まりも
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